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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
紫乃宮エト 2
64/111

担当医

 看護師は赤城たちの居場所は知らなかったが、武井亜生の担当医である杜松都ネズミヤコの執務室の場所を教えてくれた。日和田がノックをする前にドアノブが音をたてる。素早く身を引くと勢いよくドアが開いた。

「遅かったですねえー、みなさんお待ちかねですよおー」

 灰染さくらが日和田を見上げて言った。

「病室でって話じゃありませんでしたかね。というか、いきなり開けたら危ないでしょ」

「当たらなかったってことは、危なくなかったってことですよ。ダイジョブダイジョブ、モーマンタイ」さくらが室内に向かって腕を伸ばす。

 日和田はため息をついて部屋に入る。目の端の白い影もそれに続く。

「わざわざご足労をいただいてありがとう」医師免許を持っているのかもしれないが、少なくともここで働いているわけでもないのに白衣姿の赤城が会釈した。

 これが普通の対応なのではと思いつつ日和田も頭を下げる。「いえ、呼んでいただいて感謝しています。部外者とは言えないと思いますし」

「そうだよねえ。あたしは信じてたよ、ヒワちゃん」さくらが言う。

 ヒワちゃん?日和田はあえて反応せず、赤城に向かって言う。「あの子の姉に会いましたよ。いや妹だったかな?それに友だちの紫乃宮とかいう子」

「エトちゃん、来てもうたんかいな」

 声は衝立の向こうからだ。

 日和田が動く前にその陰からキャスター付きの椅子が滑り出てきた。座っているのは、四十歳には届いていなさそうな、黒い前髪を真一文字に切り揃えた、というよりは切り落とした女医だった。

 医師は杜松ですと言って手を差し出した。

 白い女がわずかに反応したのが、医師の手を握る日和田にはわかった。珍しいことだ。

 医師は黒縁眼鏡越しにタブレットでカルテを見ながら言う。ベリーショートなので広い額の自己主張が激しい。「見舞いに来たんは姉。患者が妹やな」

「それで、その妹さんの状態はどうなんです?」赤城が訊く。

「まあ、一刻を争うわな」医師は指で唇を弾く。「制御できとらん。ガン細胞みたいにな」

「それにしては悠長に構えているようですが」

「あんたの相棒ほどやあれへん」

 医師の視線を追うと、いつの間にかさくらがパイプ椅子からずり落ちそうになりながら寝ていた。妙に大人しくしていると思ったらこれだ。日和田は呆れるというよりむしろ感心した。

 それは医師も同じだったようで、「いやあ、この子を見てると冷静になるわ。ショウコちゃん。いまな、人を待ってんねん。あれはわたしの手に余るさかいな」医師の眉がぴくりと動く。「噂をすれば影やな」


 トン、と一度だけ聞き間違いかと思うような音がしてドアが開いた。

「イトエはん、連れてきたで。なかなか信用してくれんで往生したで、ホンマに。次からは事前にアポ入れといてくれ。ああ、赤城さんらもいてはったんか。おつかれさんです」

 学生服を着た背の高い少年が、部屋に入るが早いか不満を漏らす後ろから、別の甲高い声がする。

「最初っから指輪見せなさいよ。そしたら話が早かったのに。ペンダントトップにするとか不敬でしょ。でもまあ、あんたの印象最悪だったからね。聖学で会ったときさ」

「それはお互いさまや」少年が後ろを振り返る。

「それに何といってもバイクなんかで来るから悪いんじゃん。しっかり掴まれって何が目的って感じ」

「それはC以上持ってはる人の台詞や」

「くあーっ、失礼な!勝負するか、このセクハラカスヤロー!」

「失礼なんはどっちやねん!お子さまになんぞ興味あるかい!」

「よし、コロス」

「二人とも、喧嘩漫才はそれくらいにしいや。後がつかえてんねん」医師が低い声でピシャリと言う。

 少年の背後からひょこっと顔を出した小柄な少女がすぐさま頭を下げると、赤城に似た赤毛が揺れる。「あ、先生。ご無沙汰してます。皆さんもはじめまして」

 少年の方は小さく舌打ちをして黙る。

 二人は同じ学校の同級生といった間柄ではなさそうだ。おそらくリベルや背皮関係の繋がりだろう。少年の方は濃紺の詰襟、ボタンはなくホックかフックかで前を留めるのだろう。対して少女が着ているブレザーの色はベージュで、スカートは濃茶のチェックが入っている。同じ学校だというなら、別々の学校が統合されたばかりとしか思えない統一感の無さだ。

 それに確かこの少女が着ているのは聖ヒルデガルド女子学院の制服だ。男子生徒はいない。

「で、何で病院?エトってばアンブリストのくせに病院の厄介になってんの?」

 小柄な少女は大股に少年の前へ出る。「てかさ、先生。こいつ本当に先生の子ども?」

「ラカちゃんはおうたことなかったんかな。ソレな、わたしの不肖の息子で間違いあれへんで」

「マジだったんだ。全然似てないですね。関西弁以外は」

 ラカちゃんと呼ばれた少女は少年を見上げて下唇を突き出す。「それで先生、この人たちは?医療チーム?エトってばそんなに悪いんですか。あんときは確かに変な感じだったけどさ。というかエトは?ウチ、エトが困ったことになるかもって言うから、あんたについて来たんだけど」

「それなぁ、全部先生らが説明してくれはるわ。ほな、オレはこれで。あんま気軽に使い走りさせんでくれるかセンセ。これでも忙しいんや、学生やしな。次からは駄賃もらうで」

「わかったわかった。けどな、ギン。ここではセンセちゃうやろ、ママやろ」

「ここでこそセンセやろ。てかママやなんて呼んだことあれへんわ。本気にされたらどないすんねん。ホンマ、返しに困るようなボケはやめてくれ」少年はため息をつくと、医師以外を見渡して愛想のいい笑みを浮かべた。「なんやすみませんね、騒々しいて」

 しかしその笑顔は一瞬で消え、医師に向かって厳しい声で言う。「とにかく連れてきたんや。アイツ巻き込まへんっちゅう約束守れや」

「わたしは約束守るで。けどな、向こうから来てもうたらどうしようもないやろ」

 少年の顔色が変わる。「まさか、いまここにおるんかいな」

 医師は黙って頷く。「ま、もう帰ったかもしらんけど」

「あのバカ、放っといたら勝手に同期しよるで」少年は部屋を出ながら、「病室どこやねん」

「あの、それなら大丈夫だと思うよ」日和田は遠慮がちに言った。それほどの剣幕なのだ。「さっきまさにそれを注意してきたから」

「やろうとしてたんか……」少年が必死に感情を押さえようとしているのがわかる。少年は日和田に頭を下げる。「ホンマおおきにですわ。まったく懲りひんヤツやで、アイツは」

「心配ならあんたも残りや」医師が言う。

「病室、何番やねん。目の前で見張っとらんと落ち着かん」

 医師は微苦笑して「三階の端、三九二や」

「一般病棟やないか。そりゃまた何の冗談やねん。けどま、新館は無理か」少年は嘆息するとドアのハンドルを離して消えた。

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