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フェイントに失敗し続けた理由は複数あるが、最初に挙げるべきはやはり、体格の絶望的な差だろう。たとえば、突進してくるゴブリンを右に躱す振りをして左に躱すというフェイントを、試みたとする。それは途中まで成功し、右に躱す演技に引っかかりゴブリンが進路を多少変えたとしても、俺が本命の左への回避を始めた途端、ゴブリンはそれにすぐ対応して俺を屠る。演技の練度を上げ、目線等の引っかけ要素を増やし、ゴブリンの誘導に成功しても、圧倒的な体格差がそれを容易く覆してしまうのだ。そしてそれは冷静に考えると、当然のことだった。身長114センチの俺が右へ踏み出すフェイントの一歩の幅は、どう頑張っても30センチほどしかない。それに対し、ゴブリンが両腕を左右に広げたときの幅は、170センチになる。つまり俺が左右に一歩踏み出す程度のフェイントを幾らしようと、170センチの外に逃れることは不可能だったのである。
軽業によるフェイントも、もちろんしてみた。だが軽業中の俺の移動速度よりゴブリンの突進速度の方が圧倒的に速かったため、170センチの外に逃れることは、やはり無理だったな。
しかし逃れられずとも、俺には白薙がある。フェイントによってゴブリンの気を逸らし、その上で白薙の不意打ちを成功させたら、意識を瞬時に刈り取れるのではないか? 体格差を無にするほどの短時間で、ゴブリンを瞬殺できるのではないか? そう考えた俺はそれを試してみたが、やはり成功しなかった。そしてそこに、失敗し続けた二つ目の理由があった。二つ目の理由は、俺の剣術の未熟さにあったのである。
確かに俺はこの3年間、元日以外は剣術の鍛錬を一日たりとも休まなかった。しかし俺がしてきたのは、足を真正面に踏み出し白薙を真上に振り上げ、それを真下へ振り下ろすことのみ。横へ踏み出して白薙を斜めに振り下ろす等の訓練を、ただの一度もしてこなかったのである。それに気づいてからはその訓練を取り入れるも、斜め関連は刃筋の精度を低下させることが発覚した。俺の刃筋は3年間の訓練が実り、幅0.1ミリ長さ50センチの3D棒を縦に両断するまでになっていたが、縦以外に振ったさいは精度が著しく落ちた。斜めでは幅0.5ミリが精一杯で、真横にいたっては幅2ミリが精一杯だったのだ。斜めの刃筋の幅である0.5ミリはゴブリンをかろうじて斬れても、真横の2ミリでは「刃筋が乱れすぎていて斬れませんでした」との表示を毎回必ず見ることになった。それが悔しくてならず真横を頑張ったお陰で、ここ3日はその表示を見ないことに成功している。といってもそれは素振りの時に限り、ゴブリンとの戦闘では相変わらず「刃筋が乱れすぎ」云々を見せられ続けているんだけどな。
落ち込んだので話題を変えることにしよう。
3月と4月はゴブリンに負け続けた2か月間だったが、有益な情報を二つ発見することもできた。うち一つは、ゴブリンは右脚でのみ蹴る、と発見したことだった。仮にこの世界がゲームの世界だったら、ゴブリンはそうプログラムされているためその動きしかできない系の話になってくるが、この世界はゲームではない。ならばなぜ、必ず右脚で蹴るのか? 可能性の一つに、右利きへの強制があった。日本にも二十世紀終盤まで右利きへの強制が残っていたのだから、ゴブリンの社会には未だそれがあるのかもしれない。そう閃き美雪に協力を請い、棍棒を持った本物のゴブリンの映像を多数見せてもらったところ、全てのゴブリンが右手に棍棒を持っていた。よって右利きへの強制説は、かなり信憑性が高いのではないかと俺は考えている。
発見の二つ目も一つ目と同じ、蹴りにあった。地面に横たわる俺を蹴るさいのゴブリンのフォームが、まこと美しいと気づいたのだ。サッカーファンでなくとも、自国チームのワールドカップくらいは観る。それらトップ選手達が、万全の状態でボールを蹴るフォームは素人目にも美しく映るものだが、ゴブリンのフォームもそれに比肩するほど美しかった。それは一つ目の発見である、右利きへの強制説を後押しした。ゴブリンの社会は右利きを前提とする高度な蹴りの技術と棍棒術を有し、かつそれをとても誇りにしているため、全国民に右利きを強制した。こう仮定すると、つじつまが合うのである。よってゴブリンが毎回右脚で蹴ることは、先読み等に利用できるのではないかと俺は期待している。
余談だが、ゴブリンの美しいフォームを見ているうち、俺も蹴りの練習をするようになった。言うまでもなく右脚左脚を均等に使うよう、心がけているがな。
そんなこんなで2か月が経ち、5月5日になった。そう俺の、誕生日が来たのだ。元地球人の俺に合わせ、美雪は誕生日も豪華料理を出してくれる。そこにはステーキも含まれ、さすがに縦だか横だか判らないなんてことは無いが、それなりに厚く美味な肉を毎年食べさせてくれていた。よって今年もそうなのだろうと訊いたところ、
「今年の誕生会はここに来て三周年の記念も兼ねて奮発し、輝力操作習得と時間差ゼロ達成のときと同じ厚さの、最高級お肉にしたわ」
と、予想外の返答を聞くことになった。俺は拳を天に突き上げて喜んだ。ステーキもさることながら、三周年記念を祝ってくれた美雪の優しさが、たまらなく嬉しかったのだ。それを知ったのは昼食中だった事もあり、俺は虎鉄のもとへ移動し、2人でハイタッチしたものだった。
食後の休憩が終わり、午後1時50分になった。午後2時から訓練をすぐ再開できるよう、俺はストレッチを始める。8分でストレッチを終え、さあ残り2分は素振りをするぞと右肩の柄へ手を伸ばした俺の耳に、
「ニャ―――ッッッ!!!」
気合いの入った虎鉄の声が届いた。虎鉄は俺に、跳びかかろうとしていたのだ。跳びかかって取っ組み合いをしないと、豪華夕食への期待を虎鉄は持て余してしまうのかもしれない。そう当たりを付けた俺は「さあ来い虎鉄!」と呼びかけ、取っ組み合いに応じる意思を示した。虎鉄が目を爛々と輝かせ、お尻をブルブル震わせる。取っ組み合いが楽しくて仕方ないときの乗りに乗った虎鉄の仕草が、俺の闘志に火をつける。膝を曲げ重心を低くし、虎鉄の突進に備えたその瞬間、放たれた矢のように虎鉄が走り始めた。その凄まじい速度に、本気で戦わないと失礼になると感じ、すべての集中力を虎鉄に注ぐ。それが功を奏し、虎鉄が俺の腹に向かってジャンプするタイミングを察知することに成功した。タイミングを合わせて左へ踏み出し、左足を軸に回転して虎鉄を受け流そうとしたまさにその時、虎鉄が身を低くした。虎鉄が、ジャンプの予備動作をしたのだ。タイミングを完璧に合わせられた自分に満足した俺は左へ一歩踏み出し、左足を軸に回転すべく重心を左に移した。が、
「なに!!!」
虎鉄はジャンプしなかった。虎鉄がしたのは、進路変更だった。身を低くして進路変更した虎鉄が突進したのは、俺の左足。それを目で捉えていても、重心移動したばかりの俺の左足に、即座の対応は不可能。その、動かそうにも動かせない左足首へ、
ベシ―――ン!!
虎鉄は強烈な猫パンチを放つ。そして訓練場の奥にある林へ、虎鉄はそのまま駆けて行った。
一人取り残された俺は、今の出来事を全身全霊で分析した。そして、独り言ちる。
「虎鉄。お前の誕生日プレゼント、確かに受け取ったからな」
そうそれは、誕生日プレゼントだった。フェイントを2か月間失敗し続けている、俺への最高のプレゼントだった。ゴブリン戦における俺と、今の取っ組み合いにおける虎鉄には、共通点がある。それは、自分の体格の方が圧倒的に小さいという事。その体格差を俺は不利にしかできなかったが、虎鉄は有利にしてみせた。俺の左足目掛けて地面スレスレを突進してきた虎鉄に、俺は手を届かせることができなかった。それを虎鉄は、身をもって教えてくれたのである。俺は大声で叫んだ。
「虎鉄ありがとう。絶対ゴブリンに勝つからな!」
虎鉄が走るのを止め、俺に振り返る。俺は右手を上げる。虎鉄も右前足を上げる。頷き合った俺達は踵を返し、己のすべきことを始めたのだった。




