アンブリストの呪い
「とりあえずあんたも出といた方がええんちゃうか」
吟はエトに肩を貸しながら環佳に言った。
「でも……」環佳が亜生とエトの顔を見比べながら迷っていると、廊下から複数の足音とともに甲高い声が聞こえた。
「だからぁ、状態を診るだけなんでしょ?危ない同期にはならないって。え?だから、それができるのがエフェクタでしょ」
病室の前で足音が止むと、ドアがギッギッと音を立てる。同じハイトーンの声が慌てる。「ちょっとなにこれ、鍵がかかってんじゃない」
「来たんか」エトを支えたまま、吟が軽々とドアを滑らせる。
「なによ、内側からしか開かないわけ?セキュリティ的な?」ラカは顔をしかめる。
「ちゃうわ。単にドアが重たいんや。こまい子にはキツいかもなぁ」
ラカは歯を剥いて吟を睨んだが、エトを目にするや声を上げて顔を覗き込んだ。「エト、昨日ぶり!元気してた?」
エトがうなだれたまま黙っていると、ラカは眉を寄せ、「どうしたの、お腹空いてるの?」
「ああ……いや、なんか二日酔い?だっけ」エトがなんとか答える。
「ハア⁉︎エトを酔わせてどうする気だ」ラカは吟のシャツの襟元を掴もうとしてうまく届かず、苛立って胸板を殴る。
「ごほっ、イツツ……あのなぁ、酔いっつっても意思酔いや」吟はエトを連れて廊下に出た。
「イシヨイ?」ラカは首を傾げる。「意思酔いか!は?なんでいまさら」
「ホンマかいな。ほなギン、とりあえずあっちの空いてる部屋に寝かせたって」杜松医師が言う。
「ああ、そのつもりや」吟は頷いた。
ラカはエトに向かって顔を突き出し、「なにやってんだか。エト、あんた二年くらい見ないうちに、ずいぶんと弱っちょろくなったのね。いったいどうしたのよ」
「え?いや……それが覚えてなくて」エトは吟に身を任せて病室から遠ざかりながら言う。
ラカは二人についていきながら、「え?どういうこと」
「はあ、そのまんまの意味や。コイツはな、記憶喪失っちゅうやつやねん」吟が口を挟む。「おまえのことも覚えとらんのや」
「ああ、どうりで。昨日の違和感にも納得だわ……ってどういうこと!?」ラカは吟にくってかかる。
吟はうるさそうに顔を背け、「どうもこうもないわ。あんな、忘れてるんはおまえのことだけやないんや、親も自分のこともや。コイツが一番ツラいんや。わかったらガタガタぬかすな」
「な、なによ。別にガタガタなんて」ラカは口ごもり、「エト、何があったか知らないけど、ウチにできることがあったら遠慮なく言ってな」
「うん、ありがとう。誰だか知らない人」
「し、知らない人って」ラカは顔を曇らせ、「いまはそうかもしれないけど……」
「冗談だって。四皇、赤髪のラカさんだよね。ごめんね、いまこんなんだからさ、気の利いた返しもできない」エトは青ざめた顔で微かに笑む。
ラカは頬を強ばらせ、「相変わらずいい根性してるじゃん。やっぱエトはエトだわ」
「おーい、ラカちゃん」病室の前で杜松医師がラカを呼んだ。「すまんけど、こっちも急ぎやねん」
「あ、はあーい!」大きく返事をしたラカは、エトの首元に軽く触れた。「とりま行くわ。後でちゃんと話しよ」
エトが小さく手を上げるのを見ると、ラカは満足げに頷いて早足で病室へと向かった。
病室に入るなり、ラカは鼻筋にシワを寄せる。「なにこれ。これじゃエトが気分悪くなるのもわかるわ」
「そんなにひどいかな」杜松医師が辺りを窺うように見回す。
「まあ、ウチの鼻が利きすぎるんだけど」ラカは後から病室に入ってきた日和田を見る。「おじさんはわかる?」
「いや、残念だけど」
日和田は首を振るが、本当は異様な雰囲気を感じてはいた。ラカはコレを共感覚=シナスタジア的に嗅覚でも認識しているのかもしれない。ただ日和田にとってこれは、いまだに目の端をうろついている女の影響が大きいと思われ、日和田の実力でその空気感を理解できるのは不自然だと判断したのだ。
ラカはツカツカとベッドに近寄ると、躊躇なく掛布を捲り上げる。その瞬間にはもう顔をしかめている。
「確かに外科的処置で取り除いてなんとかなるものじゃないね。確かに刺青は取れる。けど、何らかの後遺症が残る。それもひどいやつが。そもそもそういう呪いだからね、コレ」
ラカは日和田に振り返り、「ねえちょっと、背中が見えるようにしてくれない?」
日和田は頷き、できるだけそっと亜生の身体を動かした。
ラカはしかめつらを寄せて眺めまわし、「これは不本意に背皮を奪われそうになったアンブリストが断腸の思いで決行した自爆ってところかな」
「ああ、そういうことか」日和田はため息をついた。
そんな日和田にラカは一瞬不審げな目を向けるが、話を続ける。「だから、ひとまずは侵食を止めて、それからコレの素性を調べるじゃん?そんでもって」
「素性って?」日和田が訊いた。
「その類いの話は後で」ラカは低い声で言って、「そんでもって、剥がすかどうか決める。剥がせるかどうかもね」
剥がせない場合もあるのか、と言葉にするのを日和田は辛うじて抑える。
ラカは顔を上げて杜松医師を見やる。「でもさ、コレ剥がすとして、どうやって剥がすつもり?ウチが潜れるのは表層だけで、ある程度の状況はわかるけど、実際に剥がすところまでは無理だよ。それこそミイラ取りがなんとやらってヤツ」
「エフェクタでも難しいのか……」赤城がつぶやく。
「並のアンブリストなら触れただけでお終いだけどね、フンッ」ラカが小さい鼻を鳴らす。「リベルを残せるほどの実力を持ったアンブリストの呪いなのよ、超むずいに決まってんじゃん」
医師は頷き、「それはわかってる。だからこの人に来てもろたんよ」と言って目線で日和田を示す。
「このおじ……日和田さんだっけ?ホントに?この人アンブリストですらないみたいだけど」
「まあ、そうだね。ただの鑑定士だよ」日和田は肩をすくめる。
「そう謙遜しなさんなって」杜松医師は日和田の曲がった背中を叩いて伸ばす。「日和田さん、リーダー使えるんでしょうが」




