3
幸い足腰に速筋がみっしり付き、平熱が36度半ばを超えるようになると、俺はみるみる健康になっていった。中学を卒業する頃には人並みの体を手に入れ、高校では陸上の短距離走者として部活を楽しむことも出来た。ある意味それは、医者に拒絶されたお陰。そのことを生涯忘れず独自の健康法を編み出しそれなりに感謝されたが、母さんの言葉『病弱な体を無意識に右鼻呼吸で治した』の衝撃は言語を絶していた。言語を絶していたのは慣用表現ではなく、文字どおり映像で見たのである。数百年に渡る、俺の因果の歴史を。
俺は過去世で、領民を苦しめ抜いた極悪領主だった事がある。そのとき造った悪果は途方もなく、清算するには十数回の人生を費やさねばならなかった。十数回の前半は悲惨の一言に尽き、後半の前期は努力しても運に恵まれず必ず人生に絶望して死に、後半後期の四回になってやっと人並みの人生を送れるようになった。四回のうち最初の二回は善行に人生を捧げ、それが実り三回目はチベットで聖者に巡り合い呼吸法を教えるまでになったが、それでも悪果の全ての清算は叶わなかった。それが最後の一回つまり前世での、『呼吸法の忘却』として出た。呼吸法を覚えていれば病弱の原因を、過度の左鼻呼吸と瞬時に診断できただろう。人は基本的に左右の鼻腔のどちらか一方を開き、1時間交代で呼吸している。左鼻で1時間呼吸したら、その次の1時間は右鼻で呼吸するといった具合だ。左鼻呼吸には左鼻呼吸の良さがあり、右鼻呼吸には右鼻呼吸の良さがあるが、どちらも過度になると不都合な事態を招く。たとえば左鼻呼吸は心身を落ち着かせて霊性に目覚めさせる力がある半面、過度になると新陳代謝全般を低下させて万病の原因になってしまう。前世の子供時代がまさしくそれだったのだが、呼吸法を忘れていた俺にはそれが判らなかった。それでもギリギリのところで低体温の害に気づき、足腰に筋肉を付けることで低体温を克服して人並みの健康体になるも、良いこと尽くしではなかった。それが肉体意識の、右鼻呼吸崇拝。肉体意識が右鼻呼吸を崇拝していたため、心に抱いた目標を成就すべく努力すると肉体意識が自動的に、右鼻呼吸過度の状態を作り上げていたのである。
俺の心は、過度の左鼻呼吸に病弱の原因があると知らなかった。だが俺の肉体意識は、それを知っていた。よって俺が自発的に運動するようになると、その積極性を足掛かりにして、肉体意識は右鼻呼吸の時間を増やしていった。右鼻呼吸には体温を高め、新陳代謝全般を活性化させる力がある。成長期とちょうど重なったこともあり足腰に筋肉がついて平熱を高め、それが追い風となり新陳代謝が益々活発になり、その甲斐あって健康体を獲得するに至った。それら一連の流れと仕組みを、俺の肉体意識は把握していた。心は微塵も気づいていないのに、肉体意識は熟知していた。よって「よし、この目標を成し遂げるぞ!」と心が積極的になるや肉体意識が自動的に右鼻呼吸へ切り替え、目標成就の後押しをしてくれていた。この自動切り換えは人生の様々な場面で役立ち、社会人になってからは大変お世話になったが、大抵の物事には二面性があるもの。右鼻呼吸は新陳代謝を活性化させる半面、過度になると霊の目覚めを遅らせるという害がある。非常にエネルギッシュで仕事をバリバリこなす人が物質的豊かさに心酔していることの多い理由の一つは、それだ。そしてその害が、俺の幽体離脱訓練にも出た。俺が「よし、幽体離脱の訓練をするぞ」とやる気になるなり、肉体意識が自動的に右鼻呼吸へ切り替えたため俺は物質寄りになり、霊性を遠ざけられてしまったのである。これが、幽体離脱の訓練を数十年しても結局できなかった、理由だったのだ。
ということを、俺は母さんの言葉で理解した。『病弱な体を無意識に右鼻呼吸で治したため』と聴くや数百年の前世の映像が一気に心を駆け巡り、自ずと解ったのである。それは鈴姉さんの講義に行く前の『母さんの授業』中になされたのだが、それは脇に置き。
「母さん、長年の疑問がやっと解けました。重ね重ねありがとうございます」
「ううん、いいの。私こそ、翔が自分で気づくまで黙っていてごめんね」
準創像界で受けていた授業中に、俺と母さんはこんなやり取りをした。ちなみに母さんの言った「翔が自分で気づくまで」は、意識投射の訓練期間を指す。俺は意識投射を自在にできるようになるまで、7カ月半かかった。それは今生でも肉体意識が無意識に右鼻呼吸へ切り替えていたからであり、それに気づくまで7カ月半を費やしたのである。ただ母さんによるとそれは極悪領主時代の悪果を引きずっていたからではなく、単に「今生で自発的に学ぶこと」だったという。自発的に学ぶことは心が成長するにしたがい増えるらしく、曲がりなりにもひ孫弟子候補になっている俺は、加速度的にそれが増えていくことを覚悟せねばならないそうだ。ま、それで全然いいんだけどさ。
話が凄まじく逸れたので元に戻そう。
かくして7カ月半の努力が実り、12月中旬に意識投射のスキルを俺は手に入れた。年末年始は最も忙しい時期なので元日前後の講義はなく、最後となる12月26日の講義に出席した。それをつつがなく終え孤児院の裏手に帰ってきた俺は、体へ直接戻るのではなく、窓辺で寝る虎鉄のすぐそばへ初めてテレポーテーションした。50センチと離れていない場所で、虎鉄が一見スヤスヤ寝ている。しかし頭部から放射されるオーラが半覚醒状態を示していたとおり、虎鉄は瞼をゆっくり開け、顔を持ち上げて俺を見つめた。そして、
「やあ翔」
と俺に呼びかけたのである。嬉しいやら感動するやらでおかしくなりそうだったが、これは虎鉄と交わす初めての会話。見苦しく振舞い虎鉄を失望させるなど、絶対にあってはならないのだ。俺は普段となんら変わらぬ、対等者への挨拶をした。
「やあ虎鉄、寝てたのに起こしちゃって悪かったね」
「ううん、おいら寝てなかったにゃ。孤児院裏に翔の気配を感じて、寝た振りをしていただけなのにゃ」
ヤバい、可愛すぎておかしくなりそうだ。おい虎鉄、なぜ語尾に「にゃ」を付けて話しているんだよ! との心の叫びが、準創像界では筒抜けなのだろう。
「いつもニャーニャー鳴いてるのに、人と会話するときだけニャーを使わない方が不自然にゃ。おいらは自然なおいらで、翔と付き合うのにゃ」
ヤバい、嬉しいやら感動するやらで涙が出てきた。でも虎鉄の言うとおり、こうしてすぐ泣く俺が自然な俺なのだから、これでいいんだろうな。
「良いのにゃ。ほら時間がもったいないから、おいらともっと話すにゃ」
それから数分間、俺と虎鉄はしゃべりまくった。俺の6歳の誕生日プレゼントとして、ゴブリンに勝つ方法を教えてくれたこと。お刺身も美味しいが、縦だか横だか分からないステーキの中心部分も負けぬほど美味しいこと。俺がこの孤児院で皆と仲良く過ごしているように、虎鉄も猫や犬たちと仲良く過ごしていること。寸時を惜しみ、それらを二人で話しまくったのである。だが、時間は無限ではない。「翔、明日に支障がでないよう、これを最後の話題にするにゃ」 そう前置きし、貴重な情報を虎鉄は俺に教えてくれた。
それによるとこの孤児院は、近隣の合計10の孤児院において、皆の仲が飛び抜けて良いのだそうだ。広場を挟みすぐ隣にある孤児院も、林をかき分けて2キロ進んだ場所にある東西南北の計8の孤児院も、こことは雰囲気が異なるという。とはいえ仲が悪いのでは決してなく、仲間意識や友情もしっかり芽生えているが、戦士を目指す競争相手という認識を凌ぐほどではないらしい。ただ虎鉄によると真逆の数人も、つまり仲間意識や友情の方が強い子たちも数人いて、孤児院のトップ10はだいたいその子たちで占められているとの事だった。「だから翔」と、虎鉄は眼光を鋭くした。
「ここの皆を強くしている中心人物は、翔にゃ。それを直視し自覚するも決して慢心しない雄に、翔はなるにゃ」
翔ならなれるにゃオイラが保証するにゃ、との言葉を機に、鋭かった眼光がトロンとなり虎鉄はアクビをした。「わかった。自覚しても慢心しない男になるよ」 そう約束するや、虎鉄は満足げに頷き寝てしまった。半覚醒状態を示すオーラも、頭部から出ていない。「お休み虎鉄」 心の中だけでそう呼びかけ、俺は自分の体へ帰って行った。
というのが、12月下旬の話。このまま年末年始のどんちゃん騒ぎへ時間を進めるのも一興だけど、母さんのひ孫弟子候補としてはそうもいかない。時間を半年以上巻き戻した、6月1日について語ろう。




