十七章 初挨拶、1
その日以降、初挨拶の出欠席について頭の隅で常に考える日々が続いた。それは訓練中も例外ではなく、美雪に叱られるだろうと思っていたのに、お叱りを受けることは無かった。するとかえって恐ろしくなるのが、ヘタレ男子というもの。何も言われない理由を必死になって考えたところ、ある推測を得ることが出来た。それは、戦闘と考察を同時進行させるのは間違ってなかったりして、というものだったのである。
たとえば俺は今、駆け引きを戦闘に取り入れようとしている。ではその駆け引きに、考えることは含まれていないのか? 考察を一切せず、閃きだけで駆け引きは成立するのだろうか? こんな感じのことを、俺は思い付いたんだね。よってさっそく考えたが幾ら頭を捻っても確証を得られなかったので、駆け引きの先生である勇に尋ねてみた。すると勇に、あやうく惚れそうになってしまったのだ。俺は、こう問われたのである。「なあ翔、無意識ってあるよな」と。
「なあ翔、無意識ってあるよな」「うん、あるよね」「あの無意識って考えているのかな。それとも、考えていないのかな」「ん~、考えていないんじゃない?」「なぜだ」「新しいことを始めた当初は、アレコレ考えて体を動かす必要があるよね。でも慣れてくると、アレコレ考えなくても体が自動的に動くようになる。それを無意識とするなら、考えないことが無意識なのかなって思ったんだよ」「確かにそれはある。だが、翔には経験ないか? 無意識にやったら間違っていたという、経験が」「あるよ、そんなのしょっちゅうだよ」「ああ、俺もしょっちゅうだ。だから仮説を立ててみたんだよ。人は考察も、無意識にできるようになるのではないか? 意識してないだけで、本当は瞬時に考察しているのではないか? 考察だから考えの筋道を途中で誤ることがあって、それが『無意識にやったら間違っていた』なのではないかってさ」「どわっ、それを否定する根拠を一つも思い付けない。勇、その仮説は正しいんじゃない?」「いや、それは短慮だ。閃きが脳を貫くように駆け抜け、その閃きに従ったら勝てたという経験も俺にはある。あの閃きは、考察以外の場所から来た。俺の知らない別の場所からやって来て脳を貫いた未知のもの、それが閃きなんだ。ならば、正誤も判断できない。閃きを分析できるようにならない限り、仮説の正誤も分からないというのが今の俺の結論だな・・・・ん? なぜ頭を抱えているんだ、翔?」
そう俺は、頭を抱えていた。こうして肩を並べてたった数分間考察しただけでこの件を解明してしまった勇のありがたさに、頭を抱えて顔を隠す必要があったのである。いやだって俺は普通に女性が好きなのに、一瞬とはいえ親友に惚れてしまいそうになった顔を、見せる訳にはいかなかったんだね。ま、それはさて置き。
「なあ勇」「ん、なんだ」「俺は閃きを、通常の思考に『ほぐす』ことを長年してきた。閃きは思考速度と思考密度が桁外れなだけで、あれはれっきとした考察だ。一瞬の閃きを文字で説明すると数万字になるから認識不可能なだけの・・・・ん? なぜ頭を抱えているんだ、勇?」
そう今度は、勇が頭を抱えていたのである。その様子がまさしく俺と瓜二つだったため、勇の胸中を一瞬で理解してしまった俺も、再び頭を抱えるハメになってしまった。食堂のテーブルに並んで座り、そろって頭を抱える俺と勇は傍から見たら、さぞ間抜けだったんだろうな。ハハハ・・・・
幸運にも、そんな間抜け野郎共を助ける友が俺達にはいた。その友は、虎鉄。食堂だったことも幸いし、テーブルに肘をつき項垂れるバカ二人を見かねた虎鉄が、一目散に駆けて来て助けてくれたのである。一目散というのは誇張ではなく、犬猫スペースからタッタカ駆けて来た虎鉄は速度を活かして跳躍し、俺の肩に跳び乗った。そして後頭部側に回り後ろ足で立ち、俺の頭を前足の肉球でペチペチ叩いてゆく。「うにゃっ!」「わかったよ虎鉄、項垂れるのを止めるよ」「にゃ~~」 とのやり取りを聞いた勇も、俺と同じく項垂れるのを止めて椅子に座り直した。とはいうものの気まずい雰囲気を一掃できず、あらぬ方角へ盛んに目をやるバカ二人に溜息をついた虎鉄が、
「にゃっ」
食堂の西側へ右前足を伸ばした。食堂西側へ顔を向けても誰もおらず首を傾げる寸前、ピンと来た。そうか、猫語翻訳ソフトを起動させればいいんだった。左手首のメディカルバンドを操作してソフトを起動し、虎鉄に問いかける。
「虎鉄、西に何があるの?」
「女子寮。5月1日の、番を見つける催し」
「つ、番って虎鉄!!」
隣から、やたら驚いた声が聞こえてきた。声の主は、言うまでもなく勇。心に浮かんだ疑問を、そのまま声にしてみる。
「勇、何をそんなに驚いているんだ?」「長い話になるが、いいか?」「もちろんいいよ、今日は語らいの日だし。あっでも、30分以内な」
俺と勇は4の付く日の夕食後、食堂にそのまま残って会話する習慣を最近設けた。それが、語らいの日だね。きっかけは、霧島教官との面接時間を捻出すべく、訓練後にしっかりシャワーを浴びたことだった。それを知った勇が「毎晩9時にお前が寝るせいで話し足りん、訓練後にシャワーを浴びて俺のために時間を作れ」と、卍固めで俺を脅したのである。話し足りず寂しく思っていたことに共感したので、俺は快く同意した。もっとも表向きは、卍固めにギブアップしたって体裁にしたけどさ。
ただ勉強時間も捨てがたく、語らう上限を午後7時50分に定めた。それでも食事の時間も合わせると1時間20分になり、たぶん大丈夫だろうと当たりを付けて前回の語らいに臨んだところ、少し物足りないので最良という事になった。少し物足りない方が次回を楽しみにできるし、語らいの日以外の会話も大切にするようになるしね。という訳で、
「残り30分か、やばっ」
と勇が早口言葉級の説明をしたところによると、女子の放つ殺気が恐くて初挨拶を待ち遠しく思えないとの事だった。元総合格闘家だった勇は殺気の知覚に長けており、それを虚像のゴブリン戦でどう磨いたかも凄まじく気になるが今は置いて、女の子たちの「獲物を狙う肉食獣の視線」が日ごと強くなっているそうなのである。
「あ~、それ少し分かる。寮と訓練場の行き来はあらかじめ気合いを入れておかないと、女子寮側からやって来る粘っこい視線に、ゾワッとする時が俺もあるよ」
「おお、さすが翔! お前は仲間だ~!!」
のように盛り上がるのは楽しいが、何気にこれは由々しき事態なのかもしれない。なぜなら勇は俺とタメを張るほど異性を意識していないため、初挨拶の欠席を考えているかもしれないからだ。
イケメンの抜け駆けが風呂場で発覚して以来、女の子の話題が男子寮でメチャクチャ取り上げられるようになった。「訓練場の行き来で目が合った」や「可愛い女の子に手を振ってもらえた」等がそれだ。訓練を含む一日の予定に男女の違いはなく、またアトランティス人はほぼ全員目が良いので、訓練場へ行くときや帰って来るときは尋常ならざる視線が飛び交うことになる。かくして「目が合った!」「手を振ってもらえた!」と男子は大騒ぎしているのだけど、俺はそのつど胸の痛みを密かに感じていた。俺や勇はなるべく大人数で訓練場を行き来し、かつ女子寮から最も離れた位置になるよう心掛けているため、俺や勇を探す視線が男子の集団に降り注ぐことになる。それが「目が合った!」であり、また集団に隠れる俺や勇を見つけて騒いでいる女子達が「手を振ってもらえた!」の真相だったからだ。そんな日々を一カ月近く過ごせば真相に気づく奴がいて然るべきなのに、女の子たちがキャイキャイしている数秒間、思春期男子は重度の阿呆になるらしい。本日4月24日の時点で真相に気づいた男子はいないか、もしくは気づいていても黙秘しているようだった。まあそれが男子寮における、処世術なんだろうけどさ。それはともかく。
「ところで勇は、初挨拶に出席するの?」




