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「翔、マジ痛い! ギブギブ、ギブアップ~~!!」
どうやら技を真剣に掛け過ぎてしまったみたいだ。俺は卍固めを解き、勇に謝った。勇は首を痛そうに回しつつも「気にするな~」とゲラゲラ笑い、俺も釣られて笑っていたら、
「そうだ翔、あれを覚えているか?」
勇が出窓の棚を指さした。覚えていないどころか、棚の上に何も乗っていないように見えるのがホントのところ。しかし勇がそう言うからには、俺が見逃しているだけなのだろう。そう思い凝視していたら、勇にいつの間にか背後を取られていた。そして、
「あらよ」「え?」「ほいさ」「うわっ」「よっこらせ」「どわわっ!」
てな具合に、今度は俺が卍固めを掛けられてしまったのである。身体能力も格闘センスも俺より高い勇がお手本のように掛けたことと、卍固めを見るのは二度目だったことの相乗効果により「なるほど!」「そういう事か!」「うおお、俺もして~!」と、8人の野郎共はさっき以上に盛り上がっていた。ならばそれに花を添えるべく痛がる演技をするのがお約束なのだけど、体があり得ないほど柔らかい俺にこの手の締め技は、あまり効かないんだよなあ・・・・
と思っていたら勇はそれを見越し、右の肘で俺の肋骨にグリグリ攻撃をしかけてきやがったのである。さすがに痛くて本音の「ギブギブ!」を連発したところ、勇は仕方なさげにグリグリを止めるも、その代わり俺の右脇くすぐりを始めたものだからさあ大変。
「ギャハハ、止めろ~!」「ふふん、やなこったい」「お願い、ギャハハハハ~~!」
卍固めでがっちりホールドされた俺は勇の容赦ないくすぐりに、さらされ続けるしかなかったのだった。
笑い転げて腹筋を酷使し過ぎると、腹筋以外に力が入らなくなる事がある。いや笑い転げるという現象自体が、その好例に違いない。腹筋以外に力が入らなくなったせいで立つことも座ることもできなくなったのが、笑い転げるって事だからね。
通常ならそれは、価値のある素晴らしいことに分類されるはず。特に十代の俺達が友人と笑い転げることは、青春の輝きの一つと言えるだろう。それについて、俺は微塵も疑っていない。6年ぶりに再会した勇と卍固めを掛け合い笑い転げたことは、生涯忘れない楽しい思い出になると信じているからだ。が、
「トイレ、トイレに行かせてくれ! ギャハハハ!!」
という今の状況に限定すれば、楽しいだけとは言えない。尿意を我慢する苦痛のみならず、我慢できなくなってしまった未来への恐怖も覚えていたからである。しかも、
「ふむふむ、翔はトイレに行きたいんだな」
「トイレより皆との挨拶を優先して、ここに来たんだよギャハハ!!」
「ほほう、翔は男の中の漢だな」
「だろ! だから俺に、小便を漏らさせるなギャハハハ~!!」
という勇とのやり取りが、同室の野郎共を爆笑させているのだから始末が悪い。7年間の寮暮らしの初日に大ウケできてラッキーと思う反面、このままだと冗談抜きで漏らしてしまうのではないかという恐怖に、俺はさらされていた。幸い、
ピピピッ ピピピッ ピピピッ♪
てな具合にアラームが鳴ったお陰で、卍固めは解かれた。午前9時から開かれる会合に遅刻せぬよう、8時50分にセットしていたアラームが鳴ってくれたんだね。卍固めを解かれるなり、股間を抑えつつ前かがみになってトイレに駆け込んだことで大爆笑を最後にかっさらえたから、苦痛や恐怖があったにせよ収支は大黒字だったと俺は考えている。
膨らみきった膀胱を空にすべく通常の三倍近い時間をかけて用を足している最中、同室の9人もトイレにやって来た。そして10人横並びの、連れションタイムが訪れる。さっきの大爆笑とこの連れションだけで皆と友人になれた、そんな気がした。
食堂で開かれた会合は、想像の何倍も重要な会合だった。20歳の戦士試験の概要が、初めて明かされたのである。それは食堂北側に映された闇王の3D映像に、根源的な恐怖を覚えたことから始まった。
「闇王の保有する闇力はあまりに膨大なため、非戦士は500メートル以内に近づいただけで命の危険にさらされる。それに比べたらゴブリンやハイゴブリンのまとう闇力は微々たるものだが、ゴブリンは1億体、ハイゴブリンは1千万体いる。数によって強化された闇力を侮ったが最後、戦いにならぬまま命を失うことになると肝に銘じておけ」
荒涼とした大平原に、1億体のゴブリンが集結している実写映像が新たに投影された。体がブルッと震え、冷たい汗が背中を伝ってゆく。俺は知らぬ間に拳を握り締め、歯を食いしばっていた。霧島教官の声が引き続き食堂に響く。
「お前達はまだ、虚像のゴブリンとしか戦っていない。そのせいでお前達は、豊富な輝力と精巧な輝力操作と巧みな剣術があれば本物のゴブリンに勝てると、勘違いしている。命に係わる事なのでもう一度言うぞ。お前達はまだ、そう勘違いしているのだ」
1億体のゴブリンを空中撮影した映像に、闇王の映像が重なる。全身から吹き出た冷や汗に、思い知らされた。ああ俺は実戦で使いものにならない、ガキだったのだと。
「実際の戦闘で最も重要なのは、不屈の心だ。1秒前まで隣にいた戦友が胴体を切断され、内臓をまき散らし絶叫しながら死ぬ様子を目の当たりにしたとき、お前達を助ける最高の力は輝力でも輝力操作でも剣術でもない。それらを持っていようと恐怖に捕らわれ足がすくみ立ち止まった瞬間、内臓をまき散らし絶叫しつつ死ぬ順番が自分に巡ってきてしまう。それが、本物の戦争。そして、巡って来こようとする死を遠ざける最高の力こそが、不屈の心なのだ」




