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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
ディケル・ソロウ2
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背皮の影響と個

「一つ訊ねたいことがあるのですが……」オレは遠慮がちに言った。それは気後れしたわけではなく、答えを知ることが果たして良い結果となるのか確信がなかったからだ。もっと正直に言うなら、答えを知ることが怖かったのだ。

 オレは言った。「あなたはプルディエールではないんですか?」


 魔女は一瞬目を伏せ、フッと笑った。「言いたいことはわかるぞ。わたしが完全に以前のヴェルメラ・ブルヴェルデンスか否かということだな」

「はい」オレは魔女の名を頭に刻みながら言った。


「以前の、というならば、それはノゥだ」

 やはりそうか。あたりまえだ。肉体だけの話ではない、彼女たちは意味をも細断し、再構成したのだから。


「それは」オレはゆっくりと口を開く。「どちらかが主体であるという感覚があるのですか」


「ふむ」ヴェネツィアの魔女、ヴェルメラはその小さなあごを撫でる。「主体がどちらかといえば、どちらでもあるといえるがね、どちらか一方が、やはり強くなるものだよ。ここの」と言って彼女は胸に手を当て、しかしすぐにその手を上げ、横から頭を指差す。「それともそろそろここが精神の主体だというのが通説になったかな」

「そうですね」オレは頷いた。

「やはりそうなったか。とにかく精神を象る肉体の部分が多い方が主体となるのが、まあ、自然だわな……」

 そこで口を閉じるかに見えたヴェルメラはオレを見据えてつづけた。「しかし人格というものは常に複数の視点や志向性を持っておるものだ。そしてこの肉体という枠で閉ざされた瞬間から、わらわはわらわであり、完全な個なのだよ。望むと望まざるとな」

 そう言ってヴェルメラは手を振った。「わかったなら行け」

 頭を下げ、部屋を出ようとしたオレにヴェルメラが声をかける。「必ず持ち帰るのだぞ、二冊ともな」

 オレは目を伏せ微笑することでそれに応えた。


 ラグランティーヌが自分を以前から続くラグランティーヌであると自覚するか、新たに生まれた人格と肉体を持つ人間であると自覚するかは大した問題ではないと、オレはそう思えるようになった。

 彼女が一つの個としてのアイデンティティを確立できるのならば、それでいいのだろう。



 イリスは来るときと同じルートで市街地に戻るようだ。水の引いた地下道を通る折、また何か仕掛けられるのではないかと警戒しているのがわかったのか、イリスは鼻を鳴らし、「心配せずとも何もしない」と言った。

 あからさまに不機嫌な様子だ。鋭い視線をこちら側に投げているが、概ねそれはブランペルラに向けられているようだ。もちろんブランペルラは意に介していない。


「まずはリッラを見つける」裏路地に立つとイリスはオレを見た。「おまえはもう会っているな」

 オレは首を傾げたが、「ああ、オレをあんたのところまで連れて行ってくれたあのご婦人か。彼女も館長代理なわけだ」

「いまは代理の代理だな。館長代理は持ち回り制だ」

「なるほど」

「あいつはどこかの書店にいるはずだ。だいたいの位置はわかっている。同じ背皮を持つ同士だからな」イリスはしばし物思いに耽るかのように目蓋を伏せたが、すぐにキビキビと歩き始めた。「ついてこい」

「本の詳細な位置がわかるまで、わたしは別行動でいくよ」フードを被ったブランペルラが足を止めて言った。「目を潰しておく」

「警戒させてしまうんじゃないか」イリスが言った。

「それは、時すでに遅しさ。なるだけ今後の動きを悟らせないようにするためだよ」

「……わかった」

 一瞬逡巡したイリスが答えたとき、すでにブランペルラの姿はなかった。これにはイリスも驚きを隠せなかった。少々視線を泳がせていた。

「オレが追ってきたことは筒抜けだったってわけか」

「ふん、簡単に信じるのだな、あの女を」

「は?」そう言われればそうだが……「ウソをつかないことだけが取り柄なヤツなんでね」


「ふん。まあいい」イリスは不満げに鼻を鳴らし、「近いな。これはガンヴィ親父の書店に違いない」

 オレたちはリアルト橋を渡り、リッラを見つけた書店街を歩く。彼女はあのときとは別の書店で店主と話し込んでいた。

「アイツを呼んできてくれ。わたしはここで待っている」イリスは入り口から退いて言った。

「あんたが呼んできたらいいじゃないか。オレだと警戒されて時間を食うかもしれない」

「ここの店主に会いたくないんだよ。いいから行け」

 オレは訝しみながら店内に踏み入った。

 店の壁は全面ガラス戸のついた書棚になっていた。天井近くまでびっしりと分厚い本が並んでいる。ガラス戸はすべて鍵付きで、鉄格子が嵌っているところもあった。背表紙の多くは金箔、銀箔でタイトルが描かれ、相当値が張るだろうと思われた。


 オレが声をかける前にリッラが口を開いた。「イリス?あなたずいぶんツケが溜まっているみたいね」

 そうして振り向いたが、オレだとわかると一瞬眉を寄せ、次いでため息をついた。「他人を使って逃げるなんて。それで?緊急かしら」

 オレは頷いた。

「わかったわ。親父さん、あなたももうイリスに甘い顔したらダメよ」

 親父さんと呼ばれた店主は苦笑を浮かべ、「まあ、男はみな、べっぴんさんには弱いもんで……」

「ダメ」リッラは有無を言わせぬキツイ口調で言った。

「……はい」店主はしょげて肩を落とした。

「お利口さんね。さ、行きましょうか。ああ、ガンヴィさん、必ず一冊、初版を確保しておいてね」

「もちろん。べっぴんさんのお願いとあらば」店主は相好を崩して言った。

「お願いね」リッラは愛想良く笑顔で手を振ったが、店を出ると途端に口角を下げた。「まったくイタリアの男ときたら。で、どうなっているの?イリス!」

 隣の店との隙間に隠れていたイリスが、オレの知る彼女とは別人のようにおずおずと姿を現した。「いや、払おうと思っているんだよ、なのにあの親父ときたら払おうとすると新しい本を出してきてだな」

「言い訳無用。ツケを払いきる前に新しい本を持って帰ってきたら燃やしますからね」

「またまた。あんたに本を燃やすなんてことできるわけ……」

「イィリィス?」腰に手を当てたリッラは笑顔だが、その目はまったく笑っていない。

「……わかりました」そう言ってうなだれるイリスに、もし尻尾があったなら、完全に股の間に巻いていただろう。


 オレは少し離れて二人のやり取りを見ていた。

 こうして並んでいるところを見ると、イリスとリッラは思っていた以上に、姉妹と言われても納得するくらいには似ている。そして彼女たちの背皮の主、ヴェルメラとも。

 オレはいいしれぬ不安を感じる。噂に聞くように、背皮はそれを背負うリブラリアン、リクトルの容姿に影響を及ぼすのか?オレは単なる迷信のようなものだと思っていた。それがわずかでも真実だというなら、人格も同様ではないか?


 オレの不安は見透かされていたのだろう、リッラが薄笑いを浮かべて言う。「わたしたちがよく似ていると思ったのでしょう?そうしてそこに背皮の影響を考えた。それであなたの取り戻そうとしているリベル、その人に関しても不安を覚えた。そうですね?」

 オレは肯定も否定もせず黙ってリッラの目を見た。

 リッラは小さくため息をつき、「あなたはあなたの主観の額縁でその人を飾るつもりですか?人は変わっていくものです。本人が望むと望まざると。ましてや周囲の想いなどで引き留めるなどできませんよ」

「言われるまでもない」オレはつぶやく。

 人は変わる。肉体的にも精神的にも、人は時間のなかでまったく同じではいられない。そんなことはわかっている。

 オレは何を以ってラグランティーヌをラグランティーヌと信じるのだろう。彼女を彼女たらしめるものは、彼女のなかにあるのか、それともオレの認知はオレのなかにあるのだろうか。


「記憶は共有したわ。ディケル・ソロウ、改めてよろしくお願いしますわ。わたしもそのリベルには興味があります。喜んでお手伝いさせていただきますわ」リッラが微笑んで言った。

「まずは正確な位置の割り出しですわね」リッラは寸時考えると「サン・マルコ広場に出ましょう」


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