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 講義が終了しても、若林さんは席を立たなかった。微動だにせず宙の一点を見つめているから、教えられた内容を振り返っているのだろう。邪魔しちゃ悪いと思い静かに席を立ち、講堂後方の出入り口へ体を向けた。

 出入り口の周囲に先輩方がいつもどおり集まり、雑談している。時間は短くともあの雑談はとても楽しく、新参者の俺を先輩方は親密な空気で毎回包んでくれた。俺はこの五年間、まこと良くしてもらってきたのである。なのに俺はこれから、敬愛してやまない先輩方に、この講義を去ることを伝えねばならない。ティペレトを見せてくれた母さんに感謝しつつも、もっともっとこの人達と一緒にいたかったと、俺は歯を食いしばりながら歩を進めていた。そんな俺の耳に、


「あっ、翔君が来た!」「翔君、早く早く!」「「「こっちにおいで~」」」


 先輩方の声が届いた。その瞬間、わかってしまったのだ。ああ皆さん、知っていたんだなと。


「「「「翔君、ひ孫弟子への昇進、おめでとう~~!」」」」


 先輩方が全員で声を揃え、そう祝ってくれた。皆さんのお陰ですと、一人一人へ謝意を述べていく。だが俺にできたのはそこまでで、あとは泣いているばかりだった。おそらく俺にとってここは、親戚の集まりになっていたのだと思う。意識投射中は、想いが相手に伝わりやすくなる。そんな環境で皆さんに大層かわいがられた俺は、月に一度の数時間を、きっと何十倍にも何百倍にも感じていたんだろうな。

 俺が泣いている間は、男の先輩方が場をもたせてくれた。もらい泣きしているお姉さま達に代わり、鈴姉さんに幾つか質問したんだね。


「ひ孫弟子になると、同胞団の正規団員として仕事を割り振られるんですよね。翔君は、戦士を目指す非常に優秀な子と聞いています。訓練漬けになることで有名な戦士養成学校に進学した翔君に、仕事をする時間はあるのでしょうか?」「はっきり言って、無いな。しかし無いが故に、安心して欲しい。我々は翔に、無理難題を押し付けるような組織ではない。翔が仕事をするのは、20歳以降ということで決定しているよ」「それを聞いて安心しました」「すみません、俺からも質問させてください。翔君が次回以降出席する講義も、地球出身者限定なのですか?」「いや、違う。正式なひ孫弟子の講義に、本体の色以外の限定はない。ちなみに色の限定を外しても、未成年は翔だけだそうだ」「そりゃ凄い」「さすが翔君」「先生、可能なら教えてください。戦士養成学校の生徒でひ孫弟子になる子は、極めて少ない気がするのですがどうでしょうか?」「我が師によると、前代未聞では辛うじてない、だそうだ。もっとも翔はひ孫弟子ではなく孫弟子にもなれる資格を有していて、それは前代未聞らしい。ただしイエスキリストのような方々は、除くがな」「ああ確か、イエスキリストが地球の卒業資格を得たのは、11歳でしたよね」「じゅっ、11歳ですか?!」


 数分遅れて雑談の輪に加わっていた若林さんが、輪の最外周部から驚愕の声を上げた。続いて我に返り「すみませんでした!」と慌てて腰を折った若林さんに、先輩方が「「「全然いいよ~」」」と声を揃える。しかし全然いいのは嘘でなくとも、新メンバーのこうもピュアな驚きを目にしたら、黙っていられなくなるのが先輩というものなのだろう。


「若林君、イエスは長髪に描かれることが多いけど、本当は坊主頭だったんだよ」「えっ」「しかも髪は赤色、目は青くて肌は白かったんだ」「なっ!」「あとイエスは、伝えられているよりずっと多くの地域を訪れていてね」「えっ」「特に復活後は世界各地に行ったけど、復活を経て容姿を変えたこともあって、イエス来訪の伝説はほぼ残っていないみたいなんだ」「ななっ!」「そうそう若林君は、翔君と同じ元日本人だよね」「は、はい。翔先輩と同郷です」「復活後のイエスは後漢の光武帝のころ中国を訪れ、そこに流れ着いていたユダヤ十支族の一つを教えられてね。その支族が海を渡り、日本に永住したんだよ」「な、ななっ!」「翔君によると、それを示唆する様々な痕跡が日本にはあるようだね。我々は遺伝上の先祖をさほど気にしないけど、日本人とユダヤ人の多くは前世を辿ると太平洋の失われた陸地に辿り着くから、そこは興味をそそるな」「なななっ!」「といっても遺伝上の直系子孫は日本人ではなく、アボリジニなんだけどね」「なななな~~!!」「「「「アハハハ~~!!!」」」」


 てな具合に先輩方は若林さんをイジリまくり、もとい驚愕させまくったのである。同郷だからか驚いた時の若林さんは俺と仕草が似ていて、先輩方は大満足したようだ。うんうん、良かったなあ。

 ムー、もしくはレムリアの子孫を名乗る日本人が、俺の前世では年々増えていた。縄文人、特に琉球の縄文人は確かに遺伝子を受け継いでいるけど、血はかなり薄いと言わざるを得ない。実際アボリジニは由来の判明していない塩基配列を保持していても、日本人は失っているからさ。

 そうこうするうちお開きになり、若林さんを加えた全員で空を飛んで帰った。5年前も皆とこうしたことが思い出され、寂しさが胸にせり上がってくる。それを気遣ってくれたのかは定かでないが、5年前をなぞるように小鳥さんを始めとするお姉さま方に、髪をグチャグチャにされた俺だった。アハハ・・・・

 そうそう小鳥さんといえば、鈴姉さんが言っていた「近隣都市に伝手がある」の伝手は、小鳥さんかもしれない。「寂しいから家まで送って~」と懇願する小鳥さんと一緒に辿り着いた都市が、孤児院の西南西の比較的近くにあったからだ。来月入学する戦士養成学校が今の孤児院の西にあるなら、あの都市は最寄りの都市になると思うんだよね。

 その後は鈴姉さんと二人だけで空を飛んだ。ゆっくり移動したお陰で、鈴姉さんの4人のお孫さんの話を初めて聴くことができた。4人とも戦士養成学校に入学したが一番上は戦士になれず、下の3人もまず無理とのことだった。ただ伴侶は全員見つけたらしく、それはとても嬉しいことのはずなのに、一番下の孫娘の父親だけは違ったそうだ。


「孫娘は翔の一つ歳上でね。13歳の娘が夏休みを利用し、将来の伴侶を家に連れて来たとき母親ははしゃいだそうだが、父親は泣き崩れたらしい。私の夫は、そんなこと無かったのだがな」


 どう返せば良いか分からなかった俺は、とりあえず無難な「鈴姉さんの伴侶さんは、どういう方なんですか?」を選んだ。それは正解だったのだろう、鈴姉さんは大輪の花のように笑って俺は安堵したのだけど、


「ふふふ、ナイショだ」


 との意味不明の言葉を最後に、会話が終わってしまったのである。といっても鈴姉さんは花の笑みをずっと絶やさなかったから、空気は軽やかなままだったけどね。

 だがその代わり、孤児院の裏に着地し別れる時は、鈴姉さんに泣かれてしまった。数時間前の執務室とは異なりオロオロするばかりの俺に、鈴姉さんは涙を拭いププッと噴き出す。そして、


「私を泣かせたくないなら家に遊びに来るんだよ、2人で待っているからね」


 そう言って俺をギュッと抱きしめ、鈴姉さんは院長室へ去って行ったのだった。


 ――――――

 

 翌3月2日。

 午前6時10分の、訓練場。

 東の空を食い入るように見つめつつ、俺は涙を流していた。

 視線の先にあるのは、昇りかけの太陽。

 朝日に手を合わせ、語り掛けた。


「あなたはティペレトの、物質的顕現だったのですね」


 そうだよ、とはにかんでもらえた気がした。

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