病院へ
Pが儀式と言ったのは、意思の思い込む力で意識を望むように誘導する手順、いわば条件付けの方法が儀式めいているからだ。これは意思による意図的な二重人格化といえる。
右の机につけば環佳、左だと亜生の人格になるのだ。姉妹のどちらともが。
それをなぜエトは察することができたのか。察し得るということは、儀式の形式、その効果を知っている、理解しているということだ。つまり、エトの自意識は認識できないが、その情報をどこかに持っていると考えられる。やはりPの言うように、記憶が無いのではなく、記憶に顕在意識がアクセスできないのだろう。ただ、経験したことの記憶と習得した知識とが別だというなら話は違ってくるが……
エトは瞬時にそんなことを考える。しかしすぐに目の前の状況に意識を向けたため、思考はそこで止まる。
「あんた、環佳だよね」エトは少し険のある声で言う。「理由は聞かない。けど、これって今回だけの例外的入れ替わりってわけじゃないよね。結局あたしと仲良かったのはあんた?それとも病院にいる方?」
「どっちもそう」亜生は溜め息混じりに言う。「ただ、図書室で背布を借りていたのはわたしじゃないわ」
「そうだね。あんたの肩にはもう刺青が入ってる。刺青を入れたんじゃなくって背皮を移植したんだよね、それ。それもずいぶん前に」
「そうよ」亜生改め環佳は力なく言う。「肩は初めての背皮。十二のときにね」
皮を剥がされる十二歳を思ってエトは内心で顔をしかめる。環佳の気持ちを思うと、面に出すことは憚られた。それに初めてということは、その後幾つもの背皮を移植されたのだろう。想像を絶する。
エトは現在に話を戻す。「何でこんな面倒なことを?」
「理由は聞かないんじゃなかったの」
「う、そうだった」
『格好つけようとするからだ』
環佳はフッと息を吐き、「いいわ。教えてあげる。けれど代わりに一つ頼まれてくれないかしら」
「へえ、あんたが頼み事とはね」
「エト、あなたって本当に態度変わるわよね」環佳は微苦笑する。「わたしだってアオとしてあなたと談笑したことあるのよ」
「いや、別にそんな……ごめん」
エトの狼狽ぶりに環佳は笑った。ポニーテールで、眼鏡もかけないままの笑顔は、確かに亜生のようだが、受ける印象はどこか違う。「双子でもやっぱり違うんだな。眼鏡とか髪型のせいじゃなかったんだ」エトはつぶやく。
「そのための切り替えだから。それで?お願いはきいていただけるのかしら」
「わかった、いいよ。あたしにできることならね」
「難しいことじゃないわ」環佳は真っ直ぐにエトを見つめる。「あの子に移植された背皮を剥がしてほしいの。もちろん代わりの皮膚は用意するわ」
「代わりって……そんな簡単に用意できないでしょ」エトは口中でつぶやく。
それってつまり、自分の皮膚を提供しますってこと……
代替の皮についてはひとまず置くことにして、エトは気を取り直した。「その、移植した背皮が原因で、アオの具合が悪くなってるんだよね」
「そうよ。素性のわからない、贋作かもしれないリベルの表装を剥ぎ取って移植したんだから」
エトは絶句する。
Pがささやく。『剥がせるということは少なくともリベルではないな。見た目がリベルだというなら、背布を使った贋作で間違いなかろう。それにしても残酷なことをするものだな。タチの悪い背皮だとしたら廃人になるか、良くても障害が残る可能性が高い。最悪の場合死に至る』
「助けたいなら背皮を剥がすのは必須だってわけか」エトは鼻筋にシワを寄せ、「オーケー、何とかするしかないね、それ」
「やってくれるの?ありがとうっ」環佳はエトの両手を掴み、祈るように額を押し付けた。
しかし出来るかどうかはやってみなくてはわからない。貸出用とは訳が違う。あちらは皮膚の上に重ねて貼るが、移植は皮膚の入れ換えだ。
「でもさ、大前提として外科的処置ができる人が必要だよ。心当たりあるの?」
人の生皮を剥がすなど、エトには無理だ。
「大前提はそれじゃないわ。意味の分離こそが問題なの。単に物質的に剥がせばいいのなら苦労しない」
「なるほど、そういうもんか」
でもそれって相当厄介な代物なのでは?エトは急に不安にかられて言う。「何であたしにできるって思うの」
「亜生から聞いてるから。どの背布もヒョイヒョイ着けたり剥がしたりできるって。一回だって手間取ることがなかったって」
「それは優良物件だからであって……」
口ごもるエトに横合いからPが口を出す。『背皮については行ってみて考えるとしてだ。入れ替わりの理由は聞かぬのか』
「いまは亜生のことが最優先。理由?そうだね、環佳が話したいなら聞くけど」
「理由?わたしたちが入れ替わった?話してもいいけど……」
当然ながら環佳にはPの声は聞こえない。彼女エトの唐突な物言いにキョトンとしながらも語り始めた。
「そもそもわたしたちの母方の祖父がそこそこ出来るアンブリストだったのが事の始まり。たぶん母はその才能をあまり受け継いでなかった。だけど祖父は諦め切れなかったんでしょうね。母が幼い頃から厳しい訓練を課したらしいの」
「ちょっと待って」エトは手のひらを環佳に向け、「それって長くなる?」
環佳は面食らった様子で、「ええと、どうかしら。どの程度話すかによるかも」
「オーケーわかった。とりあえずこっち座ろっか。ワカは話がまだるっこしくていけねえ」エトは左側の机の椅子に環佳を座らせた。環佳が震え、顔を上げると渋面を作る。「乱暴だなぁ、エトはぁ」
「病院、急ぐんでしょ。細かいこと言いっこなし」
「そうだね、早いに越したことないし。入れ替わりの理由はね、どちらかが死んでも、残った方が二人分生きるって決めたから」
軽い調子で告げられた重い理由にエトは何も言えない。
「そんなに重く考えないでよ。いまは二人とも死ぬつもりないから」
エトは頷く。「だよね」そうだ。あたしが死なせない。
「んじゃ、とりまタクシー呼ぶよ」
「おー、さっすがお金持ちのお嬢さんだね」エトは吹っ切るように軽口を言う。
「割り勘だけど?」
そう言った亜生はエトに睨まれ、「冗談だよぉ、エト恐い顔しすぎ」
「あのね、あたしも悪かったけど、あんた軽すぎ。環佳に戻っとく?」
「メンゴメンゴ、ちょっとキャラ作りを両極端に振りすぎたんだよね」
ハア。エトは苛立たしげに息を吐いた。「もう一人はそこまでじゃないよ。わかったから早く呼んで」
「ひゃあ、こわ。わかりましたよ、急ぎますよ」亜生は起動したアプリを慣れた手つきで操作する。
シリアスな場面には環佳の方が合ってたかもと少しだけ迷いを残しつつ、でも環佳が二人になるのもまずいよねと思い直し、エトは亜生に続いて部屋を出た。
「あ、そうだ。言うの忘れてたけど、いま病院にいるのは亜生だよ」
「おい、そういう大事なことは先に言えよ。部屋戻るよ」
「シリアスなときほど亜生のが楽なんだけど」
「ドッペルゲンガーとか洒落になんないでしょ。髪もいつものもっさり三つ編みにしなよ」
「そんな、もっこりだなんてひどい!女の子なのに」
「ひどいのはあんたの下ネタだ!」
でもまあ、つまりだ。この子は、最悪の場合、亜生が生きることを望んだってことか。エトはよくわからない怒りが込み上げてくるのを感じた。




