邂逅
「ダメッ」
メリッ‼︎
叫び声とともに大きな破壊音。あたしの目の端を掠める影。
音の元は椅子の千切れた拘束具。
反射的に目で追うと、元騎士が部屋の奥へと駆ける後ろ姿が目に映る。
その先には竈門の傍に立つ血の染みついたリブラリアンの制服。手には……
赤と白の入り乱れる布?
いや、あれはダーシアンの背皮!
「させません!」カエルラが急追する。
あたしはリブラリアンの顔を見た。その口に張り付いた、恐怖にまみれた薄ら笑いを。
「その男の人生を消し炭にしてやる」そのリブラリアンの女は言った。「わたしのいとこの人生を消したように……!」
リブラリアンは燃え盛る薪に向かって背皮を放り投げた。
本当に消し炭にしたかったのならば、彼女は手を離すべきではなかった。
せめて背皮の向きには注意する必要があった。
皮とはそんな簡単に燃えるものではない。むしろ逆だ。
そして表面ではなく裏側、血管や肉が剥き出しになっている側を焼けば、背皮の回復はより困難になっていただろう。
カエルラは躊躇しなかった。
ごうごうと炎を上げる石組みの炉に両手を突っ込んでダーシアンの背皮を掴み出した。
そして火の粉を払う。
リブラリアンはそれをなすすべなく見ている。その目にはいまもなお、恐怖が、怯えが張りついている。
彼女は己の信条を投げ捨てたのだ。智こそ至上というビブリオテイカの掲げる御旗を下ろしたのだ。そのことに対する心情がその眼差しから窺い知れる。
後悔ではない。
自分でもまったくわからない、あるいは理解を超えた行動に、ただただ身をすくませている。
ダーシアンは重傷だった。背皮があれば、即座に傷を移動させていただろう。いや、致命傷という意味を変容させることは難しい。他から命の断片を借り受けねばならない。
ダーシアンの視線がディケルから逸れた。命尽きたのではない。むしろその顔には気力が戻っていた。
ディケルは、あたしは背後を振り返る。
プルディエールだと思ったその人は、次の瞬間、あたしの知らない黒髪の女性の顔でダーシアンに微笑みかけた。濃い眉を悲しげにひそめ、しかしその鳶色の瞳に安堵を滲ませて。
あたしはかがみ込むその女性にダーシアンをあずけた。
ダーシアンはあたしに満足げな一瞥をくれると、まっすぐ女性を見つめた。
「助けてあげようか?」女性は言った。
「キミの命を使って?なぜ?」
女性はふいっと視線を浮かせ、「趣味なのよ」
ダーシアンは微かに笑い、「冗談じゃない。今度はキミが見送る番だ」
「そう」女性は肩を揺すり、「まあ、すぐにあえるでしょうけど」
「そうだな」ダーシアンは目を閉じる。「意識は肉体を観察するもの。死すれば失われるが……意思ならあるいは、ね」
「そうね」
「ボクの背皮は?」ダーシアンが訊いた。「あの女の考えていることはおおよそ……見当がついた……ボクの背皮は?」
「どうやら薪としてくべられたようね」
「ああ」ダーシアンはうめいた。「けれど、結果には常に原因がある。ボクの行動がそれであるのなら、甘んじて受け入れるほかないんだろう」
「アンブリストにとって命よりも大切な背皮が失われたのよ?」
ダーシアンは微かに口角を下げる。言葉を発するのが辛くなってきたようだ。
ダーシアンの頭を膝にのせた女性は、かがみ込んで口づけした。
「安心して、ダーシュ。あなたの背皮は勇敢な騎士さまが守ってくれたわ」
ダーシアンが微かに笑むと、その口から息が漏れた。まるで最後に残っていた息吹が、肉体から抜け出すかのように。