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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
ディケル・ソロウ2
82/117

会見

 オレは手招かれるままにゴンドラに乗った。顔に微笑を浮かべているのは、逃げられないわけではないと見せるただのハッタリにすぎない。水上で三人に囲まれてはどうしようもない。(追手のうち一人は乗らなかった)

 婦人はこちらを一瞥しただけで、あとは進行方向に顔を向けて、帽子が飛ばないように手で押さえていた。船頭はまだ若いアンブリスト見習いといった様子。長袖のリネンシャツに足首を露出した毛織りの黒いズボン。物珍しげにチラチラとオレを窺う。

 残る一人は追手だった男、指に銀の環が光る。エフェクタの印。本来なら怖れてしかるべきだが、あの女を直に知っているとどうしても比べてしまい、相手の能力を、おそらくだが、実際よりも低く見積もってしまうきらいがある。なめてかかるのはよくない。オレは気を引き締める。


 ヴェネチアは海岸の干潟に木杭を密集させて海底の岩盤まで打ち込み、その上に海水に強いといわれるイストリア産の石材を積んで固めて土台とした都市だという。土台となっている木材が腐って、そのうち海に沈んでしまうのではないかと思うのだが、長い間空気に触れずにいた木は、変質して堅牢になるらしい。

 彼らの先祖は周辺地域からの侵略を避けていくうちにこの地に辿り着いた。近年長きに渡ったオスマン帝国との戦いが終結した。戦争は莫大な借金を遺したが、それをヴェネツィアは十年で完済したというのだから驚きだ。戦争前に発生したペストからの人口回復といい、この都市には底力がある。

 ただ、復興したとはいえ、以前のような栄華は遠く、国際港湾都市から地方港へと様変わりしているのだと言われてもいる。

 ビブリオテイカがどれくらいこの都市と関わっているのかわからないが、善一協会と違ってビブリオテイカは完全に世間から秘匿しようという意図はない。もしかすると戦争にエフェクタの一人や二人、送り込んだりしたのかもしれない。


「それで、オレはこれからどこに連れていかれるのかな。移動図書館か?それとも移動出入口?」

 婦人が振り向き、呆れたように言った。「素性のわからない者をいきなりビブリオテイカになんて、そんなことあるわけないでしょう。あなたはこれから尋問を受けるのですよ」

「どこで?カフェにでも行くのか」

「軽口が好きな御仁ですね」婦人は面白くもないというふうに小さな口を歪め、水路の先を指差した。「ほら、見えてきましたよ」

 ゴンドラは海へと漕ぎ出した。複数の大型帆船が停泊している。ゴンドラはそのうちの一隻、三本マストの中型船に近づいていく。

 船頭が指笛で合図をすると、縄梯子が下された。

「上を向いたら、鼻っ柱を踵で潰しますからね」婦人はそう言い置いて先に登っていく。オレはエフェクタの男に促され、縄に手をかけた。

 婦人は首を傾げて船尾楼へとオレを誘う。おそらく船長のところだろう。

 働いている水夫は数人だ。ビブリオテイカの船だとしたら、ここに留まっている期間のほうが長いのだろう。

 船尾の中をまっすぐ進んだ先の扉を、婦人がノックした。

「どうぞ」と、これも落ち着いた大人の女といった声が返ってくる。扉を開けて横に避けた女の傍らを通って中に入ると、正面の書斎机を挟んで、横に向けた革張りの大きな椅子に腰掛けて頬杖をついていた女が、目だけをこちらに向けた。

 しかしそれも一瞬で、すぐに手元の羊皮紙のテクストに視線を戻した。とりあえず黙ったまま様子を窺うオレの背後で女が扉を閉めた。

 座っている女も、オレを連れてきた婦人と雰囲気が似ている。ヴェネツィアの女は概ねこうなのか。

 どうやら誰も口を開くつもりがないらしい。こういう状況で喋るといつも間抜けな感じがしていたたまれなくなるが、オレは渋々切り出した。


「あなたがヴェネチアの魔女、もとい館長なんですね?」

 オレの問いに、黒に近い茶に赤を潜ませた艶を浮かべる机の向こうで、女は細く高い鼻梁を見せつけるように横を向いたまま、再度こちらに流し目をくれる。しかしその口は閉じたままだ。

 オレはわざとらしくハッとして、「これは失礼いたしました。私はディケル・ソロウ、フィレンツェ・ビブリオテイカ所属のアンブリストです。プルディエール・デルフトがこちらのご厄介になってはいやしないかと」

 実はティスコ=ダルディから、まず始めにプルディエールの名を出すよう忠告を受けていたのだ。ヴェネツィアも彼女のことは気になっているから話を聞いてくれるだろうと。


 女はハァとため息をつき、こちらを向いた。「まず、わたしは館長ではない。代理だ。次にプルディエール・デルフトの所在だが、彼女はここにはいない」そう言ってオレを睨み付け、「プルディエール・デルフト。その名を聞いて知らぬふりもできん。かといって、詳細を聞くまでは何もする気はない」

「わかりました。説明します」


 オレは事の次第を、間接的にプルディエールが関わっているよう推測されるように話した。プルディエールとラグランティーヌの混合のことは言わなかった。ヴェネツィア・ビブリオテイカとプルディエールとの関係が判然としないうちは話さないほうがいいだろう。


「それは本当にプルディエール・デルフトが関わっているのかね」

 オレの説明を聞き終えると館長代理の女は言った。始めから痛いところを突かれてしまった。

「確かに客観的証拠はありませんが……」

「だったらその証拠を持って出直したまえ」女はこちらを見ずに手を振った。「お帰りだ」


 致し方ない。口止めされているわけでもないし、ここでカードを切ろう。いささか早い気もするが、悠長に構えている場合とは思えない。

 オレは言った。「盗まれたリベルにはプルディエールが含まれています」


 館長代理は顔をしかめて身を乗り出した。「なんだって?」

 オレは繰り返した。「リベルにはプルディエールが含まれ……」

「あぁの、バカオンナッ」館長代理は激しく机を叩いて立ち上がった。「まぁたやりやがったな!」

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