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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
紫乃宮エト
17/99

新たな手がかり

 ヴェール夫人を思い浮かべた時の要領で、エトは求めるリベルの執筆者、表装となる背皮を提供したアンブリストのことを可能な限り鮮明に思い描こうとする。

 おそらく教会所属のアンブリスト、ディケルの叔父であり、ラグランティーヌの師であるところの神父、レッティアーノを。


 しかしそれほど頻繁に会っていない人物の目鼻立ちというのは詳細に思い出せるものではない。夢のような"読書"の中でしか会ったことがなければ尚更だ。しかしながらここはビブリオテイカであり、調べるのは検索機能に特化した背布であるところの『ヴェール夫人』である。

 思い浮かべろというのは言葉の綾で、たとえ映像ではなく、他のどんな情報、例えば名称、音声、状況、時代、漠然とした雰囲気であったとしても、それらを組み合わせて対象を絞っていけるのが、『ヴェール夫人』なのである。

 人とリベルや背布との伝達は情報の抽象的処理レベルで行われていると考えられている。夫人は共通概念構築を得意とするので読み取り精度が高いのだろう。

 そして単語の持つ複数の意味が文脈によって、つまり情報の増加によって一つに決定されるように、まったく異なるソースの情報でも関連付けることができる夫人は、そうして自己の関連する記憶を絞り込み、当該リベル等を発見するのだ。生きている人間だった頃の五感情報と心象の総合として記録するこの方法は非常に人間的だとエトは思う。それとも突き詰めたら0と1になるのだろうか。


 頭がムズムズする、と思ったときには、それどころの話ではなくなっていた。

『ヴェール夫人』を見るのは三回目だが、検索を頼むのは二回目だ。まだ二回だから接続感覚に慣れないのかと言われれば、何回目だろうと慣れることはないだろう。

 頭蓋の中をまさぐられるようだが、触覚とはまた違う感覚。五感というよりは喜怒哀楽に近いこれは、感覚というより心情の類なのだろう。

 切迫感に思わず目を開けてしまいそうになる寸前ーー


 突如エトはあの教会を見上げていた。

 ラグランティーヌの教会。

 目が物置小屋を探すとそこは見覚えのある部屋に変わる。ディケルの生家だ。

 帰郷のたび姉の世話になっていたレッティアーノにも馴染み深い場所。

 開いた窓の外に葡萄畑が遠い。その向かい側の壁に様々な額に入った絵が、いや写真が掛かっている。どこからか人の話し声も聞こえてくる。誰の声か、何を話しているかはわからない。

 ディケルを見つけるときに一度経験したから、エトはそれが実際にあった景色ではないとわかっている。額の中にあるのは写真ではなく記憶の写像だ。いま『ヴェール夫人』はエトの中の『リベル/ディケル』の記憶と自らの記憶を照会しているのだ。その起点がディケルの生家であり、繋がっているゆえに『ヴェール夫人』の演算の一部がエトの認識領域で可視化しているということらしい。

 部屋も写真も移り変わる。バルディリ候に謁見したときの広間、神獣狩りの森。しかし多くは霧がかかったように陰影だけしか見分けられない。もはやエトの知見と直接の繋がりがない記憶を辿っているのだろう。

 ただ、思っていたよりもレッティアーノの情報はあるらしいことはわかる。エトの期待は否応にも高まる。

 混沌のその先に人影が見えたと思った瞬間、『ヴェール夫人』その人が目の前に立っている。

 エトは期待に満ちた眼差しを向ける。


 しかしながら夫人の第一声にエトは落胆せざるを得なかった。

『『リベル/レッティアーノ』の存在は確認できません。ビブリオテイカの蔵書、所属のリブラリアンの関連する中には存在していません』 

 リベルの所有権は別にして、ビブリオテイカには教会や善一協会などの区別がなく、その二つを主とした複数団体の共同出資による、リベルや背布の管理組織という側面が強い。

 実際の出資は大昔の設立当時の話であり、現在はリベルの管理委託料や鑑定料、寄付などが経営資金となっている。

 また委託されたリベルはもとより、背布の記憶、検索を依頼したのがリクトルであればその背皮の情報も、管理や検索などの対価として求められる。だからこそ教会や善一協会など、エトが所属していない団体ーーそもそもエトはどこにも所属していないつもりだがーーのリベルや背布の情報を請求できる。

「レッティおじさんがアンブリストなんて、さすがに飛躍しすぎたかな」

 エトは力なく言った。夫人はじっと彼女を見つめたまま静止している。いずれにせよリベルは存在しないか、夫人の検索網には引っ掛からないところにあるということだ。

「なんか他に可能性ないのかな」エトは独りごちる。何か見落としている気がするのだ。

 エトは俯けていた顔を上げた。「背布は?ディケルの叔父さん、レッティアーノの背布を探してくれませんか、夫人。その次は背皮を持つ人を」

 夫人が融通の利かない性格だということをエトは思い出したのだ。リベルと言えばリベルだけ、背布ならば背布、背皮を受け継いだリクトルならばリクトルだけを探し、それらを同時に探してはくれないのだ。


 改めて検索を終えた夫人の第一声は、エトを期待させるに十分だった。

『レッティアーノの背布または背皮は複数存在します。ビブリオテイカに一枚、教会に二枚』

 ビンゴ!

 エトは内心で快哉を叫んだ。しかし喜ぶのはまだ早い。手の届くところになければ、諦めざるを得ないのだ。

 エトは恐る恐る訊いた。「それはどこのビブリオテイカにあるんですか」

 待ち構えていたかのように返答があった。『ローマ・ビブリオテイカです」

 さもあらん。教会のアンブリストだもの。しかしこれは絶望的距離だ。ならば教会所有の背布ならばどうか。エトはダメもとで訊ねた。

 結果、意外な答えが返ってきた。

「一つは、これもローマにあります」

 エトは頷く。はいはい、そうですよね。

「もう一つは市内にあります」

 エトは頷く。うんうん、そうでしょうとも。「って、ホントに!?」

「嘘をつく必要が?」気が利かないわりにこういう切り返しをしてくるのが夫人だ。

「市内のどこにあるんですか」

「山手聖堂教会。その附属学校で教師をしています。五年前に更新され、今まで変更されていない情報です」

「先生ですか。ということは背皮ですね」

 夫人は頷いた。

 エトは髭を生やし、黒い長髪を後ろで束ねた背の高い男が教壇に立っている図を思い描いた。しかしながらリクトルが背皮の提供者であるアンブリストと似ている道理はない。「ちなみにその背皮って記憶保存のためのメモリア・タイプですか」

「残念ながら、そこまではわかりません」

「そうですか、わかりました」

 背皮がメモリアならば読める可能性がある。エトは頭を下げる。「ありがとうございます。ツテを探してみます」


 夢から覚めるようにエトは目を開けた。

 物質世界が戻ってくる。

 軽い眩暈によろけたエトは、引き抜いた手をガラスについて身体を支えた。指先の汗がガラスの表面を濡らす。

「ヤバッ」

 ブラウスの袖で拭き取ろうとするエトに、吟が声をかけた。「ちょい待ちいな。ティッシュあるさかい」

「ちょっとあんた、ついてくんなって言ったでしょ」

「本館ちゃうんや、広ないんやからしゃあないやろ。みどりさんの部屋に上がり込むわけにもいかんしな」吟は肩をすくめ、「んなことより、探しモンはめっかったんかいな」

「あんたには関係ないでしょ」

「なんやツンツンしとんなあ」

 いつもなら応戦する吟の煽り文句を受け流し、エトは訊いた。「ネズギン、あんた教会に知り合いとかいる?」

「あ?キョウカイ?どっちのやねんって、まあ普通、十字の方の教会やわな。残念やけどおらんわ。ミドリさんに訊いた方がええんちゃうか」

「いないから、訊いてんのよ。あんた、ミドリさんが帰ってくるまでいるのよね。あたしも待つことにしたから」

「急いてるとこみると、なんや成果あったみたいやな」


 常磐館長は建物裏の車止めに呼び出した吟に大量の紙袋を持たせて書庫へと戻ってきた。

「遅くなってごめんなさいねぇ。それでエトちゃん、わたしに訊きたいことってなぁに?」

 勝手に話を通した吟に苛立ちながらも、どう切り出したものか考えあぐねていたエトは、反面ホッとしていた。素知らぬ顔の吟を一応睨みつけると、エトは館長に向き直る。

「読みたい背皮が近くの山手聖堂教会附属の学校にあるみたいなんです。それで、ツテを辿っていけたらなって」

「聖堂教会ねぇ……」

 そう言うと館長は顔を曇らせる。「あまり感心しないけれど、教会にも連絡を取れる友人は何人かいます。ただ、聖堂教会となると」

「何か問題があるんですか?アンブリストをよく思ってないとか。あ、でもリクトルがいるってことは、アンブリストがダメってわけじゃないのか」

「まあ、有り体に言ってしまえば、『P』が疎まれているのですよ……それにしても何のために会いたいのですか」

 思いのほか強い目で真っ向から見つめられた。『P』が疎まれているという言葉に少なからずショックを受けたエトは、さらにたじろぎつつ答える。「『リベル/ディケル』を読み解く参考になるかもって」怯みながらもその先にある本来の目的を隠し「レッティアーノ・ビアンって、ディケル・ソロウの母方の叔父ですよね」

「あなた、『D』を読んでいるの……わかりました。山手聖堂教会附属校ですね?あそこの校長を紹介しましょう。けれど」

 館長はエトのお礼の言葉に被せて続ける。「学校とはいえ、教会の門をくぐるのはそれなりのリスクを伴いますよ。わかっていますか」

「それは、どれくらいのリスクなんですかね……」エトはおずおずと訊ねる。

「そうねぇ、手首から先が無くなったりはしないでしょう」

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