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8.芽生えた気持ち


 鳥の囀りが聞こえて意識がふっと浮上する。瞳をゆっくりと開くと薄暗い部屋の中のベッドの上にいることがわかり、ぐぐぐと大きく伸びをして、目をこすりながらふわあと欠伸をした。


 すごくよく寝た気がする。最近ずっとソファーで寝ていたからか久しぶりのベッドはとても心地よかった。

 ぼんやりとする頭であたりを見渡すと目の前にブルーブラックの柔らかい髪が見えて、レティシアは素直に手を伸ばした。サラサラの髪の毛。なんで頭がこんなところに。

 うーんと考えていると、腹から下が妙に重く、圧迫感があってようやく昨日の事を想い出した。


 まずい…あのまま寝てしまった!

 サアッと青ざめてレティシアはその場にがばりと起き上がろうとしたが、がしりと腰を掴まれ簡単にベッドに引き戻される。


「っ…」


 見下ろすと無防備な顔で眠るアルが引っ付いていた。気持ちよさそうに眠っているところ申し訳ないが、未婚の令嬢としてはあってはならない事態にどうにか抜け出そうとアルの肩をぐっと押すがびくともしない。


 動揺しながらアルの方に視線を向けると男女の体の違いをまざまざと見せつけられた。

 広い肩幅に厚い胸板。ガッチリした肩からはボコボコと筋肉が盛り上がる太い腕が生えていた。


 男の人ってこんなに頑丈な体をしているんだ。同じ治癒科の男子生徒はレティシアよりは大柄ではあるが、アルに比べればもっと華奢だった。


 どうせ寝ているのだしと手を伸ばしアルの体をつんつんと突いたりペタペタと触れるとどこもかしくも硬くて、レティシアのふにりとした体とは全く違う。


「…全然違う」


 アルが男性であることを急に意識してしまい、顔が熱くなった。


「楽しいか」

「へ」


 声が聞こえて目を向けると深い青の瞳と視線が絡まった。


「きゃっ」


 思わず声を上げてしまい、アルに口を押さえられる。


「隣の部屋に聞こえるぞ」


 それはまずい。レティシアは慌てて口を閉じた。そして我に帰り、自分の状況を思い出す。目の前に服がはだけたアルがいてレティシアは顔を赤く染めた。淑女としてあるまじき行為。


 でも、それ以前に、アルは他人に対してかなり警戒心が強い。

 寝込みに不用意に触れられるなんて不快に違いない。レティシアはアルを不快にしていないか心配になり離れようとした。


「ご、ごめんなさい」

「別にいいけど」


 アルはその様子を見て何を思ったか、笑いながらレティシアの体を引っ張って柔らかい胸元に顔を埋めた。


「ちょ、ちょっと!私が良くないわ。何してるのよ」

「細いのに案外にあるな」


 顔が再びカッと赤くなる。


「やだ、本当に何してるの」


 レティシアは慌ててアルの体を引き離そうとジタバタしたが相変わらずの馬鹿力でびくともしない。むしろレティシアが逃げようとすればするほどアルの行動はエスカレートしていき、胸元に顔を擦り寄せられて、レティシアは体をびくりと震わせた。


「は、離れなさい!この変態」


 レティシアはアルの首筋の肌が露出している部分に手をあてると、魔力回路に刺激を与えた。


「…ってええ!」


 途端にアルがばっと離れてベッドの端に座り込む。


「こっちは病人だぞ」


 首筋を抑えながらキッと恐ろしい目つきで睨まれたがレティシアはその青い瞳が全く怖くなかった。


「病人なら病人らしく、大人しく寝ていたらどうかしら!」


 ぴしゃりと言い返すとレティシアは飛び降りるようにベッドから出てクローゼットから洋服を出すとシャワールームに入っていった。


 レティシアは引っ掴んできた服に顔を埋めてその場にしゃがみ込んだ。顔が火照って熱い。


 あんな事をされてしまうなんて、もうお嫁に行けない。

 しかし、嫌だと言ったのはアルに触れられることが嫌なわけではなかった。アルに触れられて、変になりそうな自分が嫌だった。


「どうして」


 どうしてこんなに動悸がするのだろう。緊張して心臓が早く脈打ち、体が熱い。


「忘れよう」


 きっと異性との初めて触れ合いに体が驚いただけだと結論付けてレティシアはその気持ちがこれ以上膨らまないように蓋をした。


 服を着替え、そのままシャワールームの鏡で寝癖を整えるとアルの顔を見ないように食堂に行くと告げると部屋を飛び出した。


 ガキだな、と言うアルの声が聞こえたような気がしたが腹が立つため聞こえなかったことにする。もちろん戸締りだけはしっかりした。




 食堂に行くと昨日とは違い、クラスメイトのジェシカとベリーがいた。


「おはよう、ジェシカ、ベリー。隣の席いいかしら」


 カウンターで朝食を受け取ると2人のテーブルまで行き声をかけた。


「おはようレティ」

「もちろん。座って」


 2人は快く受け入れ、3人で朝食を取ることになった。


「何の話をしていたの」


 レティシアが来た時には2人は話がとて盛り上がっているようだった。レティシアが興味深そうに尋ねるとベリーが笑みを浮かべてジェシカを突いた。


 ジェシカはぽっと頬を染めて俯きながら答えた。


「実は私、好きな人ができてしまって、その相談に乗ってもらっていたの」

「そうなの。ジェシーの好きな人の話よ」


 好きな人…レティシアは生まれてこの方一度も恋というものをしたことが無い。恋愛対象として好きと言うのがどう言う感情なのか、友人として好きなのとどう違うのかいまいち想像がつかなかった。


「そうなのね」

「ジェシカったら、一目惚れなんですって」

「ちょっとベリー」


 ジェシカは恥ずかしそうにベリーの方を睨む。レティシアは一目惚れという言葉が気になりジェシカに尋ねた。


「一目惚れって、見ただけで好きになってしまったってこと?」

「ええ。まあ正確にはその方を見て、少しお話しして、すぐに好きになったというのが一番正しいけど」

「なんだか、とてもロマンチックね。運命的で」


 2、3日前にどこかで聞いたような話にレティシアは声を漏らした。


「それが先週の話らしくて、もうジェシカったらその男性の話しかしないの」

「そんな事はないわよ」


 そう言うジェシカの顔は恋する乙女そのものだった。

 ジェシカは男の子とよく喋るようなタイプではなく、控えめで落ち着いた見本のような貴族の令嬢といった印象だった。そんな彼女でさえ数日前に出会った男性に恋心を寄せるだなんて。


 クロエと観劇を見にいった時は運命の出会いや一目惚れなどフィクションの世界だとばかり思っていたが、身近な人の、それも浮ついていない真面目な同性の体験談を聞くと急に現実味が湧いてきた。…素直に言ったらクロエに怒られそうだが。



「一目惚れってどんな感じ?」


 興味本位に尋ねるとジェシカはその時のことを思い出したのか顔をぽっと染めて離し始めた。


「…それはもう一眼見た時から頭に彼の顔が強烈に印象に残って、お話したらもちろん緊張はするんだけど、話していて心地よいというか、テンポが合ってとても話しやすくて。…この人と時間を共有するのは全く苦では無いと気づいた時にはもう恋に落ちていて、後はもうその方の側にいるだけでどきどきが止まらなくなったわ」

「話しやすい、時間の共有が苦じゃ無い…」


 レティシアはジェシカの言葉を復唱した。ベリーも納得しているようでうんうんと頷いている。


「自分が、自分らしくいられるなって思ったの」

「これから数十年人生を共にするんだもん。素でいられるかが一番大事だよね」


 ジェシカとベリーは口を合わせて述べた。


「そっか。でもそうよね」


 説得力があり、レティシアも納得して頷く。


「その後の進展は」


 ベリーが尋ねるとジェシカは嬉しそうに答えた。


「今、手紙のやりとりをその方としているんだけど。今度一緒にお茶しませんかって誘われていて」

「それは楽しみね」

「最高じゃない」

「何を着ていこうか、どんな髪型にしようか、今から迷ってしまって。その方のことを考えるだけで動悸が止まらないの」

「もう、ジェシカったら。かわいいわね」


 ジェシカとベリーはそれからきゃっきゃっと声を上げてドレスや髪飾りの話をしていたが、レティシアはその話を聞いてふと先程の出来事を思い返した。


 動悸…?いいや、動悸と言っても少し悪戯されて驚いただけで決して特別な感情を抱いているわけではない。絶対にそう。


 第一、アルに出会ったのは数日前の話だ。そんな急に好きになるわけ…ジェシカは一目惚れしたと言っていた。短い時間で好きになると言うのもありえない話ではない。


 しかし、話していて心地いいなんてことは…夕方に食堂に行く前の会話とアルがシャワールームに入る前にかけられた言葉につい気持ちが緩んで泣いてしまった思い出し、レティシアはピシリと固まった。


 そんな、はずない。そんなことあってはならない。

 だって不毛すぎるもの。


「…で、やっぱり会えなくなってしまうのかと思うと辛くて。て…レティ大丈夫?」

「さっきから心ここに在らずだけど」


 ジェシカとベリーに心配されてレティシアは慌てて顔を上げた。


「だ、だいじょぶ」

「本当に大丈夫?レティ、勉強のしすぎじゃない?」

「ベリー、貴方はむしろしなさすぎだと思うわ」

「大丈夫。…それでなんの話だっけ」

「そうそう、夏季休暇についてだけど」


 話はジェシカの一目惚れの話からもうすぐ迎える夏季休暇の話に移っていたようだ。


「夏季休暇って1ヶ月くらいあるじゃない?私の家の領地は王都から少し離れているから、その方と仲良くなってもすぐ会えなくなってしまうと思うと辛くて。休暇中も距離を縮める方法は無いかしら」

「そうね。それこそお茶会や舞踏会じゃないかしら。どこの主催のものに行くか聞いておいて、同じものに参加するのはどう?」

「なるほど、それは名案ね」


 レティシアは夏季休暇と言われて、その存在を思い出した。そういえばそろそろそんな時期だ。

 後1ヶ月もなく夏季休暇期間に入る。寮は閉鎖されるため生徒は皆自分の領地へ帰る。レティシアも国境付近にある辺境伯領に帰ることになるのだが、不意にアルの顔が頭に浮かんだ。


 1ヶ月弱後、夏季休暇に入る頃にはアルの治療は確実に終わっているだろう。アルのいない部屋を思い浮かべると少し寂しく感じた。

 2人の話に相槌を打ち、聞いているつもりだったが、話の内容は全く頭に入ってこない。


「レティは夏季休暇どうするの?」

「え…ああ、夏季休暇はすぐに領地に帰ってゆっくりするつもり。家の手伝いでもしようかな」

「さすがはレティね」

「…それにしても、久しぶりに家族に会えるのは楽しみよね」

「私はちょっぴり怖いかも。期末の成績次第」

「今から勉強するのね」


 ジェシカはくすくすと笑い、ベリーは渋い顔をしていた。レティシアも合わせて愛想笑いを浮かべる。


 レティシアは心の中では全く笑えなかった。

 いつもなら領地に帰って家族に会える夏季休暇が楽しみで仕方がなかったのに、なぜか夏季休暇が近づいてくるのが嬉しくない。時間が経つのが全く楽しみではない。未来のことを想像するのがとても億劫だった。


 どうして、なんでこんなにも嬉しくないの。何度も自分に問いかけても頭に浮かぶのはアルの顔だった。

 


『…この人と時間を共有するのは全く苦では無いと気づいた時にはもう恋に落ちていて…ーー』


 ジェシカの言葉がレティシアの頭の中を何度も巡っていた。




お読みいただきありがとうございます。

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