書店
初めて来たヴェネツィアは、聞いていたように水の都ではあるが、それ以上に迷宮都市だ。街の中を行き来するのに細い路地と水路しかない。ゴンドラを雇うには金がいるので、オレは細い路地を歩き回ることになった。
ビブリオテイカの入り口は、建物の水路に面した壁に小さく開けられているが、扉として認知される外観ではないと聞いた。それを探して右往左往するオレは、修行僧の外套に身を包んだ見てくれも合わさって、非常に怪しい人物と、人々の目に映っていることだろう。
ビブリオテイカは基本的に秘匿さるべきものだ。これは我が師、フィレンツェ・ビブリオテイカ館長ブルーノ・ティスコ=ダルディの言葉であり、彼はオレに自分で見つけろと言ってヴェネツィアにおけるビブリオテイカの所在を告げなかった。要は館長も知らないらしい。冗談だと思ったが、ヴェネツィアのビブリオテイカは、不定期に場所を移していて、その所在を自ら教えたりはしないのだという。
各都市国家のビブリオテイカは、その都市間ほどではないが少々緊張感を伴う関係らしい。己が管理するリベルなどの重要性を鑑みてのことかもしれないが、とにかく向こうから手を差し伸べてくれることはないということだ。協力には相応の見返りを求められるか、試験を課されるのが常なのだ。自分で見つけるというのもその一環というわけだ。
もちろんまったくのノーヒントというわけではない。
水路の面しているという情報がある。
人が寝静まってからでないとビブリオテイカに出入りしないというわけではあるまい。そうなると必然的に人が消えても不審がられない場所に出入口があるのだろう。むしろ人が消えたことを認知されない場所であると考えた方がいい。水路に面しているとするならば舟を使ってたどり着く場所、徒歩の場合なら水路に沿った通路がある場所、人目が遮られる場所。
おそらく入口は橋の下にある。橋桁によって人の視線が遮られるし、誰が橋をくぐった前後のゴンドラの乗客の数を気にするというのだ。
オレは街の橋を片っ端から調べて回ることにした。そして最初の橋で気がついた。多くの橋はそもそも橋台に扉を作れるほどの大きさがない。これは街でもかなり大きな橋でなければ、オレの仮説は成り立たない。しかし裏を返せば大きな橋であれば可能性はグッと高くなるということだ。オレは手っ取り早く住人に訊いてみることにした。
幾つかの候補が上がった。特にオレの気を引いたのは、リアルト橋だ。周囲に多くの書店が並んでいるからだが、行ってみると人目が多過ぎた。ゴンドラもひっきりなしに行き交う。これでは出入りが夜に限られてしまうだろう。オレは他の候補をあたることにした。
しかしどの橋も出入口を設置するには難があると思えた。探す指標をなくしたオレは途方に暮れた。すべての建物の壁を調べてまわれというのか?水路に面した部分も?無理な相談だ。
オレはしばし橋の欄干にもたれ、流れる水面を、その上を滑るゴンドラを眺めていた。
これなら人探しのほうが簡単だ。いっそのこと方針を変えて、女騎士とブランペルラを見つけ出そうか。
そう考えたとき、解決法を思いついた。
そうか、人探しだ。
ヴェネツィア・ビブリオテイカに所属しているアンブリストやリブラリアン、あるいはそれらの見習いを見つけ出せばいいのだ。
アンブリストやリブラリアンには独特の佇まいというものがある。修行僧には修行僧の、貴族には貴族の、司祭には司祭の、それぞれがまとう雰囲気というものがあるように。それは些細な動作や目つき、語らぬ口元などから、受け手が作り上げる感覚であるが、事実の正確な認知は、語られない事実をも露わにする。有体に言うならば、経験則はそれなりにあてになるということだ。特に身近によく知るものについては。オレの場合、それはビブリオテイカ関係者ということになる。
彼らはアンブリストやリブラリアンであることを隠すため、何者でもなくなる。見習いの場合は不自然な立ち居振る舞いになりがちだ。それは周囲に意識されないようにと自分自身の意味が希薄になるよう努めるからだ。
世の中には何者かわからない人間は多いと思われているかもしれないが、それは意識して見ていないからだ。意識、いや、意思を以て視界に網を張って待ち受けるのだ。
そして待ち受けるのに適した場所はどこか。見習いなら市場。買い出しは彼らの仕事だからだ。アンブリストやリブラリアンはどうか。それこそ書店街が最適だろう。彼らの知識欲はリベルや背布だけで満たされるものではない。もちろんリベルや背布の知識は素晴らしいが、それが世の全てを網羅しているわけではない。ビブリオテイカにはない多くのものが、いまや出版物という形で手に入るのだ。そもそもビブリオテイカも一般書籍を所蔵している。過去の錬金術師たちの著作、ルルスやフラメル、薔薇十字関連等々。その選定に赴くのは主にリブラリアンだ。
それに購入目的ではないにしろ、アンブリストもリブラリアンも等しく本が好きだ。これだけの書店街、うろつくのが日課になっていても不思議はない。
市場で買い物もせずにじっと周囲を見張り続けるのも億劫だし、オレは書店を渡り歩きながらそれらしい人物を見つけることにした。
書店を巡りながら気づいたのは、必ずしも実物を置いているわけではないということだった。特に値が張る大型本はタイトルページのみ並べてある。安価な小型本は売り物が置いてあるところを見るに、窃盗が横行しているのだろう。嘆かわしいことだ。
オレは書籍カタログを手に取った。実物を手に取れるわけではない以上、書籍の情報を載せたカタログは必須だ。これを発明したというマヌー何某くんは天才だと思う。
客は店員と雑談したり、店主らしき男と装丁について相談したりしている。装丁に凝るのは金持ちの道楽だが、趣味の良い道楽だ。
三店舗目にオレの注意を引く客がいた。熱心に店主と話し込んでいる。気になったのはそれが妙齢の婦人だったからだ。商家の夫人が回顧録などの出版を依頼することもないとは言えないが、珍しくはある。
それともう一つ、これが肝心なのだが、婦人には物語というものがまるで感じられなかった。その衣装や容貌、あるいは身ぶりに人生というか背後にある生活が想像できないのだ。
オレは背後から視線を送っていたが、婦人は店主の手元にある何かを覗き込もうと上体を前に乗り出した。
最近の婦人服は露出が多めのものが流行りで、この上流市民層らしくした女性も首を締め付けるような襟の服を着ていなかった。そうすると前のめりになったとき必然的に首筋が露わになる。
そのときチラッとだが、首の付け根に薄墨色が見えた気がしたのだ。
一瞬のことだったから影かとも思ったが、自分の記憶を再生してみて、わずかだが刺青らしきものを視覚が捉えていることを確認した。これは決定的な証拠。追跡するに値する人物だ。
婦人は店主に見送られ店を出ると、運河沿いの広い道を進んだ。そこから枝分かれした細い運河沿いを歩いていく。オレは見失わないくらいの距離を置いて後を追う。そのうち人気もなくなり、後をつけるのも一苦労といった頃合いに、婦人は水辺に停泊しているゴンドラの操手に声をかけた。
そこにゴンドラは一艘だけ。このままでは見失ってしまう。
オレは即座に決断した。ゴンドラが婦人を乗せて漕ぎ出す前に駆け寄って声をかけた。
「ごきげんよう、シニョリーナ。お互いが持つ稀書について、是非ともお話をさせていただきたいのですが」
婦人はゴンドラからオレを仰ぎ見て言った。「わたくしもそう思っていたからこそ、ここまでご案内したのですわ」
いつのまにか背後に二つの影が迫っている。
婦人はにっこりと微笑んだ。「手向かわないでくださいましね」
どうやら見つかったのはオレの方だったらしい。




