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 病院の職員さんがこの部屋を目指し、廊下を足早に歩いてくる。ママ先生の亡骸に別れを告げ、俺は肉体に戻った。

 上体を起こし左手首のメディカルバンドを使い、メールを作成する。そしていさむを始めとする前の孤児院の全員に、メールを送信。就寝時間中は着信音が鳴らないようになっているから、皆を起こさないし俺も皆に起こされる事はない。俺はベッドに体を横たえ掛け布団の中に潜りこみ、両手で口を押えて泣いた。

 翌朝目覚めると、未読メールが99になっていた。よかった、全員ママ先生と別れの挨拶をできたんだな。そう思ったら、力が自然と湧いてきた。俺は手を合わせ、心の中でママ先生と創造主に感謝を述べてから、日課をこなすべく行動した。

 朝食前に鈴姉さんが「舞のことは私が間違っていた」と俺に詫びた。なんでも昨夜、母さんが夢の中に現れ、俺とママ先生の最後の会話を見せてくれたそうなのである。「今回の件で私はまだまだ未熟者だと思い知ったよ」と、鈴姉さんは肩を落としていた。

 翌々日の夕方、舞ちゃんが目を覚ましたことを鈴姉さんに教えてもらった。お見舞いをメールで申し込んだところ、「待たせちゃうけど夜7時半でもいい?」とのメールが返ってきた。男の俺でも三日間寝続けたら、入浴せぬまま人に会うのは避けたい。もちろんそんないらぬ事は書かず、夜7時半に伺う旨を伝えた。

 保健室は、鈴姉さんの私室に向かう廊下の途中にある。一階が男子保健室で二階が女子保健室だけど、保健室内に階段を設けているため許可されれば行き来が可能になっている。何気に俺がその許可の第一号らしく、皆にさんざん冷やかされてしまった。まったく、思い出しただけで疲労が蘇るようだぞ・・・

 保健室に着き、ドアをノックする。開錠音がしたので「失礼します」と声を掛け、中に入る。ちなみに今の開錠音はフェイクで、本当は鍵など掛かっていない。しかし異性の部屋へお見舞いに行くなら、ノックは譲れない。その想いのもと試しにノックしたらあのような手法で入室を促されたのだから、きっとあれで正解だったんだろうな。

 ドアをくぐりすぐ右手にある階段を上り、二階に足を踏み入れる。行く手を阻むよう空中に投影されていた「無許可者は立ち入り禁止」の2D文字が消え、先へ進む。その数秒後、俺は困ってしまった。まこと女の子らしい花の香りが、室内を満たしていたのである。しかしそれを表情に出そうものなら警報が鳴り響き、俺は逮捕されるかもしれない。それは冗談でも、舞ちゃんに不快な思いをさせるのは避けられないはず。俺はモンスターに挑む気概で心を平静にし、白いカーテンで仕切られたベッドスペースに近づいて、声をかけた。


「舞ちゃんこんばんは、翔です。お見舞いに来たよ」

「翔くん、こんばんは。どうぞお入りください」


 落ち着いた伸びやかな声がカーテン越しに返ってきた。日本を代表する指揮者が「ここ一番の度胸で男は決して女に勝てない」と言っていたのを思い出しつつ、カーテンを開ける。そのまま開けっ放しにするのが清い男女のマナーだから忘れるなよ、と心の中で自分に言い聞かせていたのにそれを忘れるほど、


「舞ちゃん・・・・元気そうで何より」


 たった三日会わなかっただけで、舞ちゃんは見違えるほど綺麗になっていたのだった。


 それからの数十秒間の俺は客観的に見て、ヘタレの極みだったに違いない。「翔くん、どうぞ椅子に座って」と促されるまで呆然と立ち尽くし、「ご心配をかけました、お見舞いに来てくれてありがとう」と謝意を示されるまでソワソワ落ち着かず、「もう翔くん、ちゃんとこっちを見て」と指摘されるまで視線を泳がせていたのだ。指摘され反射的に向けた顔が、みるみる赤くなってゆく。けど言い訳になるが、それも仕方ないと思う。前世を合わせても歴代一位の美少女が、60センチしか離れていない場所にパジャマ姿でいるのだから、11歳の男子には荷が重すぎたのである。幸い舞ちゃんは今のところ気を悪くしていないようだけど、これ以上甘える訳にはいかない。俺は「ちょっと自分に気合いを入れる、驚かないでね」と断りを入れて左右の頬を勢いよくぶっ叩き、次いでゴシゴシ擦って通常の表情に戻した。そして舞ちゃんと目を合わせて、正直な想いと正直な疑問をそのまま口にした。


「舞ちゃんは急に、驚くほど綺麗になった。ヘタレな俺は美貌の女の子に慣れてなくて、醜態をさらしてしまったよ。舞ちゃん、失礼だけど質問させて。眠っていた三日間で、なにかあったのかな?」


 黄色がかった薄茶色、いわゆる榛色はしばみいろの瞳が柔和な気配を帯びる。ライトブラウンの髪と相まって舞ちゃんの榛色の瞳は男子の間で評価がとても高く、詩才のある男子が「ヘーゼルの乙女」と呼んだ等々をちらほら耳にしていた。それを今この瞬間思い出したのには、訳がある。それは慈愛溢れる双眸に乙女ではまだ不可能な、成熟した大人の女性の艶やかさを感じたからだ。よって候補として「眠っている間に前世を思い出したとか?」を胸中挙げるも、それは不正解だった。舞ちゃんは両手を胸に添え、そこにある温かな記憶を掌で確かめたかのような笑顔で、こう答えたのである。


「ママ先生と夢の中で、たくさんお話ししたんだ」


 それから数分間の俺の心を譬えるなら「10分の1の体重で山を上り、10倍の体重で山を下りて、超山脈を縦断した」になるだろう。ママ先生が舞ちゃんの夢枕に立ったことは、10分の1の体重で山を駆け上がるが如き高揚をもたらした。しかしママ先生だからこそ知る俺の失敗談に移るなり10倍の体重で急峻を転げ落ちるかのようになり、と思いきやママ先生だからこそ知る俺の面白話に移った途端、10分の1の体重で山を駆け上がるが如きに再びなった。という意識の急上昇と急降下を、短時間で幾度も繰り返したのである。神話級の健康スキルをもってしても精神疲弊を免れず、「もう勘弁してくださいませ~」と俺は泣いて懇願したものだ。いやマジで。

 けど、それで良かったのだと思う。態度で四年間「翔くんが好きなの!」と訴え続けたにも拘わらずそれに気づきもしなかった俺への溜飲が、ちょっぴり下がったみたいだったからだ。「もう勘弁してくださいませ~」と椅子に座って土下座する俺の後頭部を優しくポンポンし、舞ちゃんはママ先生との会話の核心へ移った。


「翔くんへの恋が実っても実らなくても、私は心から満足してこの世を去る。その時の胸中を、ママ先生が共有してくれてね。私は安堵し、するとその安堵が私を自由にした。この四年間、私は私を雁字搦がんじがらめにしていたの。翔くんと同じ戦士養成学校に行くための努力と、その目標以外の全てを排除すべく自分を縛り上げることを、混同してしまっていたのね。私以上に努力しているのに自分を決して縛らず自由に生きる翔くんがすぐ隣にいたのに、私は混同に気づかなかった。私自身が自分の現状に気づかなかったのだから、翔くんが私の恋心に気づかなくても、お相子。今は、そう思っているよ」


 翔くんを土下座させることが出来て溜飲も下がったし、とおどけて付け加えた舞ちゃんに、俺が再び土下座したのは言うまでもない。そんな俺の後頭部に「ママ先生とは別の不思議な体験も、朧げに覚えてるんだ」と、舞ちゃんは語り掛けた。


「宇宙で最も純粋な母性を具現化したような、母神様のような方が、夢に現れたことを朧げに覚えているの。母神様は、拘束具をほどこうとする私を助け、そしてほどき終わった私を抱きしめておっしゃった。『心美しき、我がいとし子よ』 母神様の愛し子に相応しい、心美しき者に私はなる。そう一心に願い、私は眠り続けた。目覚めて入浴したとき、鏡に映る自分を見て、私が急に変わったのは母神様のお陰なんだってつくづく思ったんだ」


 土下座を、謝意を示す所作に替え、心の中で母さんにお礼を述べた。母さんは何も言わなかったけど、宇宙で最も純粋な母性が降り注いできたから、お礼は届いたんだろうな。

 多分それを、舞ちゃんも感じたのだと思う。息を呑み呼吸を止めたままの舞ちゃんに呼吸を再開してもらうべく、俺は上体を起こした。そして、ある提案をした。


「輝力は、九つの力のたばでね。その一つが結果、もう一つが原因なんだ。原因と結果という順番ではなく、結果と原因という順番は、創造力の仕組みの一つだと俺は考えている。その様子をつぶさに見てみたいなら、協力するよ」

「見てみたいです、ぜひお願いします!」

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