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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
日和田潤 2
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意識と意思、再考

「物理的に測定するのは不可能だと?」

「そういう可能性もあるってことだよ」


 日和田は暫時黙考して口を開く。「もしかして、それを観測できるのが、人間の意識だと?それもICS患者の?」

「なかなか察しがいいね、君。実際干渉しているとしか思えない状態だからね。それに、私は意識や意思は意味の領域にあると思っているんだよ」

「なるほど。しかし意味の領域というのは曖昧だし、主観的でしょう。客観的に証明するのは至難の業じゃないんですか」

「現時点での、物理的計器による客観的証明は無理だと言ったよ」赤城は肩を揺する。「君は君の意識の存在を私に証明できる?」

 日和田は眉を寄せ、そして苦笑した。「無理ですね」

「しかし君は君というものを実感している」

「つまりICSにおけるエネルギーはそういうものだと?」

「そういうことだよ。全ての人間を納得させるのは今のところ困難だが、わかる人間にはこれ以上ないほどはっきりとわかるわけだ。だからというわけでもないが、私は一部のアンブリストの言う二元論を支持するよ。善と悪ならぬ物質と意味の二元論をね。まあ、意味と言うと少々語弊があるが……きみ相手ならいいだろう?」

 赤城の意図はわかるので、日和田は軽く頷き、口を開く。

「そして物質と意味は互いに干渉し、影響を及ぼし合うわけですね」

 日和田の言葉に赤城は口角を上げ、重々しく言う。「そうだね……それも人が思っている以上にね……ときに、君はベタインという化合物を知っているかい」一転して赤城は軽い調子で言った。

「いえ、聞いたことがありませんね」

「ベタインはほうれん草の葉に多く含まれる化合物で、環境ストレスと闘う細胞を助ける役割を果たすものだ。一方、人間の体内では、ベタインは遺伝子コードに影響を与える一連の化学的連鎖反応の一部である『メチル基供与体』として働く。オレゴン州立大学の研究者たちは、ほうれん草を多く食べることでエピジェネティックな変化が生じ、調理肉の発がん性物質がもたらす遺伝的突然変異と闘う上で細胞を助けることを発見した。つまりだ。そういう遺伝子配列に関わる化学物質はあるわけだ。それらをより良い遺伝子変異に用いるには、どうしたらいいのだろうね」

「人間の意思がそういう化学物質に働きかけて遺伝子配列を変えることができると言いたいんですか」

 赤城はニヤリと笑う。「アンブリストならそう考えるだろうね。人の意志は事象の何に影響を与えると思う?」赤城は言葉を切り、細い目をさらに細めて日和田を見つめる。日和田の答えを待っているわけではなく、演出だと彼にもわかっている。赤城は微かに笑みを浮かべて言った。「確率だよ……コイントスで裏が出る確率が二分の一だとしても、連続で三回裏が出ることだってあるだろう?人間の意思はそういうことを引き寄せる」

「けど、それじゃあ結局後で表が続くだけじゃないですか」

「かもね。相応の回数をこなすなら。けれど裏が三回出たところで止めてしまったらどうだろう」

「なるほど。それで、その場合、出るはずだった表はどうなるんですかね」

「これはまだ推測にすぎないが」赤城は尖った顎をさする。「他所にいくだろうね。困ったことに。つまり誰かがある出来事を回避すれば、他の誰かがそれに遭遇するということだよ……人間、というか人間という集団だね、それはどうあっても確率からは逃れられない。なぜだかわかるかい?」

「いえ」

「確率はね、人が意識を持つ前に決定するからさ。あるいは確率とは意識が認知できない領域だからさ。人は確率によって世界に配分される。役をあてがわれ、そこから抜け出すことができるのはごくわずかだ。そして状況が変わっても確率は変わらない。世界がそのように振る舞うという原則が確率を生むからだ」

「しかし確率というのは事後の所産なのでは?」

「確率はいつも決定しているものだと私は考えているよ。それは集団における運命と言った方がいいかもしれないね。物理法則に従えば、決まった割合で取りうる事象が実現する。人間は自分の意思で行動しているように見えて、すべては物理法則に従っているだけ、素粒子から始まる法則の延長線上にいる操り人形だ」

「悲観的な見解ですね」日和田はため息混じりに言ったが、赤城が微笑んでいるのを見て、本心が別のところにあると理解した。

「それを覆すのが意思ってことですか。人間の意思決定が意識に過ぎない場合、それは脳という物質で起こる物理現象の追認だが、意思はループのなかで物理現象に追随することを越えて、物理現象の起因になるから」

 ループ、つまり繰り返される顕在意識による抑制あるいは奮起。いわゆる努力、鍛練、訓練と呼ばれることの反復によって培われる脳の新たな回路。それが意思の物理的側面なのだと日和田は考えている。それは人間の行動の起因である意識以前に作動する脳回路から、行動の起因を奪取する。いま考えたことでなくとも、以前考えたことが行動の指針になる。それを成すのが意思というわけだ。

 それすらも世界を形作る法則のうちかもしれないが、自我は物理法則としての自己認識である意識から、意味の世界の法則に従う意思というものを宿す自己へとシフトしているのではないだろうか。

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