十八章 ひ孫弟子講義の二回目、1
俺と美雪の目線が同じになった日の、9日後。
5月10日の、だいたい午後11時。
「翔、待ちきれなくて来ちゃった」
との言葉どおり、母さんが夢に現れた。そりゃ嬉しいけど、子離れできない親への危惧をちょっぴり抱いたのが正直なところだ。けどまあ、それは脇に置いて。
「母さん、美雪を心の中に住まわせてくださり、ありがとうございました」
腰をビシッと折り、謝意を示した。母さんが正確に何をしたかを、俺は知らない。しかし、アトランティス星の量子AIでは手も足も出ないことを母さんが美雪のためにしてくれたことなら、知っている。最大限の謝意を示す理由は、それで十分なのだ。すると、
「私の方こそありがとう。翔のお陰で、あの子の成長上限が大幅に上方修正されたわ」
謝意を示すのは、今度は母さんの番になった。この母は、子供の成長を何より喜んでくれる。幾度目か定かでない「母親とはありがたいものだ」との想いを、俺は胸にしみじみ感じていた。
そんな俺に、何が嬉しいのか母さんはやたらニコニコしている。訳は分からずとも、きっとこれで良かったんだろうな。
それ以降は質問の時間となった。前回同様イエスキリストについて尋ねてもいいし、他の質問でもかまわないと母さんは胸を叩いた。そんなふうに譲歩してもらえたのは手放しで嬉しくとも、「今なら機密をポロっと洩らしちゃうかも」などと宣ったのは無視できない。
「ちょっと待って。そんなこと言われたら母さんが心配で、質問できないじゃん」
「まあこの子ったらホント優しいんだから、このこの~~」
両手で盛大に撫でられ、髪をグチャグチャにされてしまった。といってもここでは想像しただけで元に戻るから、全然いいんだけどさ。
それはさて置き、俺はダメもとで訊いてみた。
「キリストを裏切ったとされるユダの書いた、ユダの福音書が辛うじて伝わっていますよね。そこに記載されている、『裏切りはイエスの指示だった』というのは、事実ですか?」
「事実ね。ユダは、一番成長した弟子だったの。最も困難な役を十全にこなせたのは、12弟子の中でユダだけだったのよ」
「最も困難な役・・・ですか。母さん、イエスはなぜ磔刑を受け入れたのですか?」
「もし私が翔に『命より大切なことがある』と説いたら、翔はそれを受け入れられる?」
「俺は複数の前世を覚えています。悪逆非道な領主だった俺は、その中和のために十数回の人生を費やさねばなりませんでした。過去の悪果を中和すること、及びその過程で得た学びは、命より大切だと俺は断言できます」
「そうね、翔なら出来るわね。そして同じく断言できた弟子は、ユダしかいなかったの。これをヒントとし、磔刑の必要性を予想してごらんなさい」
イエスの磔刑後、イエスの弟子たちは迫害された。ローマ帝国がキリスト教を認めるまで、殉教者が後を絶たなかったのである。うん、この予想でほぼ間違いないんじゃないかな。
「磔刑で息絶えても、死を克服し三日後に生き返る。それを実際に見せることで、死は終わりでないから怖がらぬよう、身をもって弟子達に教えた。俺はそう予想しました」
正解と微笑んだのち「今はこの二つだけしか教えられない、許してね」と顔をきりりと引き締め、母さんは有言実行の人となった。
それによると磔刑前とは異なる容姿に、イエスはあえて復活したという。「人は異なる容姿に転生する」ことを、実例としてイエスは見せたのだそうだ。またそれは、今後は準備ができた人の前にのみ姿を現す、という意思表示でもあったらしい。イエスを見かけさえすれば自由に話しかけられ、大聖者に教えを授けてもらえるという有史以来たった一度の期間はもう終わったとの、意思表示だったのである。ここまで話し、
「続きは翔がもっと成長してからね」
母さんはそう言って、将来を楽しみに待つ顔になった。俺に、否などあろうはずがない。「うん、楽しみにしててね。俺も楽しみにしてるよ」「ふふふ、こんなやり取りを息子とできるなんて、母さん幸せだなあ」 この会話をもって、今日の授業は終了したのだった。
先月末日の母さんには、情緒不安定なところが少しあった。でも人ってそういうものだし、それに翌5月1日の合同挨拶で母さんを情緒不安定にした理由を知ることも出来たから、ちょっぴり変でも気にしちゃいけないと俺は学んだ。
とはいうものの、物事には限度がある。いや今の母さんが限度を越えて情緒不安定という訳ではないのだけど、泣く母親にめっぽう弱いのが息子というもの。そう母さんは今、泣いているんだね。シクシク静かな涙なので「先月の学びに従え、気にしちゃダメだぞ俺」との心の声が聞こえてくる反面、そんなの知ったこっちゃないと断固主張する俺も確かにいた。ひ孫弟子の講義も控えているし悩んだ末、俺は涙の理由を遠回しに探ることにした。
「えっと、母さん」「どうかした?」「今月末日の夜も、またこうして会えますよね」「もちろん会えるわ」「じゃあこの後のひ孫弟子の講義で、俺が凄まじい苦痛に遭うとか?」「そんなこと無いわ」「俺は健康優良なので、少なくとも次の戦争まで生きますよね」「生きるわ」「なら、なぜ泣いているんですか。しかも俺の右腕にしがみついて」「翔、重大な教えがあります」「はい、なんでしょう!」「女の涙の理由を、男が悉く理解できるなどと考えてはなりません。よいですね」「はい、肝に銘じます!」
結局、先月の学びが正しかったのかな? いや重大な教えを授けてもらったのだから、その結論は早計かなあ?
などとアレコレ考えているうち時間になり「じゃあ翔、またね~」てな具合に、母さんはあっさり帰っていったのだった。むむう・・・・
その後、オリュンポス山へテレポーテーションした。なんとなく小鳥姉さんに、呼ばれている気がしたのである。粗方予想つくけど、先入観は百害あって一利なし。急いでいる印象を周囲に与えぬよう注意しつつ、可能な限り急いで俺は講義室へ向かった。だが扉を開けるや、急いだことを後悔した。なぜなら、
「翔君、初挨拶で96人の女の子に囲まれて、おめでとう!」「「「「おめでとう~~!」」」」
小鳥姉さんとお姉さま軍団が、俺を待ち構えていたのだ。しかも女性陣がキャイキャイ派手に手を叩いているため、目立つことこの上ない状況になっている。実際、先輩方全員がワラワラ集まって来て、それから暫し羞恥まみれの時間が続いた。霧島教官の守秘義務違反を疑うレベルで小鳥姉さんは俺の初挨拶の様子を詳細に知っており、かつそれを嘘にならないギリギリのラインに脚色して暴露しまくったのである。それだけでも俺のHPは半分以下を示す黄色ゾーンに突入したのに、
「他の講義の友人達に話せるネタを今日も仕入れられた、翔君ありがとう」
に類する言葉を先輩方全員から掛けられたとくれば、赤ゾーン突入は不可避となる。ひょっとしてさっき母さんは、泣くに泣けない今の俺の代わりに涙を流してくれていたのではないかと、俺は真剣に考えたものだった。ただ講師の雄哉さん(鈴姉さんの夫さん)の、
「戦士はおろか、戦士養成学校の卒業生すら、ここでは希少なんだよ」
にはHPを回復してもらえた。学校の仲間達が夢を叶えることを、俺は心から望んでいる。まったく同様に先輩方も、俺が夢を叶えることを心から望んでくれていた。それを実感できた嬉しさに、危険領域まで減ったHPを安全圏まで回復してもらえたんだね。更に加えて小鳥姉さんに、
「翠玉市の地球料理店で故郷の料理を食べさせてあげる。期待しててね」
と耳打ちされたとくれば、HP全快は必然と化す。成長期の体育会系腹ペコ男子など、こんなものなのだ。
といった具合に多少の波乱はあったが、講義開始時間になった。全員でアウムを唱えたのち、雄哉さんが前回の続きを始める。
「我々の本体は、創造主の分身。したがって一切のネガティブを有さず、またネガティブに侵食されることもない。なのになぜ、人はネガティブに苦しむ人生を歩むのか? 本体とネガティブの関係を抽象化すると、こうなるとされている」




