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落ち着くため、雄哉さんと霧島教官の容姿に触れておこう。
身長はどちらも、200センチほど。鍛え抜かれた引き締まった体を双方していて、雄哉さんは茶髪の青瞳、霧島教官は黒髪の黒瞳。どちらもイケメンだが、雄哉さんは穏やかな眼差し、霧島教官は鷹のような眼差しだ。ちなみに鈴姉さんは切れ長の目をした綺麗系美人で、小鳥さんは可愛い目をした癒し系美人。したがって顔の系統では雄哉さんと小鳥さんが同種、鈴姉さんと霧島教官が同種になるが、たすき掛けの関係になっている事も、四人が半世紀近く親友でいる理由の一つなのかもしれない。う~む、憧れるなあ。
雄哉さんが簡単に自己紹介してくれたところによると、建設ロボット関連の技術者として働く傍ら、ひ孫弟子の講義の講師も務めているという。また雄哉さんと離れて暮らしていた鈴姉さんは数カ月に一度こうして講義を受講することで、雄哉さんと顔を合わせていたそうだ。ちなみに小鳥さんは本人の弁によると、「ひ孫弟子になったら翔君とまた会えるからひ孫弟子になった」との事だった。以前鈴姉さんに聴いたのだけど、小鳥さんの二人のお子さんはどちらも息子なのに対し、四人のお孫さんは全員女の子らしい。息子しかいなかったため孫娘に当初は驚喜するも、全員女子だと「男子の孫も欲しかった」と思うようになり、それが臨界点を突破する寸前、俺が講義に加わったと鈴姉さんは話していた。そう言えばひ孫弟子候補の講義に初めて出席した日の帰り際、小鳥さんは俺の手を握って離さなかったよなあ。
鈴姉さんによると、俺は小鳥さんの長男に性格が似ている一方、容姿は次男に似ているという。確かに霧島教官と俺は同じ黒髪黒瞳だから、そういう事もあるのかもしれない。プライベートの霧島教官の目がいつも優しいのも、同じ理由なのかな?
そうこうするうち開始時間になり、アウムを全員で唱えた。母さんのアウムは、やはり一味も二味も違う。空間が瞬時に浄化され、かつそれが非常に長く続くんだね。大聖者のマントラムを二回連続で聴けて、俺はありがたくて堪らなかった。そして母さんが去ったのを機に、講義は始まる。
「前世でアルコール依存症を見聞きした人は、挙手願いたい」
元地球人の俺は、もちろん挙手した。周囲を見渡したところ、全員もれなく手を挙げている。雄哉さんによると今日の講義は、医療が未発達の社会における依存症の現実を知っていた方が解りやすいため、最初に訊いたとの事だった。
「飲酒の習慣のないAさんが酒の味を覚え、晩酌を始めたとする。適度の飲酒はストレスを解消し、寝つきを良くすることもある。仕事で大きなストレスを抱えていたAさんは酒との出会いに感謝し、晩酌を楽しんでいた」
晩酌の習慣はなかったが元ジャパニーズビジネスマンとして、Aさんに同情を禁じ得ないというのが本音だ。俺は知らず知らずのうちに身を乗り出し、講義を聴いていた。
「アルコールの分解能力は、人によって異なる。Aさんの分解力は平均より高く、少量のお酒を楽しむ程度なら問題はなにも無かった。だが大きすぎるストレスのせいで、Aさんの酒量は少しずつ増えて行った。そしてAさんはあるとき不意に、心の声を聞いた。このままでは不幸な未来が待っているよ、と」
直前の前世に飲酒の習慣はなくとも、悪果一色の人生に苦しんだ幾つか前の前世は、その限りではない。酒だけが唯一の救いと信じていた前世が、俺にもあったのだ。
「その声を聞いた直後が、未来の不幸を最も簡単に回避できる瞬間だった。未来にネガティブをもたらすネガティブな習慣は、対応が早ければ早いほど容易く改善できるように、この宇宙は最初から造られている。覚えておいてもらいたい、それは創造主の慈悲だ。我々が不幸にならぬよう真っ先に手を差し伸べてくれるのは、宇宙で最も深い愛を有する、創造主なのだ」
こんな基本的なことをまるで理解していなかったことに気づき、俺は愕然とした。俺のことを親身に考えてくれる人ほど、早い段階で注意してくれる。それから離れるほど、つまり俺なんてどうでもいい人ほど、何も言ってくれなくなる。この法則を、孤児院で育った俺は嫌というほど知っているつもりだったが、実際は真逆だった。宇宙で最も親身になってくれる存在を、俺はまったく意識してこなかったのだ。
「あえて繰り返そう、その声を聞いた直後が、未来のネガティブを最も容易に回避できる瞬間だった。だがAさんは声を無視し、酒量を増やしていった。すると次は家族が、飲酒習慣の危険性をAさんに説いた。この瞬間も、創造主の声に負けぬほど容易く禁酒できる瞬間だった。Aさんを親身に案じ、禁酒を喜んで手伝ってくれる家族が、声を掛けてくれたのだからな。しかしAさんは、それも無視した。酒量は益々増え、日常生活にも影響が出るようになっていった。そんなAさんを、長年の親友がまず注意した。その次は友人達に、そして優しい知人らにも注意されたがAさんは飲酒をやめず、とうとう病気になった。一般的にはまったく理解されていないが、この病気も創造主の慈悲だ。そうだな、初参加者の見解を聞いてみよう。翔、Aさんの病気が創造主の慈悲であることについて、自分なりの意見を述べられるかな?」
普段の俺なら、心の中で悲鳴を上げたはず。だが、最も愛の深い方が差し伸べてくれた手に気づかなかった己への怒りが、それを許さなかった。間違いへの不安や衆目を集めることへの羞恥をすべて捨て、俺は自分のありったけを込めて答えた。
「お酒への欲求は、まず心に生まれます。心の中の出来事ですから、心の中の対応だけで十分処理できます。禁酒への強い意志を持ったり、自分を案じて協力してくれる家族の愛に報いる気持ちなどが、それですね。それを無視したため、病気が物質界に具現化しました。一般的に病気は不幸なことと認識されていて、俺もその一人でしたが今は違います。なぜならAさんは、病気の苦しみを介して過度の飲酒の危険性を身をもって知ると共に、その最初の病気は、最も治しやすい病気のはずだからです。自分の過ちを身をもって知ることができ、かつ治すのが最も容易な最初の病気。この二つも、創造主がAさんに差し伸べた手なのだと、俺は思います」
幸い俺は正解を引いたらしく、雄哉さんは笑顔で頷いていた。しかし俺の両隣へ目をやった途端、雄哉さんはププッと噴き出した。何事かと左右へ急いで顔を向けた俺の胸に、感謝の気持ちが止めどなく溢れてきた。右隣の鈴姉さんと左隣の小鳥さんが、ドヤ顔で胸をそびやかしていたのだ。俺が正解を発表しただけでこうも喜んでくれる人がいるなんて、俺はなんて幸せなのだろう。視界が霞んで講義に支障が出ぬよう、顔を両手で勢いよくこすった。そんな俺の背中を両側から優しく叩いてくれる人達のためにも、俺は最高の状態で講義に臨まねばならない。良好な視界を取り戻した俺にくっきり頷き、雄哉さんは講義を再開した。
「翔は全面的に正しい。Aさんの患った病気は医療の未発達な社会でも、完治可能だったからだ。翔が説いたように、己の愚かさを身をもって知ったAさんは家族と友人知人に謝罪し、体調改善に励み、健康を取り戻すことが出来た。また今回の件を貴重な学びとしたAさんは同じ過ちを二度と繰り返さぬよう固く誓い、そしてその誓いは、病気以外の様々な場で活きた。心の声に耳を傾けることと、自分を案じて声を掛けてくれる人をAさんは生涯大切にし、それが更なる幸せと学びをもたらしたのだな。このようにたとえネガティブが人生に降りかかっても、ポジティブな対応によってそれを克服し、その経験を学びとしてその後の人生に活かせば、降りかかったネガティブはポジティブになる。この『ネガティブのポジティブ化』が人の本来の役割であることを、覚えていて欲しい。それについてはまた次の機会にして、今はAさんが病気すら無視した未来について話そう」
ネガティブのポジティブ化の箇所で尻尾をブンブン振ってしまい、両隣の女性にクスクス笑われてしまったが、それは長く続かなかった。Aさんが病気すら無視した未来へ、言い知れぬ恐怖を感じたからだ。恐怖に負けぬよう気合を入れるや「「頑張れ~」」と両側から小声で応援してもらえたことは、頬が緩んで仕方なかったけどね。
「病気になっても飲酒を止めなかったAさんは、肝硬変になった。肝硬変になっても飲酒を続けて重度の肝硬変になり、それでも止めなかったせいでとうとう癌になり、Aさんは余命宣告された。病気の苦しさと死への恐怖に悶えるAさんの心の奥底には、己の愚かさへの反省があった。今の状況を造り上げたのは己の愚かさに原因があるのだと、Aさんは心の一番深い場所で理解していたのだ。この講義を預かる講師として、明言する。その反省を直視し、認め、自分のしでかした間違いの一つ一つを思い出し、己の愚かさを全身全霊で悔いる余生を過ごした場合と、それとは真逆の余生を過ごした場合では、来世に天と地の差が出る。悔いた場合は無数のパターンがあるため、ここでは控えよう。各自が瞑想等を行い、自分なりの答を導き出すように。その手助けとして、真逆を行った場合の来世を明かす。Aさんは来世で、原因の分からない不幸に見舞われる。不幸の原因を理解できれば、原因を取り除く最善の行動を選択しそれへ邁進できるのに、それが判明しない不幸に見舞われるのだ。ただし、その見舞われ方は二種類ある。先天的な場合と、後天的な場合の二種類がそれだ。ただし前者は残酷過ぎ、ここに出席している者達の許容値を超えているため、もっと成長してから詳細を教えてもらった方が良い。我が師が最良のタイミングを見極めてくださるから、安心してほしい。その代わり後者について、私の前世の体験を紹介しよう。あの体験があったから、今こうしてここにいると私は考えている」




