城下
宵闇にまぎれるようにして城下に入った。城壁の北側にあるローマ時代の劇場跡には、神獣狩りの一族や一部のアンブリストしか知らない城壁の下を通り抜ける地下通路がある。
突き当たりの階段を上がると、とある民家の地下食料庫に出る。家屋はもちろん一族の者の所有だ。しかしどうやら今夜は出払っているようだ。
「ラグの居所はわかるが、プルディエール嬢がどこにいるのかは知らん。おそらく一緒にいるだろうが」
私はディケルの肩を叩く。「急ごう。ラグは城の別館にいる。バルディリ候には、それこそ明朝会うのがいいだろう。書簡は送ってあるしな」
石畳の道を城へと向かう。さすが城下だけあって行き交う人々も家々の灯りもまだ多い。珍しくもない修道士姿になど誰も目をくれないが、一応釘を刺す。
「あまりキョロキョロするな。神の僕は顔を伏せて黙々と歩くもんだ」
「わかってる。ヤツらがいるかもしれないしね」
「ああ。城は特に警備が厳重だ。オレのようによほど顔が利かなきゃ通してくれないだろう」
私は冗談めかして言うが、その場で入城を許可されるか正直私でも運次第だ。「しかし入れないからといって門前でただ指を咥えていることはないだろう。プルディエール嬢を狙っている場合は、そうだな、彼女らが外出する機会を窺っているはずだ。鉢合わせる可能性は高い」
ヤツらの本当の狙いがわからないだけに、こちらが場所を選んで待ち受けることはできない。私たち教会としてはプルディエールの安全が確保できればビブリオテイカの蔵書など関係ないわけで、まずは彼女を見つけなければ話にならない。
案の定城門は固く閉ざされており、門衛が傍の通用口を挟んでいた。
その中に運良く顔見知りがいた。その男が言うには、不用心にも二人は外出しているらしい。
「陽が沈んでからか?いったいどこに行った」私は努めて平静を装って訊いた。
「いつも通りさ、図書館だよ。つい四半刻ほど前かな」
私は思わず舌打ちしそうになった口を噛み締めた。知らせを受け取れていないのか?暗殺者どもがすでに到着していたら致命的だというのに。
「珍しく護衛が五人もついてったぜ。それよりおまえこそどうしたんだ?予定じゃあ、帰るのは来春のはずだ」
「ガキの使いだよ。可愛い弟子のためだ。オレもまるくなったもんさ」
私は男の上腕を軽く叩いた。「邪魔したな、図書館に行ってみるよ。ありがとう」
私たちは礼を言って、ビブリオテイカの分室へ、急ぎ坂道を駆け下りる。
いつもはあの女騎士一人だけのところ、護衛が増えているということは、私からの知らせを受け取っていると見ていいだろう。しかし護衛を増やしたところで意味があるかどうか。相手がエルメリだということは伝えたはずだが。
彼女ほどのアンブリストがエルメリの悪名を知らぬわけでもあるまいに、ノコノコ分室に出向くなどあり得ないだろう。自ら火に入るようなものだ。
それとも護衛以外にも人手を集め、ビブリオテイカで賊を待ち構えているのだろうか。
その場合、漁夫の利は得られないが、失うよりよほどいい。
「図書館か」
さらに足を早めながら私は独り言ちる。プルディエール嬢がこの地に留まる理由がそこに、つまりはリベルにあるのだろう。確かに始めはそう考えていた。
しかし彼女の滞在が一年近くになると、ラグランティーヌの脚の治癒、さらには完治までを見届けるつもりだとか、新たに刺青を入れたのならそれを馴染ませるのに時間がかかるのだろうとかーー刺青は入れてないらしいがーー思うようになった。
彼女ほどの術師が読破にそれほどの時を費やすとは考えられなかったからだ。
そこで事の詳細を探ってみたが、どうやら彼女は写本やスクロールを内側から鍵のかかる特別閲覧室に運び込んでいるらしく、その数は軽く百部を越えているとのことだった。
確かにそれでは解読に歳月を要するだろう。あの図書館に収められている写本は、『沈黙の書』や『化学の結婚』、あるいは存在の定かでない『アブラハムの書』のように、真の内容を秘匿しているからだ。それを百冊以上とは。やれやれ畏れ入る。
影になることによって、時間経過を相対的に遅らせ、長い年月を生きる魔女、プルディエール・デルフト。
神の理を破ったとして、彼女は教会から異端宣告を受けた。しかし彼女自身にとって、それがいかほどのものだというのか。どれほど勢力を拡大しようとも、彼女にしてみれば、われわれ教会の教義もカバラなどと同じくこの世の理を探求する多くの哲学の一つに過ぎないだろう。
彼女の出自は定かではないが、白と見紛う金髪と碧眼から北方の生まれなのは間違いあるまい。
数百年を生きながらえる魔女といわれているが、比喩か真か。まさかビンゲンのヒルデガルトその人だとでも?……いや、それはない。伝えられるヒルデガルトの思想、信仰は、プルディエール・デルフトのそれとは異なる。もちろん瞳の色も。
幻視のヒルデガルト。その仕組みはわからないが、神それ自体と直接の関係はないと私は考えている。彼女自身に起因する何かが、彼女に他の誰にも見えないものを見せていた。原因は彼女の内にあった。神は己の内にもあるのだと言われればそれまでだが。
想起する光景は、おそらく現実の風景よりも情動に深く結び付いている。心のうちの言葉はより強く意識に訴えかける。無条件で。そこに抗う気持ちは生まれない。思考しなければ、そこに自分はない。ただただ決まった通りに動かされるだけだ。心の言葉の場合、それは潜在的な願望なのかもしれないが。




