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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
紫乃宮エト
12/106

リベルD

「ちょっとシノミヤッ、起きなさいってば!」

 肩を揺さぶられたエトは分厚い本に突っ伏したまま、しかめ面で目をしばたく。

「シノミヤさん、なに読み耽ってるの。受付でしょう」

 同じクラスの武井環佳わかが弧を描くカウンターの向こうから手を伸ばしている。「それにその本、書庫から持ち出し禁止のはず。違った?」

 言葉はきつめだが、一切顔にも口調にも出ていない。完璧な無表情、鉄面皮。眼鏡越しに見る目付きだけが苛立ちを覗かせている。

 先の広がった長めの白い袖口、襟元の広く開いた濃紺の上着の下に真白なブラウス。折り目がしっかりついた、これも濃紺の膝下丈プリーツスカート。上着の開いた首元を隠すようにセーラーカラーに似た白い襟掛を巻いているのが特徴的だ。

 一見すると修道女を現代的にもじった女学生の仮装といった佇まい。しかしこれがこの学校の制服で間違いないのだ。

 紫乃宮エトは枕にしている本から顔を上げた。母由来だと聞いたハシバミ色の虹彩は最近ますます淡くなっている。

 まだぼんやりしているのか頭を振ると、長い薄茶色の髪が顔を覆ったが、両手は本を押さえたままそれを払おうともしない。表装の上に左右の手指四本ずつ。両親指は頁の間に挿し込まれているようだ。

「だって、プルが読みたいって言うんだからしょうがねえだろ」エトはやっと革装丁の本を手離して椅子の背に凭れ、髪を払い除ける。

「またそれ。放課後でいいでしょう」環佳は黒い瞳でひたと見据える。「もしかして、また憑りつかれているの?言葉遣いが荒いわ。いえ、いつもそうだったかしら」

「午後はお茶の時間なんだよ、イタリアでもさ」エトは不機嫌そうに口を歪めて目を逸らした。「それに今すぐって。どっちもホントのことだよ」

「わたしの目を見て言いなさいよ」

 エトは環佳を睨んだ。「嘘じゃねえよ。それに受付なら自動受付機があるだろ」

「一般図書用がね」環佳も負けじと睨み返す。

 一般図書といっても錬金術や刺青に関する書籍であり、アンブリストやリブラリアン候補生のためのもので一般生徒用ではない。

 この図書室自体一般生徒が立ち入ることはない。意識を逸らすようになっていて、普通はその存在も認識されない。一般生徒のための図書室は別の場所にある。

 環佳は抑えた口調で続ける。「リベルや背布は別。受付係だった先輩が卒業して、生徒じゃあなたしかできないんだから。扉番に認められたあなたしかね」

 おまえは読まないじゃん、という言葉を辛うじて飲み込み、エトは唇を尖らせた。

「次から気をつける」

「前にもそう言った」環佳は無表情のまま言った。

 エトは顎を上げ、「じゃあ、何と言えばお気に召すんだ?」

 環佳の濃い眉がピクリと動いたが、彼女は何も言わずに持っていた本をカウンターに置いた。あくまでも優しく丁寧に。「返却手続きをお願い」

 小さな声で言うと環佳は踵を返した。ざっくりと編んだ三編みが揺れる。

「ちょっと、これリブラリアンの自叙伝じゃん。一般書はあっちの機械で返せるだろ」

 エトの呼び掛けを無視して、環佳はぐんぐん遠去かる。

 その後ろ姿を見遣りながら、「ふんっ」とエトは鼻を鳴らす。

「エトってば、会えば絶対絡むよね」

 見れば、環佳そっくりの少女がカウンターの端から顔だけ覗かせている。ただし眼鏡は掛けていない。

「うおっ、ドッペルゲンガー」エトは大袈裟にのけぞる。

「お姉ちゃんマジメなんだからさ、可哀想でしょ」

「なんだ、お姉ちゃん大好きっ子の亜生あおか」エトはむっつりとなって「だってさ、すっごくいいところだったんだよ。これからオレがラグの真意に気づいてさ。ラグは歩けるようになりたいんじゃなくて……」

「村を出てく足枷になりたくないんだって。もう耳タコだよ」亜生は苦笑し、「にしても、まぁた深入りしてたね。言葉が諸々おかしくなってる」

「ホントに?オレ何て言った、あ……」

 亜生はクスクスと笑うも不意に真顔で「でも可哀想だよね、その二人。結局一緒にいられない」

「そんなのわからないじゃん。修行を終えたら迎えにいくんだよ、きっと」

「そうかもね、っていうかヨダレくらい拭いたら?」亜生は呆れ顔で言う。

「む」エトは口元を袖で拭いた。

 亜生は顔をしかめ、「そっちじゃないよ、リベルの方。そんなだと、ディケルさんに嫌われちゃうかもね」

「これヨダレじゃないから。手汗だから。手に汗握ってたんだから」

「ふうん。面白いんだね、ディケルさんの人生って。とはいえ、体液で汚してることに変わりないんじゃない」

「ちょっと、言い方。これだからR18大好きっ子は」

「フフ、じゃあ時間もないことですしオスシ、ちょっとだけユリっとく?」

 亜生はそう言って、白いブラウスのボタンを外す。着る度に襟掛を整えるのが面倒だと言って、全校集会など必要最低限しか上着を着ようとしない。

「いやいや亜生さん、背皮の返却だよね。ここでやるの?」

「昼休み終わりだから誰もいないし、いいよ」

「じゃあ、保管器取ってくる」

 エトは書庫へと続く、背が高く重そうな黒檀色の扉の中央に埋め込まれた、円形の金属板に手のひらを当てる。

 暫時そうしておいてからエトは案外軽そうに扉を押し開ける。これは同期による生体認証のような解錠システムで、先ほど環佳はこのことを言っていたのだ。

「しかしまあ、何でいつもいつも際どい場所に移すかね。腕とかにしなよ」

「わたし細いからさ、背皮を張り付けるスペースがそういうとこしかないんだよ」

「言ってなさい」

 エトはすぐに高さのない水槽のようなケースを抱えて戻ってきた。留め具を外して蓋を開ける。

「お願いしまぁす」後ろ向きにカウンターに腰掛けた亜生がブラウスをはだけた。自身の肌の感触を楽しむように指先を心持ちゆっくりと滑らせてブラの肩紐を外す。ポニーテールをよけて露出したうなじに、エトの鼓動が少し高鳴る。

 亜生の背中には三つの同心円と複雑な文字が、盆の窪を跨いで両肩から肩甲骨の半ばまでを埋めるように並んでいる。

「味覚の伝道師、大男デサンジャン。また結構なデカブツを借りたね。これは腕じゃ無理だ」

「料理上手が彼しかいなくて」

「料理の腕を後世に遺そうなんてアンブリスト、普通いないよ。いい?触るよ」

 言いながら、エトは肩の文様に指先を当てる。静電気が走ったような刺激に、エトはわずかに顔をしかめる。亜生の肩も震える。背布の活きが良いほど痛みは強いのだ。

「オーケー、繋がった」

「はあ、ごめんね、痛い思いさせて。言いながらまた頼むんだけど」

「いいよ、こっちは大したことない。それでどうだった?」

「異性のは馴染みにくいっていうけど何とかやれたよ。で、今日返却期限ギリギリ」

「馴染み過ぎたら問題だよ。期限とか言わずに、なるだけ早く返しなよ。信頼できる優良図書っていってもさ、完全に信用できるかは……」

「うん、そうだよね、気をつける。お心遣いありがとね。どう?もうイケる?」

「オケ。剥がすよ。じっとしてて」

 エトは両手で掬い取るように、皮を真ん中に寄せていく。亜生には黙っているが、剥がしたての背布はより生っぽくて気持ち悪い。接着面は言うに及ばず、意味が曖昧なままで見ると気分が悪くなる。

 逆に背布が取れた後の肌はしっとりとして色っぽいから好きだった。単に年齢的なものかもしれないが。

「んんん」

 亜生が形容し難い感覚に呻く。減衰しているが共有しているこの感覚、エトは嫌いではない、というかちょっとしたご褒美だと思っている。

 これが形容し難いのは、感覚器によるものではないからだろう。亜生の皮膚と背布、エトは二つの意味を分離することで物質的にも二つに分けているのだが、実感があるのは意味の方だけで、五感によって認識しているわけではないため、シールを剥がしているような感覚はない。しかし一つのものが二つに分かれる意味は存在するわけで、それが意識に直接入り込んでくるようなのだ。

 それにしてもとエトは考える。背布がくっついている時、亜生の皮膚と背皮は物質的にどうなっているのだろう。細胞が入れ子状になっているのだろうか。それとも箱の中の猫よろしく未確定の状態なのか。待て待て、いまは剥がすことに集中しなきゃ。

 エトは両手で寄せた背布をズルリと持ち上げると、そのまま蓋の開いた保存容器に滑り入れた。

「あー、スッキリした。ありがとね」肩紐とブラウスを直しながら亜生が言った。

「こっちこそありがとう」

「いや、何が」苦笑する亜生は、何かに気づいたように片眉を上げる。「にしても髪ボサボサだねえ」

 亜生はポケットを探り、紫紺の短い棒を差し出す。「これあげるからさ、ちょっとオサレにまとめてみたら?」

 躊躇いがちに受け取ってみると少し大きめのヘアピンだった。エトが何も言えずにいると、

「エトかわいいんだから、髪編んでみたりさ。かわいい子はちゃんとしなきゃダメ。義務だよ義務」

「でもさ、あたしそういうのわかんない……」

「じゃあ、参考までにやったげるよ」そう言うと亜生はどこからか櫛を取り出し、エトの髪を解く。それからせわしなく、しかし滑らかに手指を動かすが、もちろんエトには近すぎてよくわからない。ただ、左側をピンで留めたのは感じた。

「うーん、なんかものたりない」亜生は眉をしかめ、「そうだ」と言うと自分の髪をポニーテールに結わえていたゴムを取って口に咥え、再度手を伸ばす。

 暫時細かく手指を動かすと、軽くエトの上腕を叩く。「ほい、できた。このアシンメトリーがいいんだよね。後で鏡見てみて」

 戸惑いつつ頷くエトに、亜生も満足げな笑みを浮かべる。

「うんうん。さてさてさぁて、エトも急がなきゃ五限目に間に合わないよ」亜生いは軽く手を振ると、背中を半ば覆い隠す長い黒髪を翻した。

「はいはいはぁい」エトは生欠伸を噛み殺す。

 やっぱり双子だ、歩き方や背格好はよく似てる。亜生の後姿を見送りながらエトは思う。性格以外は成績も運動能力もどっこいどっこい。背布と同期して内容を読み取るリブラリアンとしての技量だって変わらないはずだ。

 それなのになぜ環佳だけ背布を利用しないのだろう。単に触れられるのが嫌なだけなのだろうか。堅物の環佳も、肌は亜生と同じように滑らかなのだろうか……

 午後の始業時間だというのに、エトは席も立たずにカウンターに頬杖をついて、とりとめのないことを考えている。


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