【改題】彼女が非常に面倒くさいので僕は遠距離恋愛を選んだ
僕、剛田武彦は地元から離れて都会で一人暮らしをしている。この度めでたく第一志望の会社から内定をもらうことができた。後は卒論を済ませればいいだけという非常に優雅な学生生活を満喫している。
ちなみに内定先は今住んでいるところから通える距離にある。最初はUターン就職も考えたが、後述の二つの理由から地元に戻ることをやめた。
一つ目の理由は僕の名前にある。親には申し訳ないが、僕は自分の名前を非常に憎んでいる。某国民的アニメに登場するガキ大将と一字違いから幼少期から高校卒業に至るまで地元で散々イジられてきた。
名前だけでも散々だが、僕の容姿がそのアニメの何をやってもダメな主人公の少年に酷似していたことも原因にある。お陰でこれまでの僕のあだ名は「の◯太」だ。田舎特有の狭いコミュニティのせいでいつまでもこのあだ名が浸透しており、正直うんざりしている。このまま地元に居たところでずっとこのあだ名がついて回ることだろう。
そんな地元に嫌気が差して僕は大学進学を機に知り合いの誰もいない都会へと引っ越した。まあ自分の名前が話題になったとしても、地元の人間ほど執拗にイジられることはなく、これまでの人生で最も穏やかで有意義なキャンパスライフを謳歌できるようになった。
…………はずだった。
「何で此処にいるんだ……」
僕は自分の部屋のドアの前で腰を抜かしながら、眼の前に立つ女に向かって呟いた。女はボサボサの長い黒髪を垂らしながら目に涙を浮かべて僕を見つめている。更に容姿は着の身着のままで来たのか、上下のあちこちがヨレヨレで非常にだらしがない。キレイにしていれば誰もが振り返る美人のはずだが、はっきり言ってその面影はない。女は右手に大きめのボストンバッグ、そして左手にはスマホを持って佇んでいた。
「武彦君…逢いたかったです」
「はあ??」
「ずっと彷徨って色んな所を回って、やっと此処に辿り着けました」
「……い、いや何でだ?」
「武彦君に会いに来たんです」
「だとしても!何で此処の住所を知ってるんだ!?」
僕は眼の前の女に向けて叫ぶ。女はキョトンとしながらもゆっくりと此方へ歩み寄ると屈んで腰を抜かしている僕を抱き締めた。女の目から大粒の涙が溢れる。女の様子を見て僕は頭が真っ白になった。
此処で一旦状況整理の為、説明するとしよう。
僕の眼の前に現れた女は伏儀直子。僕の…一応彼女だ。直子とは高校一年の時に偶然席が隣同士になったことをきっかけに仲良くなり、二年に進級するタイミングで告白して付き合い始めた。お互いに初めての相手だったらしく、告白の成功からまあ僕は浮かれに浮かれまくった。と…そこまでは良かった。
しかし彼女の本性は僕の想像を遥かに超えるとんでもないものだった。簡単にいうならばとにかく面倒臭くて重い。
デートの時に詳細なスケジュールを用意するのは序の口。ファーストキスからお互いの家の出入り、更には両親への挨拶からプロポーズ、結納、結婚式…などなど将来に向けての事細かなプランを勝手に決めた上に付き合って一週間でそれを提示された。これにはさすがに引いたが、まあまだ可愛らしいもんだろうと高を括っていた。
だが直子が本当に面倒臭かったのは異常なまでの嫉妬深さだった。僕が女子のクラスメートや部活の後輩の女子と雑談するだけでも、影から眼光鋭く睨みつけられ非常に気まずい思いをした。更にはその日の内に鬼電やメールの応酬があり、他の女子と話した内容や自分のことをどう思っているのかなど延々と詰問されるのが当たり前になった。そのせいもあって僕はいつしか女子から避けられるようになってしまった。
そんな状況に嫌気が差して僕は直子に別れを切り出そうとしたが、そこで信じられない事実を知ることになった。何と直子の実家は地元の有名企業である「伏儀興業」であり、彼女は社長令嬢だったのである。彼女曰く自分と別れることは「伏儀興業」を敵に回すということ。端的に言えば地元で無事に生活できると思うなという脅しを受けたのである。
結局僕は彼女の脅しに屈するような形でズルズルと高校生活を送る羽目になった。端から見れば何て羨ましいと思うだろうが、事情が事情なだけに僕としては生きた心地がしない。無事に生活を送るためには直子の望む通りにするより他に手が無かったのである。
今思い返せば最初に直子と話した時にこれまでどういう訳だか男が寄り付かないと悩みを打ち明けていたが、なるほど実際に付き合ってみて納得した限りだ。
さて長くなったが、僕が地元に戻るのをやめた二つ目の理由が今眼の前にいる直子の存在だ。先述の通り僕は大学進学を機に都会へ引っ越した訳だが、当然直子から猛反対を受けた。
ファミレスで地元を出ることを打ち明けた際には散々泣かれた挙げ句、「人でなし!」だの「私とは遊びだったのか!」だの大声でなじられた上に危うく修羅場になりかけた。周囲の冷ややかな視線が全身に刺さり、冷や汗を掻きながら直子を宥めるだけで数時間を要する羽目になった。
最終的に妥協案として「必ず一週間に一回は地元へ帰ってデートする」、「起きた時と寝る前には必ず連絡する」、「一日一回は部屋の様子を写真に撮って送る」。それらを提示することで渋々了承してもらった。ただし唯一譲れない条件として僕の住むアパートの住所は教えないことを認めさせていた。さすがにアパートにまで乗り込まれたら気が休まらない。
………はずだったのだが。
「どうして僕の住所を知ってるんだ?住所までは教えないことは地元を出る時に約束したじゃないか」
「だって次のデートまで待てなかったんです!」
「次のデートって…三日前に会ったばかりじゃないか!」
「私にとっては三日振りの再会なんです!」
「もう一回聞くけど、どうやって此処のことを知ったんだ!?」
「武彦君の実家の郵便受け…」
「へ?」
「武彦君の実家の郵便受けをずっと見張っていたんです。武彦君宛の通知から此処の住所の手掛かりがないかを見てました」
「まじかよ!!」
周囲の目もあるのでひとまず僕は直子を自室に入れると、此処に至るまでの事情を聞いた。そこで知った直子の信じられない行為に僕は思わず悲鳴を上げそうになる。
「何とかこの辺だろうという住所は見つけたのですが、私は方向音痴なので明後日の方向ばかり探してしまっておりました。お陰で武彦君の姿を見つけることができたときはつい泣いてしまいました」
直子が恥ずかしそうに笑う。が、僕の胸中は穏やかじゃない。いくら会えないからといって此処までやるか?
「それって、ストーカー…」
「違います!純粋に武彦君に逢いたかったんです」
「いやいや!ガチで怖いから!やめて、そういうの!」
僕が慌てて首を横に振ると、直子がボストンバッグをテーブルにドンと置いた。バッグを開けると数日は過ごせるくらいの着替えや必要最低限の生活グッズが入っている。もしや此処に居座るつもりか?
「もしかして最初から此処に居座る気で来たんじゃ…」
「当たり前じゃないですか」
「帰ってくれ!」
「嫌です。私たちは恋人同士じゃないですか」
「だとしても、節度が…」
「どの口が言いますか?」
そういうと直子が僕の前に仁王立ちして、眼前にある書類を突きつけた。僕はその書類を見て、一気に青ざめる。
「こ、これって…僕の内定先からの書類じゃないか…」
「はい、郵便受けを漁っていたら偶然見つけました。この書類のお陰で此処の住所が分かったんです」
直子がドヤ顔で僕を見つめる。一方で僕の思考は完全に停止した。まずい、非常にまずい。
当初僕は直子の実家である「伏儀興業」に就職することを約束させられていた。しかしながらこの話を受けたが最後、一生直子に頭が上がらない生活になってしまう。
だから直子には黙って別の会社に就職して、あわよくば遠距離恋愛のまま直子とはフェードアウトしようと目論んでいたのだ。だがこの事実を知られた以上、只では済まないだろう。僕の体から血の気が引いていく。
「武彦君、酷いです。私に黙って他の会社を受けるなんて。こんな裏切りをするなんて信じられません」
「…………ごめんなさい。でもずっと直子におんぶにだっこじゃいけないと思ったんだ」
「?どういうことですか?」
「だって…恋愛方面だけじゃなくて就職の世話まで直子に任せるなんて、一人の男としてどうかなって悩んでいたんだ。せめて自活できるようにならないと直子の親御さんに認めてもらえないと思って…だってほら、就職したら一年後には結婚するって昔プランで言ってたじゃないか」
若干心にもないことを僕はつらつらと述べた。僕の思いがけない回答に直子は目を丸くしていたが、突然僕に抱きついてきた。僕は動揺しながら直子を見ると、直子は顔をくしゃくしゃにして泣いている。
「ど、どうしたの?」
「嬉しい!感動しました!私は今、本当に幸せです!」
「え…?そう?」
「武彦君、私との将来についてそこまで真剣に考えてくれていたんですね!昔話したプランのことまで覚えくれているなんて感激です!」
「え、…う、うん」
本当は衝撃的な内容にドン引きして印象に残っていたからだとは口が避けても言えない。ともあれ直子の機嫌は一気に治ったようだった。
「ではこれからお世話になります」
「だから帰ってくれ!!」
「いけません。武彦君はこれから私の夫になる方。忙しい夫を支えるのも妻の役目。つまり社会人となる武彦君にはこれから私の存在が必要なのです」
「え…実家の方はいいの?」
「武彦君の物は私の物、私の物は私の物」
「それキャラが違う…」
勝手に熱くなる直子を尻目に僕は一人、次の引っ越しを思案していた。
ご一読ありがとうございました。