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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
レッティアーノ・ルーヴ
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三階の気配

 ディケルはずっと考えていたらしい。ブランペルラの姿が消えると、すぐに訊きたいことがあるといって私を見た。眉間に深いしわが寄っている。

「おじさん。アイツの言う通りなんだとしたら、あの神獣狩りはどういうこと?おじさんはこいつを知ってたんだろ、何でみんなアイツにやられたんだよ」

「あれはな、そういう話だったのさ。オレはやられてなかったし」

 私は肩を揺する。「オレはおまえらを探してたよ。本来オレの役割だったんだよ、錬金術師を捕まえ、ラグランティーヌをその気にさせるのはな。ところが案内人に深傷を負わせるわ、手負の相手を取り逃すわ……」

 私は声をさらに低める。「それにな……教会のなかでも性急なやつらが、リベル・プルディエールを創るに機は熟したと言い出していてな。背皮を持ったままじゃ本にされちまう可能性があった」

 私たちはさすがにそれは早すぎると考えていた。彼女にその意思が見られないからだ。無理強いではろくなことにならない。

 神獣狩り以降についていえば、私が直接関わらずに済んだことはむしろ僥倖だった。あれは背皮を移すことによってどこまでプルディエール嬢の能力を手にできるかという実験も兼ねていたのだが、そういう理由では、教会に危険視される可能性があったことは否めない。

 ただ、ディケルには実験云々まで話す必要はないだろう。事は単純にしておくに限る。

 私は言った。「それに御領主様の意向もある。候としては専属のリブラリアンが欲しかったのさ。無碍にはできんし、オレとしてはラグに自由に動ける身体を与えたかった」

 ディケルがつぶやく。「自由って言えるのかな」

 私は答えることができなかった。

 確かに彼女は歩けるようになった。しかし行動範囲は制限されている。この街の城壁を越えることはできない。

 ならば以前のように車椅子が必要な身体のままが良かったのか。

 彼女は絶対に首を縦に振らないだろう。


「でもそうだね」ディケルがそっと階段の手すりを持って言う。「ラグはいまの方がましだって言うだろうね」

「ああ、彼女ならそう言うだろう」


「だからって、あいつがラグとプルにしたことを許すことはできないよ」

「そうだろうな」

「でも」ディケルの声には苦悩が滲んでいる。「あいつが言うことも……」

 ディケルはブランペルラがいるであろう二階の奥へ目をやった。

 私も目を向ける。ブランペルラの気配はまったく感じ取れない。しかしそれ以外に誰かいるようだ。それが司書にしろ敵にしろ、ブランペルラに任せておけば、さして時間もかからず処理できるだろう。


 それよりもいまはディケルだ。この精神状態のままで会敵するのはまずいだろう。ディケルの気を鎮めなければ。「ディケル、あまり考えるな、おかしくなるぞ。あいつの考えていることなんてオレたちにわかるはずがない」

 私の声が聞こえたのかどうか、黙したままの彼からは判断がつかない。私は呼びかける。「ディケル?」

 ディケルは呼吸とは別の息をついた。

「わかる気がしてしまったよ。あいつは感情がないんだと思っていたけど、そうじゃないんだって」

「歪んでいるんだろう」

「大きすぎるのかもしれないし、うまくつながっていないのかも……」

「同情しすぎだ」


 そろそろ口を閉じなくてはならない。目線が三階のフロアを越えた。この向きでは特別閲覧室は背中側にあたる。左に九十度回って三階の床を踏む。左手になった閲覧室側の気配を探る。

 写本や稀少な印刷本を収蔵している三階フロアには天井と連結している書架が不規則に林立している。もちろん司書は配置を熟知していて目を瞑っていても歩けるのだろうが、初見では行き止まりも多く、目的の棚に辿り着くのは手間だ。

 私は幾度か利用したことがあるので、閲覧室の方向はわかるが、書架は不定期に配置が変更される。留金を外せば頑丈な車輪が書架を目的地に運んでくれるのだ。


 すべては外敵を想定してのことだろうと思うが、書架は視覚を塞いでも、気配というものを消すことはできない。

 気配は空気を伝ってくる。どんな人間にも何かしらの力というものが循環しており、それはだけでなく力は人体から放出されている。

 呼気がそうであり、体温がそれである。それは距離とともに減衰したとしても、同じ空間にいる場合、微量でも感じ取れる水準を超えて伝わってくるものなのだ。

 もちろん我々の場合、物を影にするときの意味を探る技を空間に対して使うわけだが。


 気配を一切消しされる人間は、死んで久しい人間だけだ。死後しばらくは死体でも気配がある。

 しかし稀に一切の気配を絶てる人間も存在する。ブランペルラのように。逆位相によって相殺するのだとか言うが、理屈はわかっても、気配を探知するのと同じようにはできる気がしない。

 通常気配を消したいのなら、自分を空間ごと完全に密閉するしかない。ビブリオテイカにはそれが可能な場所がある。その一つが三階の特別閲覧室だ。


 さて、厄介な事に三階には誰かいる。

 それも殺気を隠そうともしていない。間違いなくエルメリの仲間だろう。ことによるとエルメリ本人かもしれない。

 行くべきだろうか。プルディエール嬢が特別閲覧室に立てこもっているのかもしれないが、当然彼女の気配は感じられない。

 ここは放って四階に急ぐべきだろうか。

 わずかな時間差で、ブランペルラが処理してくれるはずだが……


 四階にも殺気を含んだ気配はあるが、一つは知っている。あの騎士様のものだ。

 もう一つあるが、これがエルメリかもしれない。他にも気配はあるものの、殺気と呼べるほどのものはないようだ。

 ラグランティーヌは上にいるようだ。プルディエール嬢特有の気配は相変わらず感じられない。となると、彼女は三階の特別閲覧室にいる可能性が高い。そして彼女がそこにいてくれさえすれば、ひとまず危険はなく、ディケルの出番はないということになる。


「ディケル、先に行ってくれ」

 私が確認することに決めた。「無理はするなよ。すぐに行く」

 

 ディケルも状況を把握していることは、その目が問いかけを含んでいないことからもわかる。彼は小さく頷くとわずかな衣擦れの音とともに階段を上っていった。

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