背後の女
結果として活性値は判定ライン上にあると言えるほど微妙なものだった。
モノに触れている感覚ほど単純ではないが、人間に嫌な顔をされて追い返されたときのような、複合的な感情が湧くほどでもない。施錠されたドアノブを引いたときのような気持ち、その程度だ。
精巧に作られた贋作と状態のかなり悪いリベルーー本体が瀕死の状態で作られたリベルーーそのどちらであっても不思議はない。今回はこれまでで一番厄介な鑑定になりそうだ。
こうなると周辺情報、例えば誰が市場に持ち込んだのかということも重要になってくる。日和田は何気ない調子で訊く。
「ちなみにこの書を持ち込んだ方はどちらかのギルドに所属していらっしゃるのでしょうか?」
「鑑定書を見ればわかることだがね」
古書商はあくまで鑑定済みなのだと強調したいようだが、その口調は依頼人の心証をも悪くしそうだ。「シェンラン稀書協会のヤーホイ氏だよ。ご存知かな」
「もちろんシェンランは存じあげていますよ」
ヤーホイという名前は聞いたことがないが、シェンラン稀書協会といえば大手ギルドだ。古書商としては大手が太鼓判を押した品物にケチをつけるなという気持ちだろう。しかし大手というものは多くの鑑定士を抱えているもので、贋作が紛れ込むこともなくはない。
ヒソクに目をやる。ヤーホイという人物に心当たりがあるか知りたかったのだ。目が合うと、ヒソクは微かに首を振った。意図は通じたらしい。
ヒソクには幾つか特技があって、その一つに鑑定士名鑑というものがある。
ヒソクはビブリオテイカ、稀書ギルド、それから彼女が属しているという善なる一なるもの協会の発行するライセンスを持つ鑑定士のほぼ全員を記憶している。あと、ある程度実績のあるフリーランスも。
そのヒソクが知らないとなると、ヤーホイという鑑定士、実績があるわけではなさそうだ。ここでその鑑定結果を考慮する必要はないと日和田は判断する。
さて、活性度測定法で判断できなかったとなると、次に採るべき方策は自ずと決まってくる。
同期法だ。
問題は目の端の女だが、そのご登場は同期深度による。
同期深度は最も浅い一から読書に必要な深度三、そして最も深い五までの五段階あり、本の中身を探る場合、深くとも二で事足りるはずで、その深度ならば女は出てこない。
それでも加減を間違えれば出てくるし、日和田の技量ではあり得ないことではない。
しかしながら、これ以外に手はない。(正確にはもう一つあるのだが、彼としては女が出るリスクの方がマシだと考えている)日和田は腹を括った。
「活性度測定では確信には至りませんでした。これから同期による鑑定に移行したいと思いますが、よろしいでしょうか。こちらの見立て違いですし、低い深度なので、追加料金は結構です」
「結論が出るまでやってもらわなくては頼んだ意味がないが、それは良くない。規定通りお支払いするよ。こう言っちゃなんだが、キミの価格設定は良心的だから」
「恐れ入ります」
中小企業に個人事業主が大手と同じ価格に設定できるはずもない。それはどの業界でも同じことだと思いつつ笑みを返す。
同期法という言葉に、さすがの古書商も口をつぐんでいる。
やれやれ、と心中で息をつくと、日和田は同期のための心理状態形成に意識を切り替える。
普段努めて忘れるようにしている背中の刺青の存在をイメージしながら、軽く両肩それに首を回し、姿勢を正す。明晰になった背皮認識と、それ以外の肉体認識が循環する一つの環であると想起し、それを物質的な循環イメージと重ねる。
そうして準備が整うと、鑑定対象に両手で触れる。右から左、もしくは左から右、どちらでも構わないが、最終的に自分と鑑定対象とを一方向に循環する力の環を形作るのだ。
いま日和田は自分と背皮を一つの流れが循環しているのを認識している。
深度が深い場合、いつの間にか女の手が背後から伸びていて、日和田のものと重なっている。どのタイミングで女が手を伸ばしているのかわからない。寝入り端がわからないのと同じだ。気づいたときにはそこにある。そして彼女は他の誰にも見えていない。
背皮持ちなら誰でも日和田と同じ経験をしているかというと、通常は幻視や幻聴などはなく、テレビをつけるように背布やリベルと同期するのだという。
彼は非常に稀なケースらしく、ゆえにアスワドから女については口外しないよう釘を刺されている。無理矢理にでも奪おうとする輩が出てくるかもしれないからだ。
おそらく日和田の背皮は元々その女のもので、女はかなり高度な技術を持つ錬金術師に違いないとアスワドは言った。そういう錬金術師は多くなく、その背布が市場に出ることは基本的にないのだとも。
アスワドはヒソクに話しただろうか。話していなくてもヒソクは女の存在を確信しているだろう。それでもあえて存否確認するのは、日和田にそれを認めさせることで、ヒソクに対する意識の扉とでもいうものを解錠しようと目論んでいるからだ、と考えるのは穿ち過ぎだろうか。
女の存在を感じる度に、日和田がそんなことを考えているわけではない。むしろ女が出ているときは、別のことを考えるような精神的余裕はない。自意識と女のものである衝動を重ねつつ、あくまで自分の思考の流れに沿わせるように意思力を行使し続けねばならないからだ。
ただ今回に限っては、深度が低い。文字を追わず、頁の白黒のコントラストを見る程度。もちろん物理的視覚ではないが。
日和田は目を閉じていない。意識の一部は本とそれに触れている自分の手を見ている。
しかし意識のほとんどは内を向いている。記憶を探るように。
そうして本の記録と自分の記憶を照らし合わせる。贋作であれば、背皮保存器や金属、その他諸々の記憶の感触と一致する。
だから多くの感触の記憶を持っている必要がある。もし一致するものがなくとも、近似値でもリベルかそうでないかくらいは判別できる。
このように低い深度の同期でも観察対象の大雑把な輪郭、特徴を知ることができるし、その程度の走査だから、深度も低くて済むわけだ。
日和田は循環する力の流れの速度と量を制御するべく、流路と堰、それらを調節するダイヤルをイメージする。
徐々に流れが太く速くなる。
その息詰まる状況で、不意に手が視界に現れた。
バカな。女が出るような深度じゃないはずだ。
そもそも日和田の技量では深度三に届かない。
背皮の女の力を借りられれば話は別だが、それには日和田と背皮が深く同期する必要があり、彼は意識的にも無意識的にもそれを避けるよう訓練してきた。
背皮との同期回避は訓練初期から続いている、いわば宿命のようなものだ。
(ヒソクのおかげで)一度背皮の女が目覚めてしまったからには、今後背皮との同期回避なしに鑑定士になるための修練を続けられないからだ。何せリベルと同期しようと試みる度に姿を現し、主導権を引ったくる。(日和田がリベルと同期する際、自分の背皮と区別できていないのが原因の一端であるのだが)
そうなると日和田は否応なくリベルの記憶を見ることになる。それは全ページを一度に読むような、情報の洪水に溺れる体験であり、意識を保ってなどいられない。彼としては絶対に御免蒙りたいものの一つだ。
それがこんなときに?
日和田の全身に、どっと冷や汗が吹き出す。仕事中に根本的なところでミスするとは……
そこで彼は違和感を覚えている自分に気づく。
いや、待て。これは物質的じゃないか?
白く細く、ひんやりと冷たい。




