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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
紫乃宮エト
18/99

私立聖道学園

 新幹線のトンネルよりもっと山側、民家が途切れた先に、聖堂教会附属学校、私立聖道学園はある。

「こんな山んなかに、ホントにガッコなんてあるの」エトが額の汗をハンドタオルで拭いながら言う。

「オレも最初はそう思たんやけどな、あるんよ、立派なんが」吟は大きな歩幅で急坂をグイグイ登っていく。

「あんた、ちょっとはこっちのことも考えなさいよ」

「すまんなぁ、足長うて」

「チッ、胴も長いだろが」蹴りを繰り出す余力のないエトは、舌打ちと悪態で済ませる。

 四度目か五度目のカーブを曲がり切ると正面に大きな門が現れ、エトは呻き声を上げる。「げーっ、あれお寺じゃん。やっぱり道間違えたんじゃないの」

「そっちちゃう。右見いや」

 吟が親指を向けた先を見ると、コンクリート造りの建物が坂道の両側に連なっている。

「やっと着いたあ」エトは両手を腰に置いて天を仰ぐ。

「いやいや、目指してんのはもっと上やで」

 絶句するエトを吟は呆れ顔で見遣るも、「安心せえや、ひとまず休憩や。校長室やらはそこやろ」

「何で知ってんの」

「大人が必要もないのに山登るか?」吟は肩を揺すり、「ま、正直言うとや、ガッコのホームページ見たんよ。知っとるか、うちのガッコにもホームページあんねんで、表向きのな。いっぺん見てみい、爽やか過ぎてウケんで」


 司祭を訪ねてくる他校の生徒は珍しいのか、職員室の扉を開けた途端に視線が集中し、ホウとかアアとかキタキタとか言う声が聞こえた。すぐ隣の校長室まで二人をじろじろ見ながら案内してくれた教諭が退室して三人きりになると、柔和だった校長の四角い顔が不安げに曇った。

「うちの士郎(しろう)司祭にインタヴューしたいんやて?君らの学校はキリスト教系ちゃうよね。どうしてまた」

「まあ、あの大聖堂の司祭さまですし」吟が妙な猫撫で声で言う。「それに特別な恩寵を受けていらっしゃるわけで」

「常盤館長の紹介でなければ断るところなんやけどね。彼、忙しいから。それに非常に謙虚な人柄でね。インタヴューとかそういうのはね……」

「いやあ、ご無理をきいていただいて、ホンマにありがとうございますぅ」

 吟は終始満面の笑みを絶やさない。エトの持つ商人のイメージにピッタリだ。本当に高校生なのかと訝る。揉み手していないかと手元を見るとテーブルの陰で手カエルを作っていた。

「じゃあ、校長センセ、時間も惜しいことですし、そろそろ……いいですかね」

 校長は、仕方ないというふうに嘆息して立ち上がった。


 校長が運転する黒のレクサスは最徐行で車一台半程の幅の坂を上っていく。道を空ける生徒たちが物珍しげに後部座席のエトたちに目をやる。それを睨み返している吟にエトが囁く。

「ちょっと、ガン飛ばすのやめてくれる?囲まれたらどうすんの」

「すまんなぁ、教会関係って初めてやねん。ちょいとおのぼりさんみたくなっとったわ。でもな、東京モンでも大阪万博んときはこんなんやったはずやで」

「んなわけないでしょ」

「あほか、月の石やらあったんやぞ」

「いつの万博やねん!」エトは吟の脇腹に肘を叩き込んだ。「万博ゆうたらご長寿博覧会のことやろが」

「……なにしよんね……」上半身をくの字に折って吟が呻く。

「あんたが変なこと言うからでしょ。んな万博、親も生まれてないわ」

「いててて、うるさくてすいませんなぁ、先生。なんなら放り出してもろても構いませんで」

 ルームミラー越しに校長を見たエトは、開きかけていた口を閉じてむっつりと黙り込み、心の中で知らんけどとつぶやく。

 レクサスが進んでいく短い直線の両側には比較的新しい校舎が並び、折り返した先にまた同じような建屋が続く。片側に新たなビルの一階、反対側は下で見た建物の最上階。折り返す度に三階ほど上がっているわけだ。

 なぜこんな辺鄙な場所に学校を創設したのだろう。エトが率直に訊いてみると校長ではなく吟が口を開いた。

「始めに大聖堂ありきや。それと確か女子修道院。ですやんな、校長先生」

「ん、ああ、そうやな」

 校長は咳払いして続ける。「その修道院の十五代院長が明治後期に創った女子寄宿学校が元になっとる。今でこそ共学やけどな」

「そうなんですね」少子化でどこも大変なんだろうなとエトは思う。

 不意に視界が開け、ガードレールの向こうに海と街並みが広がった。ずいぶん上ってきたことがわかる。道路脇の案内表示を目に留めたエトが言う。

「ギン、この先滝だって。帰りに行ってみよ」

「おまえ、呑気やなあ。ミドリさんも言うてたやろ」吟は声をひそめ、「五体満足で帰れるかわからんて」

「いやいや、背皮をちょっと読ませてもらうだけじゃん」

「まあええけどや。オレもマイナスイオン浴びたい気分になるやろからな」


 レクサスが校舎屋上のテニスコートを通り過ぎ、木立のなかを進み始めると校長が目に見えて落ち着きをなくしていった。

 レンガ造りの門をくぐり抜け、その先を一度折り返すと十字架を掲げる石造りの建物が現れた。一般にあまり知られていないが、これが関係者の間で有名な山手大聖堂である。

 正面に二つの尖塔を持つ聖道学園の礼拝堂は、ケルン大聖堂を模したゴシック様式で、縮尺五分の三ほどとはいえ、見上げる者を威圧するには十分な高さがあった。

 礼拝堂の扉の前で振り返った校長は二人に待つように言うと、バンジーを飛ぶかのような悲壮な顔で、体当たりするように黒光りする木の把手を押した。重厚な見た目通り、かなり重い扉らしい。

 扉が閉まるのを待ってエトが口を開く。「校長が敬遠するのって、司祭がリクトルだから?それとも個人的な理由からなのかな」

「皆がみな知ってるわけやないやろけど、校長は司祭がリクトルやと知っとるっぽかったな。けどま、両方ちゃうか。背皮の記憶は古いんが多いやろ、それ共有するリクトルは現代やと変わりもん扱いになるわな」

「ちゃんとわきまえてれば大丈夫なんじゃないの」

「記憶はなぁ、混ざるし、それに濁るやろ。リベルやのうて背皮のモンは特にな。繋がって同じ環に入るんや、自分では判断つかんようなる。知らんのか」

「気にしたことないっての」ちゃんと分けてるし。「だいたい記憶ってそんなもんでしょ」

「アンブリスト修習生の言葉とも思われへんな。けどまあ、ええやろ。いまは目の前の難題に集中や」

「え、コレ難題なの⁉︎」エトは素っ頓狂な声を上げる。「校長はリクトルのこと苦手みたいだけど、さすがに話は通してくれてるでしょ」

「ホンマ呑気やなあ。教会は一筋縄ではいかんて、ミドリさんも言うてたやないか。ええか、こっからがホンマの教会や」

「えーっ」

 それにしてもこんな山のなかにあるとは思えないほどの偉容である。

 エトは見上げつつ壁伝いに歩く。壁面に這う蔦もまた礼拝堂に厚みを加えている。その蔦も壁の半分より上に辿り着けずにいる。ステンドグラスにかからないよう刈り取られているからだ。

 縦長のステンドグラスは幾重にも連なり、それらが湾曲した天井まで達していて、屋内から見上げると、天上界の存在を信じざるを得なくなるほどの、可視光線スペクトルをフル活用した荘厳な光が降り注いでいるのだろう。

「やっぱアレやな、教会の信仰心ってもんはこういうのがあってなんぼなんやろなぁ」背後にいる吟が手を目に翳しながら言う。「なんや、歌劇でも観てる気ぃになってテンション上がるんやろ」

「それってどういう意味?」不意に背後から声がかかる。「全部演出って言いたいの?あんた教会ディスッてんの?アホなの、死ぬの?」

 エトが振り向くといつの間にか同じ年頃の小柄な女が立っていた。

 門からこっち誰も見かけなかったということは、礼拝堂から出てきたのだろうか。セミロングのくせ毛が陽光に赤く照り映えている。着ているベージュのブレザーはこの学園のものではないようだ。

「アホというより犬ね、どこにでもついてくる」エトが応じて言う。

「なるほど、うまいこと言う、ってなんでやねん!つうか、あんた何なんや、噂のリクトルかいな」吟は身を屈めるようにして顔を突き出し、相手を下から上からじろじろ見やる。

「番犬ってヤツ?うわ、やらしい眼つき」と言って女は顔をしかめるが、すぐに吟を放ってエトに向き直る。「でも、なんで図書館学校の制服なわけ?」

「ハイハイお嬢ちゃん」

 お互いに眉をひそめる女とエトの間に吟が割り込む。「こっちは急いでんねん。スカウトならまた今度にしてや。ほら行くで」

「ちょっと」いきなり吟に手を掴まれ、エトは言葉を継げずに礼拝堂の正面に連れ戻される。

「いったい何なんやろなあ。紫乃宮、ああいうおかしなんに付いてったらあかんで?」

「いいから離せ!」

 エトが手を振り解くのと同時に、取手にすがりつくようにして青い顔の校長が出てきた。

「会ってくれるそうだ。いいかね、くれぐれも粗相のないように。君たちもだが、私が困るんだ。ああ、君もいたんだね」

 校長は他校の生徒らしき赤毛の少女に乗っていくかねと尋ね、そのまま二人はレクサスで去った。

「教職に就く者の台詞とは思えへんな」

「さっきの子、何だったんだろ」

「あいつも神父に用があったんちゃうか。あの制服はガル女、いやヒル女言うんやったかな。聖ヒルデガルド女子学院。同じ教会系でも、聖堂ちゃう。ちょい特殊なとこや」

「ヤンキーが多いとか?」

「まあ、そんなとこやな。さっきのんも赤髪やったやろ」

「それは海賊やないか。にしても地元でもないのに詳しいな」

「ネットで調べたんや」

 吟は得意げにエトを見下ろした。「いまどき情弱は損するで」

「いまどきそんなんいねえよ」エトが険のある声で言う。

「いいや、そうでもあれへんで」言いながら、吟は軽々と礼拝堂の扉を押し開けた。

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