意識と背皮
「意思が他人の意識に影響を与えるのがICSだとして、それと割合や確率との関係性が、オレにはもう一つよくわかりませんね」日和田は言った。
「まあ、意識や意思と確率云々との関係性は私もわかっていないよ。意識は関係していて、意思は関係していない、ということくらいしかね。脱線して申し訳ないね。それより今回のケースは背皮とICSとの関係性の問題だろうね」
「そうですね……そもそもICS患者の症状というのはどういうものなんですか。武井さんのお嬢さんのようなものではないんですよね」
「彼女の症状は背皮が原因だからね。あのような意識への侵食は劇症型と形容できる状態だ。あの背皮が特殊だからね……これが通常の背皮であれば、宿主、アンブリストたちはリクトルと呼んでいるのだったかな、その意思と結合して、内部を循環する環を形成する。これは外側に向けて発露しない。しかし彼女が移植された背皮は、本来閉じている自己という環を無理矢理こじ開けるという代物だ。まだそこに至ってはいないがね」
「それは……」日和田は想像して思わず身震いする。「では、そこまでではないにしろ、ICSの場合も同様のことが起こるんですか」
「そうだね。ICSの場合も内側の環のエネルギー循環の意味的側面である意思が環から外側に発散されているようだが、環が破綻しているのかはわからない。ただ、放出されたエネルギーは干渉し合う。稀にはそれら同士が結合する。これがアンブリストに起こらないのは不思議だが、彼らは自身の内奥の探索者だ。外側に向かわないのは当然とも言えるかな。意思の制御ができるがゆえにね」
「外側に発散されるというのは、つまりどういうことを引き起こすんですか?……まさか自我の崩壊?」
「環が閉じていなければそうなることもあるだろうね。意識も意思も閉じた環の産物だ。それが閉じていなければ、それは環ではないから、当然意識も形作られない。ただ繰り返しになるけれど、ICS患者の環が破綻しているとは言えないんだよ」
「針穴が開いている感じなんですかね。それで漏れ出たエネルギーがICS患者同士で干渉すると。実際にはどんなことが起きるんですか」
「お互いの外界認識が混同される、あるいはお互いに相手の認識や感覚を排除しようと攻撃する。その身体的側面としては、まず眩暈や吐き気。次に勘違いや漠然とした不安感。妄想や記憶の変異などがそれに続くね」
日和田は自分自身について不安がよぎった。「アンブリストとまではいかなくとも訓練をした人間には起こり得ないんですよね」
「そうだね、訓練によってある程度の域に達していればおそらく。しかし背皮の力に頼った状態であれば、むしろ進行は早いようだね」
赤城は日和田の心情を読み取ったようで、薄笑みを浮かべると「自分のことが気になるかい?」
「いえ、まあ」日和田は曖昧に答える。大変な目にあっている少女を目の当たりにしておきながら自分の身を案じたことが、少々恥ずかしい。
それをわかってか、赤城は軽く首を振って「気になって当然だよ。アンブリストのように客観性を重んじるなら、他人の身を案じるように、自分の身も気にかけなければね。とはいえ、きみはいま何ともないんだろう?だったら大丈夫だよ。ICSの要素を持っているなら、もう初期症状が出ているはずだから」
「そうですか。そうでなければお役に立てませんしね」
「リベル・リーダーだけ置いていってくれてもええねんで」横合いから杜松医師が口を挟む。「もちろん冗談や。リーダーってのは、使てる背布との相性が大事なんやろ?それに一朝一夕で通じるもんでもないらしいし」
「まあ、合う合わないはあるでしょうね」日和田の場合、移植された背皮の能力を借りているので、あまり確信を持って言うことができない。
そこで不意に思い出したが、白い女はいなくなっている。いまだに消失のタイミングがよくわからない。出現はおそらく背皮や背布との干渉が原因だ。それらの発しているというエネルギーとの。しかし消える理由は何だ?満足したのか、あるいは興味を失ったからか?気づいたときには消えているのだからよくわからない。
「とにかく日和田さんには、リーダーを持ってきてもらわんとならんわな。リベル・ディケルを読む前に侵食を抑える処置はしておきたいねん。それでラカちゃんと一緒に取りに戻ってもらわれへんかな」医師が言う。
「電話で言ってくれたら持ってきましたよ」
「いや、いまここにリーダーがあっても無理やと思うわ。絆があれへんさかい」
「どういうことです」言いながら日和田は理解した。「彼女と一緒に使うんですか?」
「そりゃそうやわ。日和田さんは侵食の抑え方知らんやろ?ラカちゃんは知っとるけど、直接そこまで深い接続はできへん。間にリーダーかまさなな。干渉防壁としてリーダーは無敵に近い。なんせリーダーに使われとる背布は一切の変化を受け入れへんのやからな」
確かに武井氏宅での鑑定ではリーダーが役に立った。日和田であれだけ読めたのだから、彼女ならもっと先まで行けるだろうし、もっと様々なことができるだろう。日和田はリーダーの中の背布との仲介役をすることになるわけだ。しかしそう簡単に双方を繋げることができるだろうか。
「あ、もしかして」
「お、わかったかいな」医師は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。「あの子と二人でリーダーを取ってくる間に親睦を深めてえや」
「まあ、頑張ってくれたまえ」
そう言う赤城の含み笑いに、日和田は少々気が滅入る。一回りほど歳の違う子を相手にどうしろと?
「不安げだねーヒワちゃん。あたしがアドバイスしたげるよおー」さくらが片目をつぶって人差し指を立てる。「相手は女子高生、まずはお金だね、マニー。それから、高級ブランドのバッグ。それでまだなびかないならぁ」
「さて日和田さん、そうのんびりもしていられませんよ。糸江さんを迎えに行きましょう」
赤城に促されて日和田が病室を出ても、さくらの独り言は続いている。
「あたし的にはもう一押し欲しいなあ。あーでもエルメスのバッグだったらオケかも。だって高く売れるもんねぇ」




