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「ところで勇は、初挨拶に出席するの?」
由々しき事態か否かを明瞭にすべく、俺はそう問いかけた。本来ならこう問うこと自体、あり得ないと言える。孤児院で伴侶を見つけた者以外は出席すべし。これが事実上の、不文律だからだ。よって勇に伴侶がいないことを知っている俺は本来ならこの問いを決してしなかったはずだが、異性への関心が勇にないことと肉食獣の視線云々の相乗効果により、訊かずにいられなかったのである。「初挨拶に出席するの?」と。
「それなんだがな・・・・」
膝に乗った虎鉄を撫でつつ、勇は消え入るように呟いた。凄まじく嬉しいことに、勇と虎鉄はとても仲が良い。二人の仲の良さは俺の胸をいつもほっこりさせてくれるのだけど、それをもってしても今回は不安を拭えなかった。消え入るような勇の呟きに、「深森夫妻と霧島夫妻のように俺と勇もなれたらいいな」との願いが、初挨拶前に壊れてしまうかもしれないと感じたのである。固唾を呑む俺の耳に、勇の返答が届いた。
「女子に興味はない。だが俺に妻ができて、お前にも妻がいて、家族づきあいを生涯続けていくことには憧れがある。だから可能なら、お前と一緒に出席したい」
俺は自分の愚かさを理解しているつもりだったが、それはつもりでしかなかった。勇夫妻との交流を望むなら勇の意見をしっかり聴き、俺の意見もしっかり告げ、その上で双方の同意を得ることが必須なのに、それを完璧に失念していたからだ。俺は自分の愚かさに呆れ果て、そしてそれを経て、この件に関する愚かさに終止符を打つ覚悟をした。すると不思議というか当たり前というか、晴れ晴れとした気持ちに全身を満たされた。その気持ちのまま、俺は覚悟を遂行した。
「俺もピッタリ同じ憧れを持っているよ。という訳で勇、一緒に出席しようぜ!」
「おお、一緒に出席しようぜ!」
俺と勇は互いの右手を、阿吽の呼吸でパンッと打ち鳴らした。食堂に響いた小気味よい音に、自然と笑みが零れる。笑みは零れても零れても尽きず、結局俺と勇は肩を組み二人で爆笑した。そんな俺達に、
『まったく、世話の焼ける奴らにゃ』
と、虎鉄はテレパシーで溜息をついたのだった。
そうこうするうち午後7時50分になり、二回目の語らいは幕を下ろした。勇と連れションし、食堂上の個室自習室を共に目指す。個室はほぼ満室で最上階まで上るハメになったが、そのぶん勇と会話を続けられたのだから収支は黒字と言えよう。ただ、困ったこともあった。階段を上っている最中、勇が熱苦しかったのだ。元地球人の勇は、アインシュタインの相対性理論を当然耳にしていた。そして、その理論における空間の定義の誤りを俺が解明しようとしていると知るや「俺も負けないぞ! お前は戦士と職業双方の、終生のライバルだ!」と、熱苦しいことこの上ない状態になりやがったのである。まあコイツと生涯付き合っていくなら、俺が慣れなければならないんだけどさ。とほほ・・・・
話題を替えよう。
俺が習っているのは応用数学なため、重力に関する解明は物理と数学をまとめて学ぶ時間になっている。本音を言うと午前と午後に分けず2時間ぶっ通しにしたいのだけど、訓練が最優先なのでそれは無理。美雪曰く「1時間だけでは短すぎてイライラするのが普通」との事らしいが、神話級の健康スキルのお陰かそれは免れている。それでもたった1時間を有効に使うためにはそれなりの集中力を必要とし、幸い集中力はあったので丁度良い機会と酷使していたら、いつの間にか集中スキルを入手していた。これは戦闘にも、極めて有用なスキルと考えて間違いない。いやはやホント、人生って読めないものだよなあ。
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翌日、深森夫妻と小鳥さんに、5月1日の訪問が不可能になった旨をメールで伝えた。三人は、俺が保健室行きになった理由を知っているのでとても心配していたが、返信の最後を応援の言葉で皆さん結んでくれていた。達也さんを加えた四人の応援に報いるためにも、結果度外視で頑張ることを俺は誓った。
月三度の語らいの日以外も、勇とはしょっちゅう会話している。初挨拶の件は結論が出た以降も話題に幾度も取り上げられ、そしてその何度目かに、何故これにもっと早く気づかなかったのかと己を罵ったことがあった。それは俺と勇が欠席した場合の、伴侶を見つけられなかった女の子の胸中だ。たとえば男子全員が出席した初挨拶で伴侶を見つけられなかったら、気持ちを切り替えて学校外に視線を向ければ良い。情報通の某男子によると、最寄り都市の公園で該当男女だけを対象とするイベントを6月1日に開くのが、毎年の恒例なのだそうだ。よって気分を一新して6月1日を心待ちにすればいいのだけど、俺と勇が初挨拶を欠席していたら、「運命の人はあの二人のどちらかかもしれない」との期待を引きずってしまう虞がある。仮にそうだったらその子に会わない選択肢はなく、するとその子は期待が高まっていたぶん、落胆も深刻になると予想される。よってそういう子を作らないためにも、俺と勇は初挨拶に出席せねばならなかったのだ。という事に、
「「なぜもっと早く気づかなかったんだ~~」」
と、俺達は自分を罵倒したんだね。勇に感化され俺も熱苦しくなってきている気がするのは、ただの思い過ごしだよな・・・・
感化の件は脇に置くとして、女の子のためにも出席すべきと気づいたことを、知り合いの女性全員が褒めてくれた。母さん、美雪、冴子ちゃん、鈴姉さん、小鳥さん、舞ちゃんの五人がそうだね。冴子ちゃんはそれが特に強く、俺らと同じ13歳の容姿で勇の前に姿を現し、謝意を直接伝えてくれた。その後の数日間、ボ~っとしている勇をしばしば見かけて、一度ならず「冴子さん・・・」という呟きを耳にしたが、武士の情けで気づかなかった事にしている。
舞ちゃんにも深く感謝してもらえた。メールによると、舞ちゃんは初挨拶を欠席するつもりだったらしい。しかし自分のためではなく、男子のために出席せねばならないことに気づけたありがとうと、舞ちゃんに言ってもらえたのである。不意に「6月1日のイベントに舞ちゃんが出なかったら、勇と三人で7月1日に会ってみようかな?」との思いが脳をよぎったけど、これを誰に相談すればいいのだろう? う~ん、悩むなあ。
そうそう悩むと言えば、深森家を訪ねる件は解決した。小鳥さんの読みどおり、十日間の旅行から帰って来た深森夫妻は、ラブラブ度が通常の範囲に収まっていたそうなのだ。ただそれを指摘すると鈴姉さんが顔を真っ赤にしてしまうらしく、俺は小鳥さんにメールでこう頼まれていた。
「照れて可愛い鈴音を翔君も見たいでしょうけど、できれば我慢してあげて」
照れて可愛い鈴姉さんを拝見したいのは山々ですが、我慢します。と返信したところ、とんでもなく嬉しい約束を小鳥さんにしてもらえた。なんと地球の食べ物を再現したレストランに、連れて行ってくれるそうなのである。更に加えて「私は長年の常連でスタッフもみんな友人なの、期待しててね」とウインクされた俺は、小鳥さんの子分になる宣言を反射的にしていた。それについては全く後悔していないけど、子分として最初に命じられたのが「心の中でも小鳥姉さんって呼んで」だったのは、後悔してもしきれなかった。小鳥姉さん、ごめんなさい。
ごめんなさいと言えば、初挨拶の件で母さんに謝られてしまった。謝られた理由を推測できるような推測できないようなだったが、そんなことより謝られて最初に芽生えた想いが「母さんこそストレスを抱えているんだろうな」だったのは、自分を褒めていいと思う。
「母さん、260万人の子供を適切な学校に毎年振り分けるのは、さぞ大変でストレスも大きいのでしょうね。適切な学校に振り分けてもらった一人として、せめてお礼を述べさせてください」
そう言って誠心誠意腰を折ったところ、なんと母さんが「ふえ~ん」と泣いたのである。ちょっぴり恥ずかしかったけど母さんの隣に移動してよしよしと背中を撫でたら、俺の腕に取りすがって母さんは暫く泣いていた。その後、いつもより晴れやかな笑顔を振りまいていたから、ストレス解消の役に立てたんだろうなと思っている。




