双子じゃなくて三つ子かも
エレベーターを降りて五階の廊下に出ると玄関のドアの前に人影があった。どこか見覚えのある制服を着たその少女は……そうだ、さっき会った武井氏の娘さんの友人の……日和田は歩きながら思い出そうとする。確か紫乃宮だ。
長い茶色の髪は染めているのだろうか。白いブラウスに紺のプリーツスカート。修道女の服のような白い襟掛が付いた紺の上着を着ている。
しかしなぜここに?ああ、リベルが保管してある場所まで同道してくれるわけか。
日和田は声をかけようとしてためらった。違和感が背筋を這い上がってくる。この子は本当にさっきの女子高生か?ついさっきまで意思酔いとかで立ち上がることもできなかったのじゃなかったか。日和田たちより先にここにいるのは不可能ごとではなくともそれに近い。そもそも自宅の場所を教えていない。しかしまあ、と日和田は内心で微苦笑する。あの赤城とかいう警察官ならとっくに調べ上げているだろうが。
その苦笑は大きくなって面へと浮き上がる。日和田としてはいろいろと腑に落ちた。あの紫乃宮という娘を見た時に感じたものの正体。既視感。その答えが目の前にいる。紫乃宮そっくりの顔で彼を見返しているこの娘は、おそらく彼が最も親しい女子高生。
「こっちには来るなって言っただろう、助手よ。しかも制服とはな。ご近所さんに見られたら警察沙汰だぞ」オレがな、と日和田は思う。
「連絡つかないマスターが悪いんですよ。何かに夢中にでもなっていたんですかにゃ、ワンコくん」ヒソクは見慣れない赤いフレームの眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら言った。
「誰がワンコだ。人助けの相談があったんだよ。そっちは何の用だ?茶髪のウィッグまで被って」
「もちろんお仕事の話ですよ」
「こっちは急を要するんだ、そっちはその後だな」
「こっちも急ぎですよ、なんせ同じ用件ですからね」
「どういうことだ」
「相変わらず察しが悪いですね。なんでわたしがこんな格好をしていると?」
そういえばヒソクは聖ヒルデガルド女学院で、制服はラカと同じはずだ。
「双子の姉妹に化けているんだろうが……それってどこの制服だ?」
「図書館学校ですよ。通称ですけど。というか、わたし三つ子かもしれませんよ」
「五つ子ちゃんかもしれないしな。それは後々確かめるとして、ひとまずどういう状況なのか整理させてくれ」
ヒソクと話してわかったのは、姉の紫乃宮エトがリベルを読めるほど回復していないので、代役がヒソクに回ってきたこと、これからヒソクはエトのフリをして目的のリベルのある学校に日和田とラカを引率し、そのまま三人でそのリベルを読むこと、などだ。
「おまえがリーダーを使って先導するってことか?」日和田には具体的な状況が思い描けない。
「いえいえ、そのリベルはわたしでもリーダーなしに読めるんですよぉ。だからリーダーの出番は解呪のときですねぇ」
「しかしいいのか?変装するってことは許可を取ってないってことだろ」
「許可は取ってますよぉ。大丈夫です。この格好は一般生徒向けのカモフラージュですよ」
どこか腑に落ちないが、いまそれを突き詰めることもないだろう。日和田は頷いた。「とりあえずリーダーを取ってくるよ」
「おじゃましまぁす」日和田に付いて、ヒソクも部屋に入ってきた。「わぁ、わたし、男の人の部屋に入るの初めてぇ」
「なに勝手に入ってきてるんだよ」
「外で待たせておくほうが、ご近所的に危険なのでは?もうすでにご挨拶させていただいた方もいらっしゃいますけど」
「おいおい、冗談だろ」
「冗談ですぅ」ヒソクは部屋を見回しながら言う。「一度言ってみたかったんですよねぇ、カマトトぶったセリフ」
「カマトトって、おまえ、いつの時代の人だよ」日和田はクローゼットの中の金庫からリーダーのケースを取り出した。そう簡単には盗み出せないようにと、金庫は大きく相当な重量がある。
「ま、ちょっと訊きたいことがあったからちょうどいいか」日和田はつぶやく。
ヒソクがなんですか?というように小首を傾げる。
「リーダーを取りに戻る体で、あのエフェクタの子と親睦を深めるって話だと思うんだが、実際リーダーの出番はもっと後なんだろう?」
「リベルを読むからですか?マスター、リベルを読んだことないですよね。実際どれくらいの時間がかかるのか知らないでしょ?一瞬ですよ、リベルが呼応した場合は、ですけど。そしてリベル・ディケルはわたしと姉には素直に応じてくれるんですよぉ」
「なるほど」
ということは、このままリーダーを持ってリベルを読みに行き、その足で病院へとんぼ返りというわけか。おっと、とんぼ返りというのもいささか古い言葉だな。
「しかしだな、これは本人に聞きそびれたというか聞きにくかったことなんだが」そう前置きして日和田は言った。「そもそもエフェクタがいれば、オレとリーダーは必要ないんじゃないのか」
「あー、エフェクタっていうのはですねえ、そういうものじゃないんですよ」
ヒソクはそう言って先に立った。と、ドアの前で立ち止まる。家を出るときの動作が無意識になっている日和田は、すぐに止まることができずに身体でヒソクを突き飛ばしてしまい、反射的に抱き止める。
「す、すまん。大丈夫か」
ヒソクはそれに応えず、じっと廊下の先、エレベーターの方を見つめている。
「いったいどう……」言いながら、日和田は後退った。住民が帰ってきたのかもしれない。ヒソクを親戚だと思わせるにはどうしたらいいか、日和田は必死で頭を回した。
恐る恐る顔を出すと、そこにいたのはラカだった。強張った顔でこちらを見ている。
ヒソクが白いまつげをしばたいて言う。「あ、手乗りラカ」
ラカはツカツカと歩み寄り、「そんなに小さくないわ!この腐れヒソク、それって何のコス?てかお姉ちゃんの制服か。おまえってばシスコンだったんだ、へえーほーん」
「このカッコは仕事なの。手乗り云々ってのは、あんたが二つ名欲しいって言うから付けてあげたんでしょう?」
「ウチにも選ぶ権利はある」
「ハア、じゃあ、涙目のラカとかいいんじゃない」
「やめてよ、恥ずいんだけど!」
確かに恥ずかしい。日和田は内心で同意する。それに似たようなヤツがいたような気もするし。
ヒソクはあからさまに渋い顔をする。「だってあんた、すぐに涙腺緩むでしょう?そのツボっていうの?それもよくわからないしぃ。そこで泣く?みたいな。でしょ?」
ああ、その通り。日和田は心で頷く。
しかしこのエフェクタの少女がどんなときに泣くのか、それもわかる気がしていた。
おそらく嬉しいとき、あるいはホッとしたときに涙が出るのだ。
「もしかしてポジティブな理由じゃないか?安心したとか嬉しいとか」
日和田はつい口に出してしまった。とはいえ悪口というわけではないので取り繕う必要などないだろう。
しかしながらヒソクはゲッというふうに口を開けて固まった。
何かやらかしてしまったのだろうか。日和田はラカに視線を移す。
彼女はうつむいて小刻みに身体を震わせている。
ヒソクがそっと耳打ちする。「マスター、いま良いこと言ったとか思ってません?」
「いや、別にそんなことは……」そう言いつつも、そんな気が全くなかったのか、日和田も自信がない。振り返れば確かに少し気恥ずかしい台詞だ。
「まずいですよぉ、だんなぁ。わたしはこれで敵認定されたんですからね」
「冗談だろ?そんな子供じみた真似……あの子はエフェクタとかいうすごいヤツなんだろ?」
ヒソクは白いまつ毛に縁取られた目を伏せ、フッと鼻で笑う。「まあ、間違ってはいませんけど、ね」
含みのある言い方に日和田は眉根を寄せる。
「聞こえてるよぉ、白いヤツ」いつのまにか顔を上げたラカが、こちらを睨み付けている。その声は平静を取り戻している。「なにが言いたいわけ?」
「別に何もぉ?わたしはマスターに教えているだけですよぉ。エフェクタというのがどんな人種なのかネ」
「へえー、それで?どんな人種なわけ?」
ヒソクは咳払いして日和田を見上げる。「ええっと、エフェクタっていうのはですね、天賦の才って言われるだけあって肉体の、つまり脳の構造が生まれつき優秀なんです」
「な、なに?急に褒めるとか」ラカはわかりやすくたじろぐ。「そんなこと言ってもなにも出ないんだけど」
「だから訓練して力を得たアンブリストと違って、精神的に未熟なのが多いんですよ」
「ふざけんなしっ」
ヒソクは微苦笑すると日和田を見上げる。「リーダーの必要性がわかりましたか?エフェクタっていうのはですね、アンブリストとかリブラリアンとか鑑定士の上位互換じゃないんです。仕事も荒事専門というか、普通は解呪とか、人助け方面には出てこないんです」
「はん、普通はね。でも親友のためならやるに決まってるじゃん」ラカは腕組みして上体を逸らす。「てかさ、あんたたちって、もしかしてそういう関係?」
「付き合ってまぁす」ヒソクが日和田の腕を取って言った。
「んなっ」「アホかっ」
ラカと日和田が同時に声を上げた。




