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食堂にいる生徒200人が一斉に、唾をゴクンと呑みこんだ。その音を合図に、映像が切り替わる。それは人類大陸の北端を、人工衛星の軌道から捉えた映像だった。その映像の中央に、東西6000キロ南北330キロの、人工の土地が広がっている。その土地の東半分に孤児院や戦士養成学校があるのは知っていたけど、西半分がどうなっているかを俺は知らない。それは生徒全員に共通しているのだろう、誰もが西半分へ視線を向けているようだった。それに応えるが如く映像の焦点が西側へ移り、土地の一点をみるみる拡大していく。拡大するにつれ西側の土地が、一辺100キロほどの正方形に仕切られていることと、正方形に仕切る壁の高さが100メートル前後あることが判ってきた。一辺100キロと高さ100メートルという目算は正しかったらしく、映像にそれぞれの数値が記入されていく。その後も拡大は続いたが、信じがたいモノを中央に映すと同時にそれは止まった。その信じがたいモノは、生きているゴブリン。そう、俺達のいる人口土地の西半分には、ゴブリンが生息していたのだ。
「アトランティスの科学力をもってしても、周囲に被害を及ぼさず生きたまま捕らえておけるのは、闇族最弱のゴブリンのみ。高さ100メートルの壁が人工の輝力を薄っすら放つことで、一辺100キロの土地に6万のゴブリンを閉じ込めているのだ。そのゴブリンとある条件下で戦い勝利するのが、20歳の試験の二次試験。その条件とは、ゴブリンの纏う闇力を百倍に感じる機械を装備すること。先ほどの言葉を、今一度繰り返そう。百倍に増幅したゴブリンの闇力に対抗しうる最高の力は、お前達が今日から育てていく、不屈の心なのだと」
食堂に二度目となる、唾を飲み込む200の音が響いた。それを機に、映像が逆再生されていく。ゴブリンがみるみる縮小され見えなくなり、一辺100キロの正方形もサイコロほどの大きさになった時、逆再生が終わった。映像は続いて、南への移動に替わる。人類大陸の北端から赤道へ、そして赤道を超えて更に南へ移って行ったのだ。その移動が、俺にとって馴染み深い場所で止まる。その場所は、超山脈。赤道の4000キロ南にある、東西5500キロ南北500キロ最高峰9500メートルの、超山脈だったんだね。
「本物の戦闘で最高の力となる不屈の心を育てるには、どうすれば良いのか? またどのような試験をすれば、不屈の心の強弱を測れるのか? 二つの問いの答は、超山脈にあった。酸素ボンベやテント等を一切持たず、戦争時の装備だけを身に着け、超山脈を三日以内に縦断する。これが20歳の試験の、一次試験だ。現時点ではほぼ全員にとって、それはただの自殺行為でしかない。だが7年後はそれを成さない限り、戦士になれない。ちなみに毎年、この試験を数時間で終えてしまう者が極僅かいる。簡単すぎて時間の無駄だから一往復したいと申し出る者も、数年に1人いるな」
教官がそう話すや、食堂がどよめいた。だが唾を飲み込む音と異なり、それは生徒全員によるどよめきではなかった。なぜなら少なくとも俺と、そして隣に座っている勇は、それに参加しなかったからだ。参加しなかった代わりに「ああ俺は間違いなく、一往復を申し出るんだな」という確信を、俺は胸に感じていた。加えて、
「なるほど、そういう事だったのか」
とも、俺は胸の中で呟いていた。鈴姉さんの講義を一緒に受けていた春雄さんが数年前に言った「戦士の一次試験に合格したら会えると思うよ」を、やっと理解できたんだね。
けどそれについて考えるのは後にして、超山脈縦断テストに深く関わるはずの、来月の合宿の説明に今は集中した。
「闇族との戦争は、超山脈南側の大平原で行われる。よって大平原の北端に、戦士及び戦士養成学校の生徒の訓練場が多数設けられている。そこを使い、二泊三日の合宿を来月下旬に開く。原則として強制参加、合宿の回数は年三回。出発予定日は5月23日、出発時刻は0700。1千人乗りの中型飛行車で片道45分の旅だ。超山脈南麓の東側に男性の訓練場、西側に女性の訓練場が設けられているため、飛行車に女子は同乗しない。近隣学校の五校合同で向かうことになる。その女子に関し、重要事項を通達する」
奇妙なほどの静寂が食堂に降りた。皆が皆、固唾を呑んで教官に注目している。女の子に関する重要事項に、興味津々なんだろうな。
「広場を挟んだ女子寮でも、同じ会合が現在開かれている。だが、不屈の心の重要性を説くさい、内臓をまき散らし絶叫しつつ死ぬという描写を女子にはしない。男と女は、戦争へ赴く動機が異なるからだ。1900年間の統計により、十代は男の方が戦争への士気は高く、それ以降は女の方が高くなることが判明している。女は母になると、生まれ変わったかのように心が強くなる。出産の苦しみを知るからだろう、内臓云々の描写を聞いても、母になった戦士は眉一つ動かさないそうだ。はっきり言っておこう、彼女達がその心を獲得するまでに同じ高みに上っておかないと、見下される未来が待っているとな」
マジか、に類する呟きが方々から聞こえた。今は私語がある程度認められている時間なのだろう、周囲の奴らと交わす小声の会話が食堂に満ちている。101号室の皆も例外ではなく、例外は俺一人のようだった。それは俺が女の子に興味がないからではなく、冴子ちゃんに女子の胸中を教えてもらっていたからだ。ありがとう冴子ちゃん!
ほどなく、霧島教官が手を叩く音がした。続いて川口副教官が「教官に注目!」と号令をかける。一斉に伸びた200の背筋に、教官は満足げに頷いた。
「男女が自由時間に広場で待ち合わせて会話することを、学校は禁止しない。だがその際、内臓云々の話だけは彼女達にするな。そしてそれを、心を強くする鍛錬の一つと捉えよ。もう一度言う、彼女達が強き心を半ば自動的に獲得するまでに同じ高みに上っていないと、見下される未来が待っているとな」
鈴姉さんも、鈴姉さんの講義で知り合ったお姉さま達も、戦士ではなかった。それどころか戦士養成学校の卒業生は、少数派だった。鈴姉さんの講義の生徒がたまたまそうだったのか、もしくは全体的な傾向なのか。今度メールで訊いてみないとな。
女子に関する話は以上で終わり、合宿の日程の簡単な説明に移った。その説明に、俺は心の中で「ヨッシャー!」と叫んでいた。なぜならやっと、100メートルの全力疾走のタイムを計れるからだ。
今の俺は理論上、100メートルを1秒で走れる。だが一辺100メートルしかない訓練場でそれをするのは自殺行為でしかなく、悶々とした日々を俺は強いられていた。その悶々を、合宿でやっと払拭することが出来る。一年時の合宿の最大目的は基本的に、短距離走と中距離走と長距離走のタイム計測にあるからだ。
教官によると短距離走は、モンスター戦に直結するという。闇族との1900年の戦争を分析した結果、100メートルのタイムが1秒を切らないと、ハイゴブリンにまず勝てないそうなのである。1秒を切ったからと言って必ず勝てるわけでは無いが、1秒を切らないと敗北の可能性が極めて高いと教官は語った。




