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「いついかなる状況においても戦争は悪であり、戦争に参加して敵を殺害したら悪果を背負うって、前世が地球人の翔は考えていたりする?」
「はい、まさしくそう考えています」
「古代ギリシャと古代ローマは地球の第六時代に文明の頂点に達し、大勢の人々が地球を卒業して行ったわ。古代ローマは侵略戦争を無数に仕掛けて領土を拡大していったけど、ローマに組み込まれたことにより古代ではあり得ないほど平和に暮らせて、そのお陰で大勢の人々が地球を卒業できたの。共和政時代の男子のローマ市民には従軍の義務があり、略奪等をせず気高く戦うことをとても誇りにしていた。それを厳守し、かつ敵兵に恨みや憎しみの感情を抱かず、穏やかな気持ちのまま死を迎えたら、その人が悪果を背負うことはなかった。誤解しないでね、たとえそのように死を迎えたとしても、従軍したこと自体に善果は生じないわ。それでも、そんなふうに亡くなった人は前世の善性を来世に引き継ぎやすくなるため、従軍は事実上、地球卒業を助けたのよ」
ホエ―――っと、エを発音する口の形を保ったまま感心しまくっている俺を置き去りにし、講義はサクサク進んだ。
「初代皇帝アウグストゥス帝の御代に、イエスは生まれたわ。言うまでもなくイエスは、私が今説明した従軍と地球卒業の関係を熟知していた。その上で『私は剣をもたらすために来た』と説いたの。ちなみに従軍と地球卒業の関係は、剣の譬えを理解するために必須となる、三つの知識の一つね」
三つの知識の一つなんですね了解です、と瞳を輝かせた俺の耳が、二つ目とおぼしき知識を捉えた。
「次はイエスの『私の肉を食べ、私の血を飲む人は、いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にいる』についてね。けど翔なら、これを説明できるんじゃない?」
「はい、推測なら可能です。頭を整理しますね」
私の肉を食べ私の血を飲む人も、地球で納得のいく説明を一度も聞いていない。けど今は、推測が可能になっている。貴重な講義を施してくれた母さんを始めとする人達に心の中で礼を述べ、整理したことを発表した。
「俺のような凡人は自分の本体と、ほんの僅かしか繋がっていません。しかしイエスや母さんは、本体との常時直結を達成しています。よって聖書に記載されているイエスの教えは本体の立場でなされていると考えるべきであり、そしてそう考えると、血肉の譬えに推測が立ちます。後半の『いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にいる』を、先に取り上げますね」
緊張のあまり、準創像界では必要ない息継ぎを、俺は一つした。
「人の本体は創造主を経由し、すべての本体と繋がっています。ならば本体と常時直結しているイエスや母さんにとって、他者の本体はいつも自分の内にいる存在なのでしょう。後半の『いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にいる』は母さん達にとって、至極普通の感覚なのだと思います」
微笑んで首肯した母さんが俺の頭に手を置き、軽快にワシャワシャした。喜んでいる気配が掌から直接伝わってきて、緊張がほどけゆく。その心で、前半への推測に移った。
「母さんたち大聖者はその感覚を持っていても、俺たち凡人は持っていません。よって俺たち凡人がその感覚を得られる方法をイエスは説いたとするなら、前半の『私の肉を食べ、私の血を飲む人』を説明できます。イエスの言った血肉は物質肉体の血肉ではなく、本体の血肉。ならば『食べる』と『飲む』は、本体の血肉すなわちイエスの説いた宇宙法則を、理解して自分のものにすること。イエスの説いた宇宙法則を理解し自分のものにすれば、大聖者達の感覚である『いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にいる』を実感できるようになる。イエスはこんな譬え話をしたのだと、俺は推測します」
それからほんの数秒、母さんは困っていた。両腕を広げて俺を抱き締めようとしたが、抱きしめたらマズイと思い出し、途中で固まってしまったのである。そんな母さんを今この瞬間助けられるのは、宇宙広しといえど俺しかいない。ならばそれを、全力でするのみ。俺は自分が恥ずかしい思いをすることで、困っている母さんを救うことにした。
「母さんのことだから、美雪が提案した『母さんと同じ身長になって翔を抱きしめていい?』の顛末を、知っているよね。思春期男子の俺は、アホで面倒な時期にいるんだよ。アホで面倒な俺を、どうか許してください」
許すもなにも私こそ考えなしでゴメンね、と母さんは真摯に謝ってくれた。母さんに謝らせたのは失敗でも、困り顔ではなくなったのだから、それで良しとしよう。
と安易に結論した俺は、究極のバカだった。大聖者の母さんの行動を先読みするなど、俺には到底不可能だったのである。それは一見、ほのぼのする問いから始まった。
「そうそう翔は記憶力がいいから、最初に出会った頃の冴子を思い出せるよね」
「記憶力は置くとして、6歳の冴子ちゃんだよね。思い出せるよ」
「じゃあその冴子が『おめでとうお兄ちゃん!』って翔に抱き着く様子を、想像してみて」
「やばい、顔がふにゃふにゃになっちゃう。前世の孤児院を思い出したよ」
「翔はとっても慕われてたもんね、母さんも嬉しいわ。ということで、私も6歳になるね」
「へ?」
と間抜け声を発した直後、俺は呼吸と瞬きを完璧に忘れてしまった。天使としか表現しえない、6歳の母さんが隣に座っていたからだ。冴子ちゃんももちろん可愛かったけど、比較するなら冴子ちゃんは、米軍の最新鋭戦闘機でしかない。地球最強の戦闘機として稀有な破壊力を有していようと、一機の戦闘機にすぎない。対して6歳の母さんは、いうなれば核兵器。たった一発で戦争の趨勢すら左右する、戦略核兵器なのだ。そんな最終兵器が隣にちょこんと座っていて俺ににっこり微笑んでいるのだから、呼吸と瞬きを完璧に忘れて当然。俺は時間が停止したが如く、ただただ茫然とその子を見つめていた。
のだけど、その子が「にぱっ」と笑い、
「おめでとうお兄ちゃん!」
と抱き着いてきたら、状況は一変した。俺はただただ、泣くことしかできなくなったのである。さっき母さんが「ふえ~ん」と泣いた理由を、俺は理解したんだね。
前世の俺は中学生まで、体がとても弱かった。体調がとことん崩れ、お粥すら消化できない時期もあった。そんな俺の心の支えに最もなったのは、幼い弟や妹たちだった。俺が世話してあげないと快適な日常を送れない小さな子たちが、「お兄ちゃん大丈夫?」と心底案じてくれるとき以上に心の支えになり、そして勇気づけられる時は、無かったのである。
あの頃の俺と似た状況に、母さんはいた。母さんと俺には、中学生の俺と弟や妹たち以上の開きがある。しかし、か弱い存在の弟や妹たちが俺を心底案じてくれたとき俺が勇気づけられたように、母さんも勇気づけられたのだと思う。俺は取るに足りない矮小な存在でも、母さんを心底案じることと優しく接することなら出来る。幼い弟や妹たちが、俺にそうしてくれたように。
「うん、そうよ。優しい息子に優しく気遣ってもらえて、母さん勇気が出たの。だからこれは、せめてものお礼ね」
「水くさいなあお礼なんていいって、と言いたくても言えないよ。この気持ちを教えてくれて、母さんありがとう」
「ふふん、それは気が早いわ。とっておきの隠し玉が、まだあるんだから」
「えっとあの、不吉な予感がギンギンするんだよね。それ、止めにしない?」「こら、ヘナチョコなこと言わないの! シャキンとしなさいシャキンと!」「ヒエエッ、はいシャキンとします!」「結構、じゃあ美雪に伝えておくわ。翔を抱きしめたいって今度思ったら、6歳の自分になって翔に抱き着きなさいって。ちなみに6歳の美雪は、こんな感じね」




