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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
紫乃宮エト 3
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託されたものは

「死んだのか?」あたしの思いをディケルが口にしたようなタイミングだった。

「勝手に殺す……な」ダーシアンが片目を半分開いて言う。「まだ言うことがある」

 ダーシアンの目だけが忙しなく動く。「カエルラ」

「はい。ここにいます」カエルラがダーシアンの視線の先に身を移した。

「おまえのことだから、ボクの背皮をその身体で修復するとか言うんだろう」

 カエルラはわざとのように大袈裟に目を見開き、「その通りです」と言った。

「一つ忠告しておく」ダーシアンは辛そうに息をついたが、誰も遮ろうとはしない。

 ダーシアンはかすれた声で言う。「ボクは背皮を剥がされる前に腹を刺された」

 それだけ言うとダーシアンは黙し、目を閉じた。

 カエルラはチラと彼を抱える女の顔を見てから、ダーシアンの手を取った。

「大丈夫です。わたしは耐えてみせましょう。あなたが封をするためにかけた呪いに」

「……違う」わずかに開いた唇からダーシアン声が漏れた。「封をしたのでは……」

 カエルラは黙ってダーシアンを見つめる。

「生きたいと……思ってしまった」

「それは当然のことでしょう?」

「いや……それは反射だ……本能だ……アンブリストの本懐じゃない」


カエルラが口を開く前にダーシアンは続ける。

「同情はいらない……赦しも……ただ……未来を見せてくれ」


 確かにこの人は死に際に懺悔するような人間じゃないよね、とあたしは思う。けれど後悔に似たもの、いいや後悔じゃない、希望というか自分にとっての光に手を伸ばす思いはあるんだな。


「わかりました」

 カエルラは真剣な顔で頷き、返事として握った手に力を込めたようだった。


「さあ、刺されたところを治療するわよ」ダーシアンの頭を抱えていた女が言った。死後の話をしていても、まだ死なせるつもりはないらしい。


「好きにしてくれ。もとより寿命は尽きかけていたんだ。キミに逢えて、もうほとんど思い残すことはない」

「残された時間がわずかなのはお互いさま。だからこそここで終わらせたくないの」

 女の言葉にダーシアンは苦笑めいた息を漏らす。


 二人のやり取りを聞いていたカエルラは、すっくと立ち上がり、再び施術用の椅子に跨った。「始めてください」

 引き千切られた拘束具と折れた肘掛けと彼女とを戸惑いながら見比べているリブラリアンに、カエルラは力強く頷く。「大丈夫。どんなに痛くとも、わたしは微動だにしませんから」

 それでも助手と顔を見合わせるリブラリアンにカエルラは業を煮やす。「急いでください!こうしている間にも、背皮が死んでいくのです」

 リブラリアンはまだ迷っている。それは背皮の存在の是非を自問しているようでもある。

 とうとうディケルが進み出て、リブラリアンの肩に手を置いた。「ナイフを。オレがやる」

 ディケルは奪い取るようにナイフを受け取ると、間をおかず一気に刃先を滑らせていく。

「あんたの言うように火傷ってのは、火から出しても進行する。手早くいくぞ」

 カエルラはわずかに首肯し、意を伝える他は微動だにしない。

 ディケルはニヤリとして刃先に力を込め、一気に彼女の背中で一周させた。

 ディケルの背後では、気を取り直したリブラリアンが、皮膚を剥がすためのヤットコのような器具を二つ持って待機している。

 今度は丁寧にそれぞれを両手に受け取って、ディケルは背皮の上部の両端を挟んだ。

 そしてジリジリと引っ張り下げていく。


 血が泡のように浮き上がり、集まって流れ出す。

 カエルラは変わらずピクリともしない。しかしその筋肉が硬直しているのがわかる。


 まさに拷問だった。

 しかしあっという間の拷問だ。ディケルは手際良く、剥がした背皮を金属の台に置いた。

「これも必要だろう」ディケルはダーシアンの治療にあたっている女に向かって言った。

「ありがとう、この傷をなんとかしたら使わせてもらうわ」

 ディケルは肩を揺らしてカエルラの背中に向き直る。


「これからダーシアンの背皮をつなげる。準備はいいか?」ディケルはカエルラの耳元に告げる。

 カエルラは吐息と微笑でそれに応える。

「物理的な接合は問題ないとおもうが、意識の接続は容易くないぞ。直前に刺されたのは大きい。制御できなかった防御反応が残っている可能性が高い。おそらく拒否反応がある。それも苛烈な。いいんだな」

「覚悟はできています」カエルラは小さい声だが明瞭に言った。

「よし」

 ディケルは頷き、両手の指先を剥き出しの筋肉に触れる。すると、すべてとはいかないが、カエルラの背中が闇に沈む。筋肉の表面に滴る血液や体液、細胞片が影化したのだ。


 助手役からダーシアンの背皮を受け取ったディケルは、慎重に、しかし素早く検分すると、すぐさま手際良く背皮の端を背中の皮膚の断面に合わせ、そっと被せていく。

 影化はしない。というよりできないのだ。ダーシアンの背皮の環は強固で、時間をかけずに意味を剥ぐことは不可能だ。

 ただ、カエルラの影化した血、体液それに細胞片は影化を解くとダーシアンの背皮側に引き寄せられ、その回復の一助にはなるだろう。

 つまり、後は自然治癒に任せるほかないということだ。


「よし」

 背皮を縫合し終えたダーシアンは袖で額を拭った。

 リブラリアンが二人がかりで包帯を巻いていく。


「終わったのですね……ありがとうございます」カエルラがかすれ声で言う。

「施術は終わったが、大変なのはむしろこれからだ。背皮が癒着して同期が進めば、意思の侵食が始まる。ヤツは生きたいと願ったらしいからな。自分が、生きたいと」

「ええ、承知しています」カエルラは笑みをこぼす。


「なあ、あんた。意思をすべて委ねてしまおうなどと考えてないだろうな」ディケルは何気ない調子で訊いた。


 カエルラの返事はない。

 ディケルはため息をつく。

「やっぱりかよ」ディケルはぞんざいな口調で言った。「言っておくが……それじゃあダーシアンは救えないぞ」

「……どういうことでしょう」カエルラの声はわずかに震えている。


「ダーシアンはあんたに何を託した?背皮か?」ディケルは声を一段低くし、「そうじゃないだろう」

 カエルラは沈黙した。

 ディケルは首を振る。「背皮ってのは、どんなに優秀なアンブリストのものでも、リベルとは比べるべくもない。そこに指向性はあっても意思はない。ダーシアンの背皮はダーシアン自身じゃないんだ」


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