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「舞ちゃん、心の耐久力を増す訓練があるんだけど、興味ある?」
と話しかけたところ、示された興味と感謝が半端なかった。興味は分かるが話を切り出しただけで感謝されたのは、この1年間の交流が正しかったお陰。1年間の正しい交流に俺も感謝しつつ説明したのが良かったのか、舞ちゃんは俺に全幅の信頼を寄せてくれた。気絶への躊躇など微塵もないとばかりに「翔くん、鈴姉さんの都合の良い日を訊きに行こう!」と、俺の手を握り駆けだしたのである。こうも喜んでもらえたのだから何が何でも成功させないとな、との想いを俺は更に強めた。
鈴姉さんの私室は、位置的には大浴場の奥にある。大浴場を迂回する廊下が北側に設けられていて、その先が院長先生のプライベートスペースになっているのだ。私室といっても正確には二階建て住居で内部に階段があり、一階の男子スペースとも二階の女子スペースとも直接つながる仕様になっている。よって男子も女子も訪ねようと思えば鈴姉さんの部屋をいつでも訪ねられるのだけど、少なくとも男子50人の中にそれを実行した猛者はいない。理由は大きなものと小さなものが一つずつあり、小さな理由を先に挙げると、緊急時でない限り院長先生の私室をむやみに訪れてはならないと3歳から教えられていたからだ。とはいえ親のいない3歳児がそれを厳守できるはずもなく、よって食堂の脇に院長先生の執務室が設けられ、就寝時以外はだいたいそこに常駐することになっていた。執務室は前の孤児院では子供達の居室兼寝室と繋がっていたが、この孤児院ではさすがにそれはなく、繋がっているのは食堂だけ。それでも繋がりようは半端なく、両者の間に壁や扉をあえて設けず、単なる「食堂の出っ張り部分」的な構造に執務室はなっていた。そこへ駆けて行った舞ちゃんは、
「鈴姉さん、こんばんは!」
元気よく挨拶した。今は、夕食後の自由時間。子供達が訓練に励んでいる時間と就寝時間以外、鈴姉さんはだいたいここにいる。そしてこれが、院長先生の私室を訪れる者が滅多にいない大きい方の理由。食堂隅の出っ張りに来さえすれば、鈴姉さんに大抵いつも会えるからさ。
「こんばんは舞、待っていたよ。二人とも、あがりなさい」
あがりなさいと言っても、敷居の類は一切ない。ただ礼儀作法として必ず挨拶し、許可を得てから足を踏み入れる決まりになっていた。ま、当然だよね。
「鈴姉さん、今回は私のためにお骨折りいただき、誠にありがとうございます」
俺達を出迎えてくれた鈴姉さんに正対し、舞ちゃんは礼儀正しく腰を折った。前の孤児院で訓練場に引きこもっていた俺は知らなかったが、アトランティス星ではかなり早くから子供に礼儀作法を学ばせる。挨拶および「ありがとう」と「ごめんなさい」は3歳から徹底させ、年齢が上がるにつれ作法と口調を少しずつ教えていき、最初の孤児院を去るまでに年長者へのお辞儀と受け答えを習得させるのが院長先生の義務なのだそうだ。前世の日本でビジネスマンとして鍛えられた俺は、「翔に礼儀作法の教育は必要ないわね」と笑われてしまったんだけどね。ま、それはさて置き。
「うむ、丁寧にありがとう。さあ二人とも、座りなさい」
鈴姉さんは満足げに微笑み、着席を促した。舞ちゃんと俺は執務室に設けられたテーブルにゆっくり歩いて行き、椅子の背もたれに手を掛けて丁寧に引く。こうしてさりげなく時間を作っている内に鈴姉さんが椅子に腰を下ろしたので俺達は一礼し、二人そろって腰を下ろした。なるべく音を立てず椅子の位置を調整し、背筋を伸ばす。もちろん背もたれに、背中を預けたりしない。これら椅子に座る際の所作は、数え年で7歳になってから学ぶとの事だった。前世は一応管理職で雲の上の人と接することのあった俺は、「翔はよほど厳しく躾けられたのねえ」と、称賛半分労わり半分で美雪に苦笑されてしまったんだけどね。
ちなみに今年の正月明けから、敬礼や上官への報告を始めとする軍隊的な礼儀作法も学ぶようになった。13歳の試験に合格したら入学する戦士養成学校の準備が、始まったのだ。けどそれは、再度さて置き。
「ほう、さすがは筆頭と準筆頭だ。私は誇らしいよ」
お世辞ではない称賛を鈴姉さんに頂くことが出来た。それを受け舞ちゃんと俺は、尻尾をブンブン振ってしまう。懸命に頑張っていても所詮まだ子供だから、鈴姉さんも笑って許してくれるだろう。
そうそう、舞ちゃんと俺という順序になっているのも礼節の一つ。舞ちゃんが主導して鈴姉さんの元を訪れ、部屋の主である鈴姉さんの正面に舞ちゃんが座り、舞ちゃん主導で話を進めるのだから、この順序が正解なんだね。
舞ちゃん主導で話はサクサク進み、初訓練の日時が決定した。明日の午後3時10分がその日時だ。日時決定で最重視されたのは、なるべく人目に付かず鈴姉さんの私室を訪問できること。みんな聞き分け良いから大丈夫と思うけど、鈴姉さんの私室を訪問したとバレたら「俺も!」「私も!」と大騒ぎになってしまうかもしれないからだ。鈴姉さんは「そうなっても私は構わない、気にしすぎるなよ」と本音っぽく言ってくれたが、女性の本音を察知するなど俺にできっこない。とにかく明日の午後3時まで普通に過ごし、皆に勘ぐられないよう注意するに越したことは無いだろう。筆頭と準筆頭という役職が幸いし、鈴姉さんとこうして三人で話し合っていることに注目している子もいないので、まあ平気かな。
そうして迎えた翌日の、午後1時50分。昼寝を終えて美雪に尋ねたところ、孤児院の食堂でお昼を食べた子供達の全員が、訓練場へ出かけて行ったとの事だった。これがほぼ毎日の状態でも、第一関門を突破したことに変わりはない。安堵した俺は戦闘服に着替え、2時から3時まで勉強した。いつもは5時に勉強を始めるけど、今日は予定を早めたんだね。
かくして迎えた、午後3時。昼食後にシャワーを済ませていた俺は、清潔な戦闘服のまま訓練場を離れた。そして誰とも会わず無人の孤児院に足を踏み入れ、お風呂場を迂回して廊下を進み、鈴姉さんの部屋のドアに辿り着く。チャイムを押すと同時に鍵が解除されたのでドアノブを握り、捻って引いて室内に入った。白状すると、心臓が破裂しそうだった。前世を含めて女性の私室に足を踏み入れたのは、これが初めてだからさ。ははは・・・・
といった具合に自嘲と心臓バクバクの極みに達していたはずなのに、室内に入って3秒と経たぬ間にこの上なく落ち着くことが出来た。その訳は、鈴姉さんの香りが室内を満たしていたから。またその香りは、俺が鈴姉さんにしこたま弱い理由も教えてくれた。
俺が生母と離れ離れになったのは、1歳の時。美雪によると幼くして前世の記憶を明瞭に思い出す子共は、思い出した後にあたかも備えるかの如く、それまではむしろ甘えん坊らしい。甘えん坊なので親は子を存分に可愛がり、そしてその充足をもって、前世の記憶が蘇った後の寂しさに親は折り合いを付けるそうなのだ。その折り合いを付ける人が俺の場合、親以外にもいた。それは、ママ先生。1歳でママ先生に預けられた俺は大の甘えん坊だったらしく、ママ先生に2年間甘えまくった。にもかかわらず前世の記憶が戻ったとたん訓練場に4年間引きこもり、連絡すら一度も入れなかった。どう言いつくろおうとそれは酷いことであり、今でも俺はあの行いを悔いている。その後悔を、鈴姉さんは無意識に思い出させるのだ。とても似ている、二人の香りによって。




