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ビブリオテイカ/零葉の錬金術師  作者: 浦早那岐
ディケル・ソロウ
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辺境伯の蔵書

 翌朝教会に行くと、プルディエールは不在だった。

 ラグの話だと、昨晩プルディエールと剣士が何事か話し合ったらしい。今朝城に出向いた剣士が馬車と衛士を連れて戻ると、プルディエールだけがそれに乗って城に赴いたのだそうだ。

「いまは三つ巴の様相でな、現状どこもわたしに手出しできない。話がまとまったら迎えを寄越す。それまでおとなしく解剖でもしているが良い」と、プルディエールは去り際に言ったらしい。

「話を聞かせてもらうことはできない……よな、オレは部外者だもんな」

「さてな、それはわからん。プルディエール殿からはおまえもここにいるようにと頼まれている」

 女剣士は無理に低く繕ったような声で言った。オレがいるべき理由を問うても無言だ。

 ラグの出自についてはあれきり話題に上っていない。これ以上話すことなどないと、お互いわかっている。少なくともオレはそう理解している。ラグのことはそれなりに見て話して理解してきたつもりだ。領主の娘だという事実を掘っても、それ以上のものを引き出せる気がしない。

 それよりもいまオレが知りたいのは錬金術師が何をしようとしているのかだ。ラグによると、錬金術師の技を彼女に伝授するため、領主を介して三方と交渉の最中なのだという。二つはローマと善一協会だろう、残る一つについてはラグも知らないようだ。


 まだ時間に余裕があるというので一度家に帰ったオレは、ラグが新しい医術を学ぶための助力を領主に請うていること、その医術には神獣が関係していること、登城するまでの間付いていてやりたいことを話し、もうしばらくラグの家にいるための理解を得た。

 急いでとって返すと、小屋の前にはすでに迎えの馬車が停まっていて、衛兵が険しい顔で吐き捨てた。「あのお嬢さん、おまえでなけりゃ嫌なんだとよ」

 つまり時間稼ぎをしてくれていたわけだ。

 ノックも忘れて扉を開けたオレは、目の前に立つ後ろ姿に凍りついた。

「またおまえか」

 振り向いた褐色の顔の周囲で白髪がドレスの裾のように揺れ広がり、すぐに閉じた。プルディエールの左腕を斬り落とした、あの暗殺者がなぜここにいる?

 オレは反射的にラグを探し、女剣士の傍らにその緊張した顔を見つけてホッと胸を撫で下ろした。

「その娘を馬車に乗せろ」暗殺者が言った。「おまえ以外に触れられたくないらしい」

 ラグの要求を呑んで待っていたとは意外だった。「早くしろ」

 オレは無言で頷くラグを抱き上げ、馬車に乗せた。女剣士はオレに向かい側乗れというように顎で示し、自分も後に続いてラグの隣に腰を下ろした。最後に暗殺者が音もなくオレの横に滑り込んだ。香の薫りが鼻孔をくすぐる。

「行け」暗殺者の一言で車輪が軋みながら回り始めた。



 ラグの車椅子を押して広間に入った。成人の儀のとき、ここで初めて辺境伯に謁見したのが去年の冬、これで二度目だ。

 元来気さくな方で、五十がらみの柔和な表情は、つい本音を洩らしてしまいそうな気安さがあるが、その気質が嘘でないにしても、やはり貴族は貴族であるとそのとき思った。

 まもなく彼は姿を現し、すぐに口を開いた。

「ディケル・ソロウ、次期荘園主よ。おまえは約束された地位を放棄して神智の扉を叩こうと決意したというのだな?」

 意味がわからず焦るオレに構わず辺境伯は続けた。「それからラグランティーヌよ。おまえはその生涯を書に捧げると決心したのだな?」良い心がけだというふうに笑みを湛えて頷き、「リベル・プルディエールのリクトルはこちらの所有ということで、協会やビブリオテイカとは話がついた。おまえはわたしの蔵書となる。よいな、ラグランティーヌ。そしてディケル、おまえはフィレンツェに行き、そこのビブリオテイカ館長ブルーノ・ティスコ=ダルディに師事するように」

 オレは首を垂れて聞いていた。辺境伯の声には、約束された新しいおもちゃを夢想する子どものような高揚感があった。

 オレは車椅子に座るラグに囁いた。「領主さまの蔵書ってどういうことだ?ビブリオテイカってのが何なのか、おまえは知っているのか」

「あたしもプルに聞くまでほとんど何も知らなかったわ」ラグは前を向いたまま、「ごめんね、ディッキ。何も言わずにこの村を出て行ってくれる?あたしがまた歩くために」

 辺境伯は続ける。「ラグランティーヌ、プルディエール殿に感謝するがよい。栄えあるリクトルのお役目を、おまえなどで良いとおっしゃってくださったのだからな。背皮の委譲にあたっては、教会のエフェクタであるブランペルラ殿が自ら請け負ってくださった。光栄なことだ」

 隣で暗殺者が軽く頭を下げた。どうやら裏街道を行くばかりではないらしい。

「では後のことはお任せする」そう言って辺境伯は退席した。

 領主の話はオレには理解が及ばないが、プルディエールが何かを手放し、ブランペルラがそれに手を加え、ラグが受け取る。そしてラグは領主のもとで暮らす。蔵書という言い方が気になるが……それからオレはフィレンツェで暮らすことになるらしい。願ったりのはずだ。謝られる筋合いはない。

「オレは問題ない。突然で驚いたけど、領主さまの言うことならオヤジも首を縦に振らざるを得ないだろうな。それよりもリクトルって何だよ。プルディエールのヤツがおまえに渡すハイヒってなんだ?そんで、おまえはどうなっちまうんだ?」

「あたしはお城で幸せに暮らすんだよ。また歩けるようになるし、万々歳だね」

「プルディエールが言ってた手っ取り早い方法ってやつか。いったいどんな……」

「あんたが知る必要はないの」

「少年、おまえは知りたいのか……」

 暗殺者もといエフェクタのブランペルラが口を挟んだ。オレが頷くと、一考して言った。「いいだろう、ビブリオテイカに行くのなら、参考までに見せてやるよ。ヤツらがどんなものなのか、その片鱗をな」

「嘘でしょ、あたしは嫌よ」

 即座にラグが抗議したが、一顧だにされず「ディッキ、あんたも断りなさいよ」

 オレは首を振った。「ラグ。何も知らないままこの村を出て行けって?そりゃ無理ってもんだろ」

「うるさいぞ。わたしが見せると決めたんだ。おまえは黙ってついてくればいい」ブランペルラは冷たく言い放った。


 衛兵が通してくれたのは高い天井に細く明かり取りの窓がある細長い部屋だ。

「ここはいずれバルディリ候の私設図書館に所蔵される本の保管室だ」ブランペルラが言った。

 深い色合いの革の背表紙が並んだ背の高い書架が壁一面に据えつけられている。その手前台座の上のガラスケースには幾つかの漆喰製のようなタブレットが置かれている。天井の装飾画はイエスご生誕、東方の三賢者来訪の場面か。

「しかし候が心底欲しているのはこのような羊皮紙や紙切れなどではない」ブランペルラは顎でオレに退くよう示すと、車椅子の持ち手を取った。「呼ばれるまでおまえはここで待て。何も触れるなよ、眺めるだけだ」

 有無を言わさぬ語気に黙って頷くしかなかった。

 部屋を横切って反対側から出ていくまで、ラグは頑なに真っ直ぐ前だけを見たまま、オレに一瞥もくれることはなかった。直立不動で前方の空間を見据えている衛兵と二人部屋に残されたオレは、彼の視界の隅で同様に立ち尽くす。

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