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 でも頭を最近あまり撫でられな~い、と母さんは文句をブ~ブ~垂れた。こればかりはどう返していいか分からず、苦笑して頬を掻く。「ま、男の子を持ったんだからしょうがないわね」 そう肩をすくめた母さんは「残り3分ってとこかな」と軽い口調で呟いたのち、歴代屈指の不意打ちを俺に放った。


「で、5月1日の男子寮と女子寮の合同挨拶に、翔は出席するの?」

「ヒェッ! 母さん、俺はどうすれば良いのでしょうか?」

「そんなの自分で考えなさい・・・と突き放したいところだけど、可哀そうだからヒントをあげるわ。アカシックレコードを見てみたら、十重二十重に囲まれた翔が女子に揉みくちゃにされるのは、どの分岐を進んでも確定していたわね」

「母さん、そのどこがヒントなんですか!」

「まったくこの子は、私に隠しごとなど不可能だって早く気づきなさい。それとも、母親に言わせたいのかしら? 前世では異性と手と繋いだことも無かったから、一度くらいは女子にモテモテの」

「このとおりです、このとおりですから、どうか勘弁してください~~!!」


 大聖者の母さんに直接教えてもらえる幸運極まるこの授業へ「とにかく早く終わってくれ~」と、このとき俺は初めて願ったのだった。


 その後、オリュンポス山の北斜面へ母さんと一緒にテレポーテーションした。大聖者の母さんが付き添うのはひ孫弟子候補のみでひ孫弟子は対象外だそうだが、「私はたまたま一緒に来ただけだわ」との事だった。それなのになぜ手を繋いでいるかと言うと、「だってテレポーテーションしたから」らしい。むむう・・・・

 それはさて置き、実をいうとあることが近ごろ気になっていた。「20歳の戦士試験の一次試験で超山脈を縦断しているのに、講義を開いている建物をなぜ秘密にしておけるのかな?」がそれだ。縦断ルートをオリュンポス山から離しても試験参加者が毎年260万人もいるのだから、北斜面の28棟の建物に気づく人が現れてもおかしくない。なのにバレてないということは、一体どんな仕掛けになっているのだろう? 的なことを、疑問に思っていたんだね。という訳で今日から通うことになる建物を探すついでに目を凝らしてみたところ、


「ん?」


 違和感を覚えた。極小の光の屈折を、目に捉えた気がしたのである。光の屈折といえば光学迷彩で、光学迷彩を施していれば縦断試験中に見つけられることも防げると納得した俺は、それを念頭に改めて眼下を見下ろしてみた。それを経て初めて見つけた物について、母さんに問うてみる。


「母さん、28の建物をスッポリ包む、半球形の光の屈折があることに今やっと気づきました。その屈折も、この建物群が世に知られていない理由の一つなのですか?」

「ふむ、では実際に確かめよう。翔、一緒においで」


 母さんが俺の手を引き球面に近づいていく。これを見越して手を繋いでいたのなら、半球形の光の屈折を見つけることは、一種のテストだったのかもしれない。見つけられてよかったと胸をなでおろしているうち、球面の1メートル手前にやって来た。ここまで近づけば、新たな発見をするのが世の常。今回もそれに漏れず、球面が気流を乱していることに気づいた。防風率5%の壁と同等の気流の変化が、球面上に現れていたのである。そう述べたところ、「翔は可変流線形の使い手だったわね。5%の見立ても正しいわ、偉い偉い」と子供のように褒められてしまった。そりゃ俺はまだ子供だし、褒められるなり尻尾を自動的に振ってしまったのも事実だけどさ。という思春期特有のメンドクサイ思考に捕らわれている俺をほったからし、母さんは会話をサクサク進めていった。


「今は夜中で登山家も周囲にいないから、目隠しを最小出力にしているの。私達の前だけ、通常出力に戻すね」

「あ、はい。きちんと観察します」


 故意なのか否かは判らないが母さんの「偉い偉い」に耳を再びくすぐられた直後、奇妙なことが起こった。光の屈折と気流の乱れが消えると同時に、斜面に建っている28の建物も、跡形もなく消えたのである。

 建物を見えなくすることだけなら、既存の技術で容易くできる。建物のない北斜面の3D映像を、投影すればいいだけだからね。しかし視力20の俺の目が、眼下に広がる北斜面は3Dの虚像ではないと断言している。また3D映像に気流を変える力はなく、仮にあったとしても、最小出力を通常出力にしたら気流の乱れが消滅したのは変だ。よってこれは3D映像ではないという事になり、ならば何かと自分に問うたところ、関連性があると思われる神秘を教わったばかりなことに気づいた。それは母さんが今日の授業で見せてくれた、並行世界の原理。波長によって三次元空間を9つに分けられるなら、空間に手を加えることも可能なのではないかと閃いたんだね。


「よしよし、今日の授業をよく思い出しました。28の建物は、湾曲させた空間で覆っていてね。空間自体を曲げているから登山家がオリュンポス山を真っすぐ登っても建物に近づけないし、そもそも自分が円周上を歩いていることにも気づけないの。毎年260万人の若者が、20歳の戦士試験の一次試験で超山脈を縦断しても建物の秘匿性を保てているのは、そういうことね」


 なるほどそうだったんですね、教えて頂きありがとうございます! と謝意を示しているうち、目隠しが最小出力に戻ったのだろう。光の屈折と気流の乱れが生じると同時に、4列横隊の建物群も出現した。その4列横隊の下から2列目、横一直線に並ぶ7棟の建物の中央を目指し、母さんと並んで降下してゆく。2列目の建物は1列目の建物より若干大きいことを除けば、違いは何もない。緑の旗がひるがえる建物の屋上に、俺と母さんは降り立った。前回同様俺たちは手を離し、屋上南側の中央にある観音開きの扉へ歩いていく。扉が自動で開き、続く階段を降りて、講堂の出入り口と思われる扉の前に立ったとき、やっと思い出した。母さんに付き添ってもらっちゃってますが、これって大丈夫なんですか??


「翔、へなちょこになっているわよ」

「はい、気を引き締めます」


 ここまで来たらジタバタしても仕方ない。俺は腹をくくり、母さんに続いて講堂へ足を踏み入れた。その直後、気を引き締めさせてくれた母さんに心の中で感謝した。なぜなら、


「キャーッ、翔君久しぶり~~!!」


 ここにいないはずの小鳥さんが目にもとまらぬ速さで飛び出て来て俺の両手を握り、上下にブンブン振ったからだった。


 後で聞いたところによると小鳥さんは当初、俺を抱き締める気まんまんだったという。しかし屋上に降りた俺の隣に母さんの気配を感じて、握手するだけに泣く泣く留めたそうだ。小鳥さんの身長は鈴姉さんと同じ、190センチ。俺より37センチも高いことが災いし、抱き締められると顔が胸に埋まってしまう。肉体ではない意識投射中とはいえ、13歳の男子にそれはキツ過ぎる。これから講義を受けるなら尚更だろう。いや、たとえ抱き締められたとしても美雪に鍛えられたことが活き、平気だったはずだけどね。鈴姉さんの時も、記憶に煩わされることは無かったしさ。

 それはそうと、講堂内で俺を出迎えたのは小鳥さんだけではなかった。小鳥さんの夫の霧島教官も、俺を待っていてくれたのだ。反射的に敬礼してしまったが霧島教官も敬礼を返してくれて、そんな夫の姿を随分久しぶりに見た小鳥さんが「凛々しいわ~」と目をハートマークにしたお陰で、ファインプレーとして皆に受け止めてもらえた。初参加の下っ端としては、ありがたい限りだった。

 ありがたいと言えば、鈴姉さんも講堂にいたのは視界が霞むほどありがたかった。鈴姉さんと離れ離れになったことは俺が意識していなかっただけで、本当はしこたま堪えていたようなのである。ただ「鈴音だけ翔君を抱き締めてズルイから、今日は私もって思ってたのに~」「・・・ってことは、鈴姉さんが小鳥姉さんに話したんですか?」「うむ、そうだ。小鳥の悔しがりようと言ったら無かったぞ」「ムキ~~!」には、参ったけどね。

 と、ここまでは感謝系の出来事だったが、驚愕系の出来事も一つあった。なんと、


「翔君、初めまして。この講義の講師を務める、深森雄哉(ゆうや)だ。孤児院時代は妻の鈴音に、とても良くしてくれたそうだね。翔君、ありがとう」


 との口上どおり、この講義の講師は鈴姉さんの夫の、雄哉さんだったのである。ヒエエ――ッッ!!

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