二章 9人の仲間、1
翌朝、午前8時。
訓練場に、俺と同年齢の男子4人と女子5人の、計9人の3D映像が映し出された。美雪が、俺に顔を向ける。
「翔。この9人について、私が昨夜説明したことを覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ。この9人は、今日から始まる訓練のために姉ちゃんが創造した、現実には存在しない子供達。戦闘能力は、棍棒を持った速度100%のゴブリンに昨日始めて勝った、という設定。僕と同じだね」
昨夜と同じ笑顔を浮かべた美雪が、「翔の記憶力の良さをもっと姉ちゃんに見せて」と頼んできた。俺は張り切って応じた。
「同性の5人で組む伍が、闇族との戦争における最小単位。伍のリーダーを、伍長と呼ぶ。ただ最小単位は伍でも、20歳未満は原則として、闇族と分隊で戦う。分隊は、男子の伍と女子の伍を合わせた計10人の、最も少人数の隊だね。男子の伍長と女子の伍長の一方が分隊長を、もう一方が副分隊長を務めることになっている。そして僕を含めたこの10人が、僕の分隊。といっても僕に、役職はないけどさ」
「うんうん、それでそれで?」
「右利きのゴブリンに対応し、男子の伍を左、女子の伍を右にして分隊は移動する。本日最初の戦闘は、10体のゴブリンとの遭遇戦。その遭遇戦が、この分隊の初戦闘だね。一列横隊で突進してくるゴブリンにこちらも一列横隊で突進するけど、初戦闘の恐怖のせいで、ゴブリンに突進できない隊員が必ず現れるよう設定されている。もちろん僕が、その隊員かもしれないけどさ」
頭を掻く俺と目線が同じになるよう美雪は膝を曲げ、「今はまだ早いと感じたら遠慮せず言うのよ」と念押しした。遠慮する気など微塵もない俺は、力強く頷いた。すると何が嬉しいのか美雪はニコニコし、その笑顔に引き込まれた俺は、今まで意図的に避けてきた質問を勇気を振り絞ってした。
「僕は姉ちゃんと、いつまで一緒にいられるの?」
そうこの質問を、俺は意図的に避けてきた。だが今は、避ける訳にはいかなかった。これから始まる戦闘へ、今はまだ早いと感じたとしても、そう感じるなり美雪が遠くへ行ってしまうことは無いはず。ただホント勘なのだが、今はまだ早いと何カ月も駄々をこね続けたら、強制的な別れが1年以内に訪れる気がする。勘はもう一つあって、俺が優れた戦士になればなるほど、美雪がそばにいてくれる可能性も高くなる気がする。白状するとその勘があったから、俺は今日まで頑張ってこれたのだ。それはこの瞬間も変わらず、たとえ今はまだ早いと感じたとしても、期日を設けることを俺は決意していた。期日は、1週間以内。突進してくる10体のゴブリンにすくんで小便を漏らそうと、1週間以内に恐怖を克服してみせると、固く誓っていたのである。ふと、気づいた。その誓いが勇気となり、俺は質問できたんだな、と。
「翔のそばに一生いられる可能性も、ちゃんとあるわ。今はこの返答で許して」
美雪は俺を抱きしめ、背中をポンポンした。うん、この返答をもらえただけで今は大満足だ。そう心底思えた俺は、
「ありがとう姉ちゃん。じゃあ訓練を開始しようか!」
訓練開始を元気よく促した。そんな俺に「あと10秒だけこうさせて~」と、美雪は嘘泣きしたのだった。
伍は移動のさい、先頭に1人、中央に2人、後方に2人の陣形を組む。先頭の1人が前方を索敵し、中央の2人が左右を索敵し、後方の2人が左右後方を索敵するのが決まりだ。またこの訓練にはいないが、戦争では戦士1人につき1頭のアンドロイド馬を用意することになっている。古典AI制御のアンドロイド馬は荷物運びを主目的とし、怪我を負った以外で乗ることはない。生物と機械の融合体であるアンドロイドにした理由は、節電のため。アンドロイドなら普通の馬のように、草を食料にできるからね。
アンドロイド馬の肌は、脚を除きソーラーパネル。液体燃料発電機を体内に有し、草のない暗闇でも3日間の連続稼働が可能になっている。節電のためセンサーの能力は低いが、聴覚だけは普通の馬の3倍鋭い。よって訓練のような遭遇戦は、過去に数例しかないという。しかし皆無ではなく、また貴重な学びも得られるため、最初の分隊訓練では遭遇戦が必須になっているとの事だった。
その遭遇戦が、アンドロイド馬なしで始まった。陣形の左後方に配置された俺は、左後方の索敵を真面目に行う。真面目に行うことを体に叩き込むのが、訓練だからな。
南北100メートルの訓練場の、北端から歩き始めた俺達が30メートルほど進んだとき、南端の林から10体のゴブリンが出てきた。一列横隊を成す10体のゴブリンに対応すべく、分隊の10人も一列横隊へ素早く移行する。伍は先頭の1人を軸にして横隊を形成するので、左側の伍の左後方にいたおれは、一列横隊の左端になった。美雪によると初日の初戦は、左端になるのが恒例だそうだ。
初日の初戦ゆえ、分隊が一列横隊を形成するまで律儀に待ってから、ゴブリンは突進を開始する。突進してくるゴブリンには慣れていても、それに合わせてこちらも突進したのは一昨日が初めてだった。まあ連勝できたから、この訓練に臨んでいるんだけどな。
接敵時、分隊とゴブリンの間には60メートルの開きがあった。この星のゴブリンは100メートルを10秒で走り、6歳の俺達は100メートルを14秒で走る。日本の男子なら14秒は高校3年生の平均タイムでも、輝力に満ち輝力操作を習得したこの星の子供達は、同じタイムを6歳で叩きだすのだ。脚力より輝力で走るため男女差は無いが、身長は差を生じさせる要素になる。だが分隊は、体格と能力をなるべく均一にするよう始めから組織されている。よって各隊員の突進速度にも、差は理論上ないはずだった。が、
「怖い!」「死にたくない!」
右側から男女1人ずつの、恐怖の叫び声が聞こえてきた。俺はその2人へ、マイナスの感情を抱かなかった。他者へ気持ちを割く余裕など、まるっきり無かったのである。1体のゴブリンが俺1人に突進してくるのと、10体のゴブリンが俺達10人に突進してくるのは、受け持つゴブリンの数は同じでも、抱く恐怖の量はまるで異なる。初日の初戦という特殊な状況のせいもあるのだろう、俺は誇張ではなく、10倍の恐怖をねじ伏せねばならなかった。
だが途中から、10倍どころではなくなった。恐怖のあまり落後した者が、更に2人出たのだ。ゴブリンと俺達の比率は5対3になり、それぞれを二乗すると、25対9になる。25引く9は16で、16は25の64%。したがって10体のゴブリンと6人の俺達が最後まで白兵戦をしたら、10体のゴブリンの生存者が64%になった時点で、俺達の生存者はゼロになる。元地球人の俺はこの計算式を、ランチェスターの法則として覚えていた。座学でこの星にもまったく同じ計算式があると知った時は、興奮したなあ。
と考えられたのは、戦闘が終了して5分経ったころだった。ショックと恐怖が大きすぎ、ついさっきまで地面に座り込んでいたのである。戦闘結果は言うまでもなく、こちらの完敗。俺達はゴブリンを、たった3体倒せただけだった。
かくいう俺も、1体も倒せなかった。最初のゴブリンを瞬殺できなかったせいで2体目が隣からすぐ参戦して来て、2対1になった。それでも諦めず粘っていたが、さほど間を置かず3体目のゴブリンが加わり、手の打ちようが無かったのである。いや、決めつけるな。方法は、まだ残っていたかもしれないじゃないか! 俺は自分を叱咤し、今の戦闘を振り返って、3対1を覆す方法を探していた。そんな俺の耳に、
「翔、よく聴いて」
美雪の声が届いた。厳しい声と表情に背筋を伸ばした俺へ、美雪が告げる。
「戦闘開始は1分後。質問ある?」
このような場面でしばしば出る、悪い癖が俺にはある。必須情報を省きすぎた質問をしてしまうのだ。今回もそれが顔を出し、俺は唐突に訊いた。
「皆と円陣を組んでもいい?」




