十六章 授業とひ孫弟子初講義、1
明潜在意識の機能を利用し、午後11時過ぎに目覚めた。今夜はひ孫弟子の講義の初出席日だったので、普段より15分早く起きたんだね。起きたと言っても瞬き一つせず、そのまま意識投射するんだけどさ。
なんとなくだけど明潜在意識の目覚まし機能には、意識投射を無意識に行う機能も含まれている気がする。その方が効率的でも、俺はまだ意識投射の初心者。鈴姉さんに一度見せてもらったように3秒以内の意識投射を習得すべく、自動機能は使わないことにしていた。それが実りつつあるのだろう、16―32―16 呼吸の呼気の間に、
スルリ
と体を離れることが出来た。そしてそのまま、食堂にテレポーテーションする。この学校は孤児院と違い、食堂の犬猫スペースで犬や猫は寝ていたんだね。
意識投射して出席する授業が今月から10日になったと伝えていたのを、ちゃんと覚えていたのだろう。テレポーテーションした俺が胡坐をかいて座るなり、虎鉄がテレパシーで語り掛けてきた。この学校に来て初となる会話だったので話す量が多すぎ、言葉を用いないテレパシーに頼るしかなかったのである。だがその甲斐は十分あり、ほんの数十秒とは思えない膨大な情報を俺達はやり取りした。虎鉄が送って来た大半は「引っ越したここでも猫や犬たちと仲良く快適に暮らしている」に分類されるものだったので、俺は心底安堵した。猫にとって引っ越しは、ストレスがとても大きいからだ。もっとも送って来た情報の中には、「女子寮の猫によると翔は一番人気らしいにゃ。翔はあの子たちの中から、番を見つける気なのかにゃ?」を筆頭とする、頭を抱える系のものも少数含まれていたけどね。トホホ・・・・
その反面、気になって仕方ない情報も一つあった。それは、冴子ちゃんに関する情報。なんと冴子ちゃんは女子寮で活動する際、大人の姿になっているそうなのである。それだけでも気になるのに、「オイラが今まで見た女性の中で、戦闘力と美しさが断トツ一番だったにゃ」との情報が加えられていたものだからさあ大変。「ええッ、どんな感じなの?!」「体の使い方が達人中の達人にゃ。女性の頂点に君臨する女帝で間違いないにゃ」「冴子ちゃんマジパネエ! 容姿はどんな感じ?」「脚がビックリするほど長くて、髪も長くてキラキラしてて、顔は今より少し柔らかくなった感じにゃ。幸せに満たされた大人の女性を形にしたようで、女の子たちに崇拝されていたにゃ。あと、胸がとても大きかったにゃ」「む、むむ、胸がとても大きい・・・」「ん? 翔は闇落ちしたいのかにゃ?」「と、とんでもないで御座います虎鉄殿!」 なんて具合に最後は多少危険だったけど、虎鉄とのテレパシーは非常に有意義だった。またテレパシー会話中に犬と猫が全員起きて、挨拶できたのも嬉しかった。優秀な犬猫ほど睡眠中も周囲の変化に敏感、かつ精神生命体にも敏感なため、意識投射中の俺に気づいて目を覚ますのは犬猫にとって名誉なこと。と前の孤児院で聞いていなかったら、起こしちゃってゴメンと思ったはずだけどね。
という訳で意思疎通を十分し、すべての犬猫と挨拶を済ませた俺は、訓練場へテレポーテーションした。そして母さんの授業を受けるためだけの世界を創造するなり「こんばんは翔」と、母さんがやって来てくれたのだった。
母さんの授業には、顕著な特徴がある。それは深遠な神秘を手短に告げて短時間で終了する、という特徴だ。これは肉体を有したまま大聖者の授業に参加した際の方法に準拠していることを、俺は知っていた。数年前にたった一度だけ、母さんがそう教えてくれたんだね。だから当然と言えばそれまでなのだけど、最高の集中力を発揮して一言も聴き洩らすまいと決意して授業に臨むのが毎度のこと。今回もそれが活き、俺は密かに胸をなでおろしていた。
「9つの波長を今から実演します。この波長によって、三次元物質界は9つに分けられています。並行世界は無数にあるのではなく、9つなのですね」
この教えにもし俺が息を呑んでいたら、俺の住むこの世界が3番目の波長であることを見落としていたかもしれない。という想いを頭の隅に分離し、ある桁ごとに物質を固形化させる9つの波長に俺は集中した。高められる一方だった波長が高まりを止め、今度は少しずつ低くなっていく。そして元の波長に戻った母さんは一拍置き、母神様として微笑んだ。それが、授業終了の合図。俺は椅子から立ち上がり、謝意を述べて腰を折る。
これをもって、本日の授業は終了したのだった。
その後は恒例の、雑談タイムとなった。俺が先に話していい空気だったので、遠慮なくそうさせてもらった。
「母さん、霧島教官の学校に配属していただき、感謝します」
「見どころのある若者だって、翔をずいぶん褒めていたよ」
母さんはそう言って、やたら機嫌よさそうにしている。母親のありがたみをしみじみ感じつつ、二つ目の感謝に移った。
「勇の要望を聞き入れてくれたことも、深く感謝します。友人としてのみならず剣術の先生としても、勇は俺にとってまこと得難い奴です。人生で最も熱い7年間をアイツと過ごせて、俺は幸せです」
「男の子にとって、親友は格別だからね。翔、充実した毎日を過ごしてね」
はい過ごします、と尻尾をブンブン振った俺に、母さんはちょっぴり寂しげな笑みを浮かべた。気軽に頭を撫でさせてあげられない年齢になったのだから、こっちも気軽に尻尾を振ってはならなかったことを、俺は忘れていたのである。ガックリ項垂れるも、項垂れたお陰で「ふふふ、翔は優しいね」と背中をポンポン叩いてもらえたのだから、今日の所はこれで良しとしよう。
「冴子ちゃんの件も感謝します。女子寮の子たちにとっても冴子ちゃんにとっても、あれが最良と俺も思います。母さんはさすがです」
「ううん、凄いのは翔と冴子よ。私に凄いところがあるなら、それは素晴らしい子供達をたくさん持てたことね。もっとも翔も女の子たちに、たくさんモテているようだけど」
たくさんモテているの箇所で顔を引き攣らせたところ、なぜか母さんに大ウケした。いや大ウケと言うか「頭を撫でる許可をくれてありがとう~」と意味不明なことを宣い、母さんは満面の笑みで俺の頭を撫で始めたのである。しかし多少の意味不明さなど、母神様の笑顔の前では跡形もなく消え去るのがこの宇宙の理。俺は尻尾をプロペラ化して、雑談タイムの最後となる話題に移った。
「母さん、舞ちゃんが戦闘順位を5万飛び越えた件を、俺はこう考えます。舞ちゃんは一つ上のグループでも筆頭に上り詰めることができ、そしてその実績を背景に、呼吸法等を希望者へ教えていく。どうでしょうか?」
「舞は孤児院時代にあれほど頑張ったのに、意識投射を最後までできなかったわ。翔、なぜだと思う?」
そうなのだ、舞ちゃんは結局最後まで意識投射をできずじまいだったのである。言うまでもなく俺も原因を必死に考えたが、未だ推測すら立てられていないのが現状だ。正直にそう答えた俺に「今なら話せるわ」と、母さんは悲痛な表情を向けた。
「意識投射できたら、翔の隣にいられる。これが舞の、最も強い動機だったわ。でもそれは、舞の深層心理と相いれない想いだったの。深層心理と相いれなくても努力し続ければ、それを可能にする力を人は持っている。あれだけ強く願い、あれほどの努力を長期間続ければ、可能にしてしまうのが普通ね。でも舞の深層心理は、それに負けない清らかさを最後まで保った。翔の隣にいられるという想いは、慢心と依存を由来とする欲求。その欲求では、本体由来の欲求に届かない。舞の深層心理は、そんな低俗な欲求を翔に向ける自分を、最後まで拒み続けたのよ。これが、意識投射できなかった理由ね」
「母さん、俺にも同種のことは起きていますか? 愚かな俺を高潔な俺が止めてくれたこと、もしくは現在進行形で止めてくれていることが、俺にも?」
「翔は、自分が愚か者なことを嫌というほど知っているわ。それが、現在進行形ね」
鈴姉さんの講義で教えてもらった、「心の貧しい者は幸いである」が脳裏に蘇った。ひ孫弟子候補の講義に、下っ端として出席するのは楽しかった。へなちょこの俺を皆さんとても可愛がってくれたし、そしてそんな皆さんの恩に報いるためにも自分を磨き続けようと、真摯に思えたからだ。その楽しさを、今こうして振り返ると孤児院時代の舞ちゃんは、感じていなかったように思う。そこから得た閃きを、俺はそのまま言葉にした。
「舞ちゃんは、先頭に立って皆を導くのが苦手でした。その苦手には、慢心しやすい面と依存しやすい面の二つも含まれていたとすれば、5万飛び越えに整合性がとれます。二つの面を否が応でも自覚し、かつ手放しやすいのが、今の学校だからです。戦闘順位を5万も飛び越えているのですから、自分を落ちこぼれと感じる度合いは、通常の200位の比ではないはず。よってそこは慢心から最も遠い場所であると共に、俺に依存せず努力を重ねていかねばならない場所でもあります。またその学校は俺と同じグループなのですから、筆頭や準筆頭になれば、俺の隣にいることにもなるでしょう。そして何より重要なのは、戦闘順位を5万飛び越えようと、筆頭になる実力が舞ちゃんにはあるということ。これが、舞ちゃんの件に託した母さんの想いではないかと、俺は推測します」
「ふふふ、翔はホント優秀ね。母さん嬉しいわ」




