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その後も俺はゴブリンに勝ち続けた。そして連勝記録が4になったとき、
「翔が望むなら20%の速度ではなく、50%にしてもいいよ」
美雪がそう提案した。それはまさしく、俺が望んでいたこと。「願ったり叶ったりだよ姉ちゃん!」 そう答えた俺に美雪はクスクス笑い、自分の横に来るよう促した。50%で戦えることより、姉の横に来るよう呼ばれたことを喜ぶのが、姉ちゃん大好き弟というもの。横にすっ飛んで来た俺にププッと噴き出した美雪は、俺の頭をひとしきり撫でてから、速度50%のゴブリンの動画を映した。
20%から50%への移行は、速度が二倍半になるのと同義。俺は目を皿にしてゴブリンを見つめた。次いで目を閉じ、速度50%のゴブリンを思い描いてみる。何となくだが、上手く思い描けている気がした。それを確認すべく、目を開けて映像のゴブリンを注視。再び瞑目しイメージし、瞼を開けて映像のゴブリンと比べる。うん、齟齬はないようだ。
「姉ちゃん、準備できたみたい」
「よしじゃあ、ゴブリンと戦ってみま・・・」
途中で言葉を切った美雪が、しゃがんで俺と目線を同じにする。その瞳に罪悪感を見て取った俺は、先回りして伝えた。
「50%のゴブリンに、僕は今から負け続けるはず。でも諦めず挑戦し、50%ゴブリンに必ず勝ってみせる。それを続けた先に、本物のゴブリンに連勝する強い僕がいるはずだから、僕が挑戦を止めることはない。その手助けを、姉ちゃんはしてくれているんだよ。姉ちゃんどうか、僕を信じてね」
美雪の瞳から罪悪感がみるみる消えていった。安堵した俺は美雪に伝える。「行ってくるね姉ちゃん!」 美雪は「行ってらっしゃい翔」と、満開の笑みで俺を送り出してくれた。
それから二時間、俺はゴブリンに屠られ続けた。全身全霊でゴブリンに挑戦しているのだから、普通なら心身共に疲労し、午後6時の訓練終了を待たず戦闘を終えていたと思う。だが俺は、神話級の健康スキルの持ち主。幾度挑戦しても呼吸は乱れず、ほんの少し乱れたとしても深呼吸を二回すれば完全復活し、万全の状態でゴブリンに挑み続けた。そんな二時間を過ごした、午後5時。突進速度が二倍半になったゴブリンの左足首を、
スパ――ンッ
断ち斬ることに俺は初めて成功した。20%の時と同様、ゴブリンの速度が通常に戻る。
「討ち取ってみなさい、翔!」
「了解、姉ちゃん!」
裂帛の気合でそう返した俺は、ゴブリンに無音ダッシュ。全身全霊の戦闘の最中に繰り返したお陰で、急激に上達した俺の無音ダッシュが、ほんの一瞬ゴブリンの知覚力を麻痺させる。それはほんの一瞬でも、命がけの戦闘においては万金の価値を有していると言えよう。後方から接近する俺に気づくも回れ右をする時間までは無かったゴブリンの右足首を、
スパ――ンッ
切断することに見事成功した。痛みに耐えかね、ゴブリンが四つん這いになる。その右斜め前から急接近し首を斬り飛ばそうとしたが、
「ウガ――ッッ!!」
ゴブリンが相打ち覚悟の攻撃を仕掛けてきた。ゴブリンの両手が俺に迫る。その左腕をかいくぐりゴブリンの頭部の上半分を切断することに成功するも、右手が俺の首を捉えた。捉えたのは頭部の切断成功より0.1秒早く、俺の首が折られる。戦争ならば、格上の敵との相打ちは勝利として称えられるという。しかし、訓練では逆。この戦いは連敗記録を増やすだけの結果に、なったのだった。
その後、戦闘を分析し意見を出し合った。俺は敗因に「ゴブリンの右斜め前から接近した事」を挙げたが、美雪は違った。「無音ダッシュがゴブリンの知覚力を麻痺させたなら、斬る部分を変えるべきだった」と、美雪は主張したのである。想定外の指摘をされ、俺は熟考に移った。まず考えたのは、斬る部分を変えたらどのような変化が訪れるかだった。足首ではなく脹脛を斬っても、何も変化しなかった。膝下でも変化はなかった。しかし膝の上を斬ったら、その後の戦闘が劇的に変わった。俺はそれを美雪にまくし立てた。
「右脚の膝の上を斬ったら、ゴブリンは膝立ちできなかった。右膝を失っていたから、膝立ちしようにもできなかった。すると、相打ち覚悟の反撃も不可能になった。あれは地面に着いた両膝で体を固定していたからこそ、可能な反撃だったんだね!」
美雪は「正解!」と告げ、膝の上を斬るシミュレーションを見せてくれた。俺の無音ダッシュがゴブリンの反応を遅らせ、ゴブリンは俺の接近に気づきつつも、回れ右をできなかった。よって地面スレスレを跳ばずとも掴まれることは無く、普段の15センチ上を滑空できて、するとその15センチのお陰で、白薙を膝の上に届かせることが可能になったのである。
シミュレーションは続いて、その後へ移った。右膝を失ったゴブリンは四つん這いをしているように見えるだけで、実際は両腕と左膝の三か所で体を支えていた。この状態で相打ち覚悟の反撃を試みても、左膝だけで体の固定は不可能。したがって腕の速度と制御力が落ち、ゴブリンは俺の首を掴むことができなかった。そう相打ち覚悟の反撃は、失敗したのである。
という映像に興奮し、俺は拳を握り締めて雄叫びを上げた。そんな俺の頭を撫でつつ「シミュレーション映像はもう一つあるの、予想つく?」と美雪が訊いてきた。期待に満ちたその瞳に、闘志が燃え上がる。それが功を奏し、比較的短時間で閃きを得られた。
「僕の無音ダッシュがもっと上達し、ゴブリンにまったく気づかれず白薙の間合いまで入れた時の、シミュレーション映像なんじゃないかな」
「大正解! キャ―― 翔~~!!」
美雪は大正解と拍手して俺を抱きしめようとした。だが突如ハッとし、続いてそれを苦々しい表情に替えて俺から遠ざかった。前世の俺が、特に中年以降の俺が同じことをされたら「加齢臭がキツかったとか?」系のことを考え、この世の終わりの如く落ち込んだと思う。でも俺は6歳だし、強固な姉弟愛を築いている自信もあったので、美雪の胸中をどうしても計れないでいた。きっとそれが、顔に出ていたのだろう。美雪は俺の左右の頬に両手を添えて優しくマッサージしつつ「心配する必要なんてないわ、心配顔を止めなさい」と微笑んだ。姉ちゃん大好き弟が、それに従わぬ訳がない。6歳の子供に不思議となれた俺は、にぱっと子供特有の笑みを浮かべた。そのとたん美雪はぷるぷる震え始め、その様子に俺の心配は再発し、それに気づいた美雪が「こほん」とわざとらしい咳を一つする。そして、美雪は真相を教えてくれた。
「まだ見せていないシミュレーションを見事当てた翔を抱きしめようとしたら、上司に『抱きしめる頻度を少し減らしなさい』って命じられたの。そんなこと言われても私は全AIの中で最も感情豊かなAIですから無理ですって、上司に断固反対した。あ、心配しないで。子供達と直に接する私達には、上司に反論する権利が与えられているの。だから断固反対したんだけど、『それも踏まえてその子をあなたに任せたのですから、どうか私を信じて』って懇願されてね。ねえ翔、お姉ちゃんは翔を抱きしめすぎて、迷惑かけちゃったのかな?」
迷惑なんて量子一個ぶんもかけられていないと力説したのち、「でも思い当たる節はあるな」と付け加えたところ、お願いだから教えて~っと本気で泣かれてしまった。全AIの中で美雪が最も感情豊かなのはホントなんだな、とつくづく思いつつ、俺はそれを明かした。




