化学の力技
ブランペルラが扉を揺すって首を振る。「中で閂を掛ける音がした。押しても引いてもびくともしない。もちろん蹴り飛ばしてもね。力技では手こずるよ」
「通常の力技ならな。それを上回る力なら通るさ」
「助けを呼ばなくていいのか、おじさん。応急手当てはしたけど、このままだと長くないよ。城に知らせないと」
ディケルが護衛らの命を気にかけているようで私は安心した。冷徹に命を切り捨てられる心を持つには若すぎる。
「心配するな。一挙両得の代物がある。これだ」私は手に持った重い塊を示す。「最悪の事態ってのは想定しとくもんだな」
「それは……?」ディケルが訝しげに私の手にあるものを見つめる。
私は口角を上げる。「ブルーノから譲り受けたとっておき、火薬さ。つまり爆発する。閉め出される事態なんてのは最初に想定するもんだろう」
私は黒い半球形の塊をかざしてみせる。
「コイツが破裂したら扉なんぞ吹っ飛ぶ。が、そこからは時間との勝負だ。ヤツらも追手が来たことに気づいて仕事を急ぐだろう。だが、同じように城の連中も気づく。すぐさま衛兵を派遣するだろうさ」
「建物が壊れたりしないわけ」ディケルが憂い顔を向ける。
「そこまで強力じゃない。だが力の向きってのを決められるのさ。だから一点突破の力はかなりのもの、のはずだ」
私は復元したニカワを付けた火薬の箱を、覚えている三つの蝶番と、反対側の閂の位置に設置した。火薬の成分や火薬箱の中の構造はよくわからないが、張り付けてある面に爆発力が集中する造りになっているとブルーノは言っていた。いわゆる錬金術の技だと思うが、最近は別の呼び方をするらしい。化学とか言ったか……?力の向きは物理法則か。
導線を等距離でまとめ手元に引いてくると、私は手振りで二人を下がらせる。
石を打ち付けて飛ばした火花が、手間取ることなく導線の火薬に着火した。練習はしておくものだ。
私は急いでディケルらが避難している建物の陰に飛び込んだ。「耳を塞げ!」
ドンッッ!!!
耳を押さえてもなお轟音に鼓膜がもがれたような衝撃を受けた。
真っ先に扉へと駆け寄ったディケルが声を上げる。
「ダメだ、おじさん。閂が生きてる、折れてるけど切れてない」
見てみると蝶番は破壊できたが、閂が金属製で曲がるに止まり、扉の閂通しが健在なため多少隙間ができたものの人間が通ることはできそうにない。
しかし隙間ができたことが重要だった。あとは私とディケル、そしてブランペルラの複合技でけりをつける。今すぐに。
私は鉄を削ることができる高硬度の金ノコを持っている。これはいわゆる通常の錬金術師の知り合いから賭けのカタに譲り受けたものだ。これならば、閂を削り切ることができるだろう。時間さえかければ。
しかしいま、そんな悠長なことをやっている暇はない。一刻も早くプルディエール嬢のもとに駆けつけねばならない。
つまり、我々アンブリストの技の出番というわけだ。
影の状態は時間の流れ、変化の速度とでもいうべきものを曖昧にし、干渉できる者にそれを委ねる。
この性質を利用して閂を分断するのだ。
私はノコギリを掴み上げてブランペルラに示しながら、「まずオレが閂を影にする」
「なるほど、それを」ブランペルラがノコギリを受け取りながら、「わたしが影のままぶった切るという寸法か。ちゃんと鉄が切れるモノなんだろうね」
ディケルが半信半疑といった顔で「聞いてはいたけど、本当にそんなことが?」
ブランペルラは口角を上げる。「できる。わたしなら。おまえも見たはずだ。あいつの背皮を影のまま剥ぎ取るのを」
ディケルの目つきが険しくなる。
ブランペルラのヤツ、ディケルの感情を逆撫でして楽しんでやがる。オレはディケルの視線を遮るように手を差し出しながら言う。
「そうしておまえが元に戻す。しかし閂は断ち切れた閂になっている。復元したところで繋がらないのさ」
ディケルはオレを見て頷く。「わかった。やろう、いますぐ」
プルディエール嬢の背中の皮を剥ぎ取ったこともあるブランペルラのプニャーレ、いわゆるダガーと呼ばれる諸刃の短剣は、我らの師匠から受け継いだものだ。
主な成分は銀、刃と柄が一体で刃渡りは三十センチほど。刃全体に意味深な飾り文字が彫られているが、それ自体には何の仕掛けもない。むしろ剣としては鈍らでたいして硬くない代物だ。
それがなぜ影となった背中の皮を切り取ることができたのか。
影を切ることを可能たらしめているのはブランペルラ自身の意思の力。コイツの思い込み、もとい信仰心のなせる技だ。
意思の力は卑金属を貴金属に変えはしないが、意味に干渉し、変容させることはできる。もちろん物質の法則を逸脱しない限りで。この場合、閂は合金ノコギリで分割可能なのだから問題ない。
そして影化は、切断にかかる時間を現実から剥離する。切れている物質と意味の相互影響力とでもいうものの比重、影響力行使のベクトル、そういうものが逆転する。
切れているという意味が物質の状態を支配、制御することになるのだ。
現状の意味を剥離し、あらためて別の意味を押し付けることによって。




