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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
ディケル・ソロウ
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影と復元する力

「しぃっ、しぃっーー」

 オレは慌てて女の口を塞いだ。「大事なもんでも落としたのか?」

「大事なものかだと⁉︎」

 女はオレの手を払い除けながら言った。「あたりまえだ、わたし自身だぞ、わたし自身が縮んでおる。どうなんだ、少年よ。わたしはどうなっておるのだ」

「いや、知らないよ。少なくともオレと会ってからは変わってないと思うけど」

「そうだ。そもそもいつ、影から復元されたのだ。そこに原因があるに違いない。神獣狩りの一族か……部分復元が可能だとしても、あやつらに完全復元の力があるなど聞いたことがない。そこまで膨大なイメージ力はなかろう。しかし現に復元しておる。しかもこのように不完全な……あ」

 ブツブツと独り言を吐き続けていた女が、急にマジマジとオレを見つめた。「いやしかし、まさか」

「なんだよ」

「思い出せ。おまえはいつ、この姿を見た?影ではない、この修道士姿のことだ。最初に見たのはいつだ。さっさと思い出せ!ほら、ほら!」

「興奮すんなよ、傷に障るだろ。なに?影じゃないだって?ああ、確かにあんた、最初はなんだかよくわからないもんだったな。それが影で、つまり人間だと分かったのは、いつかってことか。あれは確か……捕まえようとして振り返ったときだったんじゃないかな」

「なんということだ」

 女は残ったほうの手を額に当てるとガックリと肩を落とした。「まさかこんな小僧にしてやられるとは」

「は?何が?してやられるって?」

「はあああぁーー」

 長嘆息してから女は口を開いた。「いいか、影から元に戻る方法は三つある。一つ、戻り方の条件を付けて影になる。一つ、影化を支える意識が途絶える。まあ、これは諸説あるが……そして最後に、外部から強制的に復元する。今回付けた条件とは明らかに一致しないし、意識も途絶えていない。となると原因は……」

 女は喉奥で唸りながらオレを睨めつけた。

「オレ?」

「そうだ、おまえだ。全部、ぜえぇぇんぶ、おまえのせいなのだよっ」

 女はオレを蹴りつけた。「で、おまえそのとき何を考えていた?何を想像したらこんなことになるのだ。いったい誰を思い出していたのだ、小僧!」

 女の剣幕にたじろいだオレは何も言えずただその顔を見つめるばかり。深いため息とともに女が顔を伏せたところで、やっとオレは言葉を絞り出せた。

「たぶん、幼馴染のことを、思い出した」

「で?そいつは何歳なんだ」

「十五歳だけど……実際に想像したのは十三歳頃のあいつかな。まだ一緒に山で遊んでいた頃の」

「そうか、そいつは年齢よりも貧弱な身体をしているようだな。わたしのこの身体はもっと小さかった頃のものだぞ、おそらくだが!」

「知らないよ!だいたいなんでオレのせいなんだよ、意味わかんねえよ」

「チッ、おまえがわたしをこの姿にしたのだ。影のままなら腕の一本くらい、さして問題にならなかったものを。これは本格的に責任をとってもらわねばならんな」

「ごろつきかよ、あんた。言いがかりもたいがいにしろよ」

「まあ、わからんのも無理はないか。道々説明してやるから、いまは教会に急げ。犬に嗅ぎ付けられんとも限らん」

 ぞわっと背筋に悪寒が走った。「そうだな。とにかく先を急ごう」



 教会の神父は変わり者と言われていて、実践的な医術というものに興味を持っていた。外科手術は理容師などがする仕事として、大学が医学とみなしていないのはおかしいとも言っていた。

 観念的なものと肉体を結び付け、罪、妖精、悪魔が病気を引き起こすとするような、宗教的哲学的医学が重要視されているし、人体の物理的側面については千年以上もガレノスが信奉されている。そう嘆く神父は、医学と宗教、哲学を切り離すべく、生きた小動物から死んだ人間まで切り開いていた。神父なのに。

 また、北はトスカーナ大公国のフィレンツェやシエナ、南は教皇国のローマへ実演、講演のため招かれたりしていた。神学よりも解剖学その他の方で。

 外科系で大学などに呼ばれるだけでもすごいことだと思うが、ガレノス以来続いている人体解釈に新たな風を吹き込んでいるのだとしたら歴史規模の重大事ということになる。大した神父だと言っても身内贔屓にはならないだろう。

 その彼はいま、領主バルディリ辺境伯の要請で城下町へ移ったが、自称弟子の雑用係が教会と墓地の管理人みたいなものとなり、教会の隣りの物置小屋に作られた実験室のようなものを実効支配していた。

「ようなものとか、みたいなものとか曖昧な表現が多いな。実際どれほどの技術をお持ちなのだ、その自称弟子の墓守は」

「状況についてはオレもよく知らないんだよ。神父が良くも悪くもテキトーというか煙に巻くタイプの人でさ。でも切ったり繋いだりする腕はなかなかなもんだと思うよ、神父もその弟子も。数をこなしているからね」

「死体で、か」

「だいたいはそう。まあ、病院じゃないからね」

 オレは肩をすくめた。「けど、最近は腕がいいってんで、怪我した農夫とかが診てもらいにくるようになったな」

「瀉血しているのではあるまいな」

「それじゃこの千年来と同じことだからね。止血だよ、止血。だから連れてきたんじゃないか」

 背中の女はそれきり黙った。いま何時だろう。物置の窓はまだ明るいだろうか。教会の寝室に戻ってしまったかもしれない。

 今現在の女の姿に、オレがどのように関わっているのかについて彼女が話したことは、簡単には受け入れ難かったが、神獣狩りと合わせて考えるといろいろと辻褄が合うように思えた。

 神獣狩りの人間というのは、影をわずかながら実体へと復元することができるのだそうで、大概は影が身につけている貴金属や薬草、薬品の類いを実体化して掴み取る。

「内臓とか目ん玉とか持っていかれないわけ」

「そんなもの欲しいと思うか?思わないものは復元されない。それにこちらも完全に無防備というわけではない。自身の身体については拒否するように条件付けしておるしな」

「だったらオレのせいじゃないじゃないか」

「だからこそ恐ろしいし、興味ぶか」言葉が突然途絶えた。「ちょっ、止まっ、早く……背中に吐いていいか」

 慌てて下ろすと女は茂みに上半身を突っ込んで派手に吐いた。一頻り呻いて戻ってくると青い顔で、これもおまえのせいだ、と言った。

「これでしばらくは戻れんな。わたしの豊満な身体を形作っていた肉や脂肪をほとんど戻してしまった」

「え、そういう仕組みなの?確かに見た目より重いなとは思っていたけど……つまりいまは戻るだけの材料がない、と。でもまさか物理的に排泄されるとか、怖いな」

「なんとも嫌な言い方だな。しかし意味と物理的側面は表裏一体。矛盾は許されん。む……」

 女はモゴモゴと口を動かし、何か白いものを吐き出して唇を拭った。「さてと、時間を食ってしまったな。急ぐとしよう。おまえも楽になったことであるし」

 背負った身体は確かに軽くなっているように感じた。

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