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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
ディケル・ソロウ2
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精神は一人のものにあらず

 ラグランティーヌのリベルが完全に彼女だけで成り立っているわけではないということは、あの後すぐにプルディエールから聞いていた。聞くまでもなくわかっていた。プルディエールのオレを見る目にラグランティーヌの面影があったからだ。

 彼女たちは記憶も共有していた。さらに嗜好も性癖も自己認識さえも、混然としていながら統一されているのだという。もちろん二人分の全てが一つの肉体に宿っているのではない。モザイクのように組まれているのだ。プルディエールに欠けている、もう半分の記憶や志向性その他はリベルのほうにあるらしい。


 融合は、物質としての肉体と、意味としての肉体の分離・分解・再統合によって成される。意味としての肉体とは、精神という語でも表されるが、これは脳に限らず、全身の活動、その存在によって生じるものだ。例えば切り傷において、皮膚の断裂や神経の興奮は物質的側面であり、痛みは精神的側面である。

 錬金術師は熱や溶剤などを使って、物質的側面から物質を変容させるが、われわれアンブリストは意思によってまず意味を変容させ、その結果に追随させる形で物質的側面を変化させる。


 二人は融合によって身体に入った毒をリベルになる方に集めるつもりだった。そして毒は一方に寄せることができたが、それ以外は混ざり合うことになってしまった。その割合は五分五分ではないが。


 プルディエールとラグランティーヌ双方の自己認識が完全に分断されていれば、再統合時に混ざることはなかったのかもしれない。しかしリベルになるラグランティーヌ側に毒素を集中させることを最優先したために、それぞれの自己認識への集中力が減じたのだと考えられる。


 しかし理由はもう一つあり、そちらの方がより大きいとオレは思っている。


 それは、人間の意味は多くのものを内包しているというものだ。つまり、自分の意味の中には他人の意味が入り込んでいるということだ。プルディエールとラグランティーヌはお互いを信用し信頼していた。それだけ相手の精神面を認知していたということだ。そしてそういう認知は自分の精神を形作る意味の一部になってしまっている。良くも悪くも他の人格と関わるとは、そういうことだ。


 プルディエールとラグランティーヌが、毒素以外の部分において、お互いに自分のことだけを考え、自分の要素だけを集めようとしても、それが叶うはずはないのだ。あのとき、近しく生活してすでに数年、お互いに相手のことを精神に置いていたに違いないのだから。

 自分を考えるとき、そこには相手との関係も思い出も入り込む。ある意味、物質的に混ざり合うまえから、二人は混交していたのだ。


 二人は融合の前からお互いに相手を意味の中に保持していた。それが影響し、保持していない部分との境界線が曖昧になってしまったのだろう。オレはそう考えている。


 このこと自体はさほど問題ではない。特にアンブリストにとっては。


 しかし教会にとってはどうだろう。


 自己認識において完全な一人であるならば、それは一つの魂ではないのか。そうすると魂は分割され、二つの魂間で交換され、また一つの魂として再構築されたということになる。


 自己認識は心であり、魂はまた別だと、教会は説くかもしれない。

 人格や肉体とは関係なく、不変のものがあり、それが魂と呼ばれているのだと。そうだとするなら、ラグランティーヌとプルディエールが混合している二つの肉体のいずれにそれぞれの魂が宿っているのだろう。肉体や心が混合していても、魂は元のまま、どちらか一方を器として捉えるのだろうか。その根拠は?割合の多い方か?それとも神の思し召しによるということか。

 

 こういう事態になるということをラグランティーヌはプルディエールから聞いて承知していた。プルディエールは経験者だから知っていて当然だ。ラグランティーヌが何を考えてそれを選択したのか、そこまではまだ聞けていない。

 

 彼女たちのこの状態が、個別の魂というものを否定する可能性を持つのは確かだ。叔父のレッティアーノはそれに気づき、悩んでいた。最後に会ったときには、彼の理性的な面が、事実を事実として受け入れていたようだった。魂は別として。それについてはまだ思考中だと言っていた。

 終わらせるものという名は、魂の否定者としてのものなのかもしれない。そう叔父は言った。確かに魂がなければ、死後、天国も地獄もない。

 人間は死んで、そこで終わる。

 あるいは…… 恐ろしいことに、魂は不変ではないのかもしれない。

 叔父はそう言って黙り込み、翌日にはフィレンツェを発っていた。


 いずれにせよオレ自身は叔父の魂云々の話をあまり気にしていない。オレには守るべき前提などないし、幼馴染の大切さが変わるわけでもない。いまは一刻も早くラグランティーヌを取り戻すことだけを考えていればいい。 


「プルディエールとは旧いお知り合いで?」

 オレはあえて訊いた。ダーシアンが持ち去ったリベルが館長代理の言う"また"の相手なのだろうか。

 館長代理はオレをじっと見た後、「まずはおまえとあの女との関係を話してもらおうか。アンブリストらしく事実をな」

 オレは頷いて話し始めた。オレとプルディエール、そしてラグランティーヌとのあらましを。


 館長代理は一度も口を挟まずに聞き終えた後、椅子に深く沈み込んで、これもまた深いため息をついた。

「まったく、いつまでもお人好しなことだ」そう言う館長代理の口元がほんのわずかだが、緩んだように見える。

「いいだろう。こちらの情報も一部だが、開示しよう」館長代理は首を傾けてこちらを見た。「まずは自己紹介を。私はヴェネツィア・ビブリオテイカ館長代理、アンブリストのイリス・ヴィオレだ。よろしくな、ディケル・ソロウ」

 目元だけが微かに笑みを含んでいるが、基本的には仏頂面のままヴィオレ館長代理は言った。

 長いブルネットを後ろで編み上げて右肩から胸元に垂らしている。編み残した一摘みの髪が輪郭をなぞり、よりシャープな印象を見る者に与える。はっきりとした二重にぽってりとした下唇。クールな振る舞いとは対照的に、その容姿は情熱的な雰囲気を纏っている。ただ、その将校のような服装が、やはり女性的な艶を抑え込んでいる。いずれにせよ仲間に一人いたらと思うような格好の良い大人のお姉さんだ。


 館長代理は軽々と重そうな安楽椅子を動かして正面に向け、あらためて座り直すと口を開いた。

「おおよそ察しはついているだろうが、うちの館長はプルディエールが混ざっている」

 まったく察していなかったが、当然だというふうにオレは頷いた。ヴィオレ館長代理も頷き返して続ける。

「ただ、館長がプルディエールと違うのは、融合を繰り返すのをよしとしなかったことだ。というより禁忌として二度と行わないことを自分に課した」

 オレは眉をひそめて訊いた。「館長がプルディエールと融合したのは、いつの話です?」

 館長代理は皮肉な笑みを浮かべ、「ヒルデガルトの時代だ」

「ヒルデガルト?ビンゲンの?」半ば予想していたとはいえ、オレは声を上げた。「五百年も前だ」


「その後もプルディエールは融合を繰り返し、うちの館長はその多くを影の状態で過ごしている」

「影になって時間の外にいるってことか……」オレはつぶやいた。

「まあ、そういうことだ。しかし彼女たちがいつ、どうしてなどは、いまはどうでもよいのではないか。プルディエールの所在を確かめたいのだろう?」

 どうでもよくはないし、それならなぜ融合の話を出したのだと訝しみながら、オレは頷いた。「ヴィオレさんはプルディエールの居場所をご存じなのですか」

 館長代理は肩を揺すり、「わたしは知らん。しかし館長ならばわかるだろう」

「しかし館長はずっと眠っているようなものなのでは?」

「そうだな。しかし影から戻りさえすれば、たちどころにプルディエールの所在を突き止めるだろう」

 オレは眉を寄せて館長代理を見た。

 彼女は少々得意げに片口を上げ、「知らなかったか?融合した二人は互いに共鳴するのだよ」


 オレは相手の得意気な顔に合わせて、目を見開いてみせた。

 それに実際衝撃はあった。それは人間は融合によって混ざり合ってしまうという明白な証拠だと思えたからだ。

 オレはまだどこかで、ラグランティーヌは自分の知っているラグランティーヌのままでいると思っていたのだろうか。


「プルディエールのその後の動向は、館長も気にしている。いままでもたびたび彼女の跡を追うという依頼を受けている」ヴィオレ館長代理は言った。

「つまり」オレはヴィオレ館長代理を見つめた。「館長に面会させてもらえるってことでいいんですかね」

「そう言ったつもりだが?」

「ありがとうございます」オレはにこやかに笑って言った。

「ただし、プルディエールあるいはリベルの所在がわかったあかつきには、相応の見返りを要求するぞ」

 端からこちらもタダで助けてくれるとは思っていない。しかし無条件というわけにもいかない。「応えられるものと、そうでないものがあるとは思いますが」

「もちろん理解している。我々が要求するのは、その奪われたとかいうリベルの閲覧だ」

 オレはしばし黙り込む。リベルが簡単に閲覧できるものではないことは彼女も承知しているはずだ。それなのになぜ?何か読む方法を知っているのだろうか。強制的に頁を開くやり方を?

 しかしオレとしてはリベル・ラグランティーヌを無理やり開くなんてことはしたくない。それにオレの一存で決められることでもない。

「どうした、無理なのか?」館長代理は片眉を上げる。「無理なら仕方ない。こちらとしてもこれ以上は……」

「それが簡単なことでないことはわかっているはずです。リベル側が受け入れるだろうという、何かあてでもあるんですか?」

 館長代理は不思議そうな表情でオレを見た。「話では、ラグランティーヌという娘は、おまえと懇意にしていたのではないのか?」

 オレは一瞬たじろいだが、「まあ、そう言えると思いますが……」

「だったら問題あるまい。そのリベルはおまえに対して頁を開くだろうよ。そのときに我々、といっても館長だけだが、彼女を招待してくれればいいのだ」


 オレは答えに窮した。断る理由も、リベル・ラグランティーヌを見つける他の良い案も、いまは思いつかない。オレは言った。「わかりました。できる限り協力します」

「よろしい」館長代理は満足げに笑った。「それからもう一つ」

 まだあるのか。後出しとは……完全に足元を見られている。オレは渋々というふうに言った。「はあ、なんでしょう」

「おまえの背皮の記憶も所望されるだろう。ただしこれは面会するための条件だ」

 オレは反射的に嫌悪感を持ったが、面には出さなかった。「それはプルディエールと何か関係あるのですか」

「おまえはプルディエールと面識があるのだろう?」館長代理は垂れ下がっている髪に指先を絡ませ、「それに館長もただでとは言うまい。彼女の記憶が対価だ」

「なるほど」オレはニヤリとした。「悪くないお話だ」

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