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これが、第四光のティペレトを第六光として記入してしまっている変形十光が生まれた経緯だと、母さんは肩を落としたのだった。
かくして今日の授業は終わった。俺は改めて、母さんに感謝を伝える。
「鈴姉さんの講義の前に母さんが授業をしてくれていた理由を、今日やっと知りました。おしゃべりの時間を大切にしていたことも理解でき、母さんへの感謝で今俺は一杯です。もちろん、言葉ではなく行動で示すことの重要性を理解していますから、母さんへの感謝を皆への奉仕に変えて一日一日を生きていきます。どうか今後も、俺を見守ってください」
腰を折った俺の頭を、母さんが撫でた。それは構わないというか、本音では嬉しい事なので俺は無意識に尻尾をブンブン振っていたのだけど、それがピタリと止まった。母さんが残念そうに、こう呟いたからだ。
「今日を機にひ孫弟子候補を卒業してひ孫弟子になるから、こうして撫でてあげられるのもこれが最後なのかな。寂しいわ」
「・・・・母さんあの、今俺とんでもないことを耳にした気がするんですけど?」
「ん? もうこの子ったら、母さんに撫でられなくなるのが悲しいのね。仕方ないなあ、あと数年はこうしてあげるから泣かないのよ」
「いやあの、えっとですね。あと数年こうしてもらえるのは、嬉しいと潔く認めます。ですから、その前の言葉について質問させてください。『今日を機にひ孫弟子候補を卒業してひ孫弟子になる』って聞こえた気がしたんですけど、俺の聞き間違いですよね?」
「ううん、聞き間違いじゃないわ。正式なひ孫弟子になる条件の一つに、『ティペレトを目視する』があるの。バラしちゃうとそれはひ孫に留まらず孫弟子の条件でもあるのだけど、戦士を目指している翔は孫弟子としてまだ働けないから、ひ孫弟子をしばらくしてね」
「・・・・母さんは、俺が寝る前に鈴姉さんと話していたのを、見ていましたか?」
「もちろん見ていたわ」
「執務室の入り口に立つ俺に鈴姉さんは、『そろそろ来るかと思っていた』と言いました。それは俺が今日、母さんに連れられて真の四次元を目指すことを、鈴姉さんは知っていたという事でしょうか?」
「そうね、知っていたわ」
「母さんあの、俺泣きそうなんですけど、孫弟子になったら春雄さんのように、鈴姉さんの講義にはもう出席できないんですか?」
「この準創像界には、ネガティブモドキを持ち込めます。悲しかったら、思いっきり泣きなさい」
「1分だけください。地面に突っ伏して泣きますね」
少々見栄を張り1分と言ってしまった手前、時間内に納めねば男が廃る。俺は1秒を惜しんで地に突っ伏し、鈴姉さんとの分かれを泣いたのだった。
――――――
今日の授業が終わり、感謝を込めて母さんに手を振る。といっても二十分と経たず、また再会するんだけどね。
俺が創造した準創像界を去り、通常の準創像界へ戻る。そして超山脈のオリュンポス山を目指し、無辺の空をカッ飛んで行った。空を飛ぶことへの恐怖がなくなればオリュンポス山にテレポーテーションしていいのに、今もこうして空を飛んでいるのは、こっちの方が断然楽しいからだ。効率重視でテレポーテーションしてこの爽快さを手放すなど、もったいなさ過ぎるのである。かくなる理由により、今日も今日とて心の中で「ヒャッハ~ッ!」と叫びつつ、俺は空をぶっ飛んでいった。
そうこうするうち目的の建物の屋上に着き、講堂へ向かう。今日は新メンバーが加わる日だからどうか俺の時と同じでありますように、との祈りが通じたかは定かでないが、扉を開けたすぐの場所に鈴姉さんが立っていた。俺は腰を直角に折って詫びる。
「鈴姉さん、孤児院の執務室で理不尽な怒りをぶつけてしまい、まことに申し訳ございませんでした」
「翔、顔を上げなさい。あれは理不尽な怒りではなかったし、ああして怒ってもらえて私はむしろ救われたのだ。夏と正月だけ帰省する息子とは、あのような本音の語らいを、したこと無かったからな」
「そうよ翔君、鈴音の言うとおりよ」「会えるのは年にたった二回だから母親は可愛がるだけ、子供達は可愛がられるだけで、帰省期間が終わってしまうのよ」「ああ私も、先生と翔君のような本音トークを、息子としたかったなあ」「娘とは恋バナで距離を縮められても、息子は難しいのよねえ」「それは俺たち父親も同じだよ。息子とは腹を割って語り合えても、娘は適切な距離を心がけつつほどほどに可愛がることしかできない」「近づき過ぎるとあからさまに避けられ、過度に可愛がると気持ち悪がられる」「娘が年頃になると、父親は寂しいよな」「「「「だよな・・・」」」」
こんな感じに先輩方がワラワラやって来て親の苦労について語り合ってくれたお陰で、俺の謝罪が講堂の空気を悪くすることは避けられた。まったくもって、先輩様々である。この素晴らしい先輩方とも暫く会えなくなるんだな、と思ったらさっきの1分が蘇りかけたけど、こちらも回避できた。いや回避できたなんて、能動的な表現をしたら嘘になる。なぜなら鈴姉さんが、
「ふふふ、せっかく詫びてもらえたのだから、役得ってことで手を打とう」
などと宣い俺の頭を撫でたため、蘇らなかっただけだからだ。鈴姉さんには執務室の件で負い目があるし、そもそも嫌な振りをしているだけなので撫でる手が一本だけなら問題なかったのだけど、この状況でそれをするなんて本当は俺に腹を立てているんですか鈴姉さん!?
「あっ、鈴音だけズルイ!」「私も撫でる!」「キャ~、久しぶりのサラサラ髪!」「ああ、癒される~」「「「「だよね~~!!」」」」
てな具合に、事実上の撫で人形にされてしまったのである。春雄さんがいたら違っていたのだろうが、今の生徒代表はお姉様なこともあり、この講義は女性の発言力がすこぶる上昇していたんだね。トホホ・・・・
幸い母さんの気配が屋上に降り立ったのを機に、俺は解放された。だが先輩方の後ろへ移動しようとするや、幾本もの手が素早く伸びて来て再び拘束されてしまった。いや拘束は冗談だけど鈴姉さんの隣という最も目立つ場所に、立たされ続けたのである。勘弁してください先輩方、俺こういうの苦手なんですって!
そうこうするうち母さんが扉を開け、新メンバーの男性と一緒に入ってきた。アトランティス人の年齢の見当が未だてんでつかない俺と異なり、生徒代表を務める小鳥さんがテレパシーで教えてくれたところによると『若いと思う。10代後半、いや終盤くらいかな』とのことだった。
俺の時と同様、最前列中央の席を勧められた彼は、素直に従い腰を下ろしていた。ただとても緊張しているみたいだったため隣席のよしみで「空翔です、13歳のひよっ子のヘタレ者です」と小声で挨拶したところ、「若林護、18歳です。よろしくお願いします先輩」と明るい笑顔が返ってきた。直感的にすごく気が合うとわかり、こっちも笑顔になったのが良かったのか、若林さんは緊張をといたようだった。
その後、俺の時と同じく、母さんと一緒に全員でアウムを唱えた。若林さんも教えてもらっていたのだろう、アウムというたった三文字に2分かける唱え方をしっかり身に着けていた。それにしても母さんのマントラは、やっぱ一味も二味も違うよなあ。
マントラを終え、母さんが講堂を去っていく。全員立ち上がって見送ったのは俺のときと同様だったが、俺の胸中は前回と大きく異なっていた。前回は余裕がなくて気づかなかったけど、先輩方にとって母さんは、新メンバーが加わった今日のような特別な日にだけ会える超特別な人みたいなのだ。美雪を介して6歳のときに出会い、月に二度母さんと会話している俺は、宝くじの一等に当たったが如き幸運を享受していたのである。こりゃ皆への奉仕を一段強化せねばならぬぞと、俺は心の中で闘志を燃やしたのだった。
オウムと書いたりアウムと書いたりしているのは、最初がアでもオでもない、アとオの中間音だからです。英語の発音記号にある e を逆さまにした音に、似ていますね。
因みにそれをア行の「な」としたのが、南無阿弥陀仏の「な」です。ア、ウム、マ、ニ、パ・・・と続くマントラムを、発音の全く異なる南無阿弥陀仏にしてしまったんですね。




