5.図書館で調べ物
暖かい。心地よい。身体の中にじんわりと魔力が流れ込んできて、循環している。その魔力が通るたびに細胞が急激に再生して、体内を流れる大きな石ころのような不純物は一瞬で消えていく。
魔力を流し込まれる度に、頭がおかしくなるほど気持ちよくて、初めはただそれをぼんやりと受け入れていたが、そのうちもっと欲しくなって、縋り付くようにしがみついた。
もっと欲しい。もっと触れて。もっとたくさん、もっと、もっとその温もりが欲しいーー…
意識が浮上してががばっと起き上がると鳥の可愛らしい囀りが聞こえた。窓からは光が差し込み、朝であることを告げていた。
部屋を見回すと少女は部屋の壁側のソファでスヤスヤと寝息を立てていた。随分と無防備だと呆れながら、青年は自身の手を開いたり閉じたりして魔力回路の状態を確かめた。
長年の蓄積があるため、まだまだ全快ではないが、最近では稀なほど気分が良く、体も軽かった。
「起きた…?」
レティシアは青年の気配に反応してソファの上で目を覚ました。目を擦り青年の方を見ながら大きな欠伸をする。
「調子はどう」
「悪くない」
「そう。ある程度動けるようになったら、治癒院か医院で適切な処置を受けた方がいいわ」
レティシアとしてもできるだけ早く出ていってもらえるとありがたいと暗に伝えたつもりだったが、お気に召さなかったようでふいと顔を晒されてしまった。
レティシアは苦笑いを浮かべてソファから降りた。
今日と明日は休日だ。
昨日までは学校もありバタバタしていてその場凌ぎの処置しかできていなかったが、今日は時間がある。図書館に行ってより適切な処置方法を調べて治療に役立てよう。
そして早く良くなってもらって部屋から出ていってもらおう。
レティシアはシャワールームで部屋着に着替えると朝食を取るために食堂へ向かった。
まだ早い時間だったため人はほとんどおらず、食堂は空いていた。
時間をかけずに朝食を済ますとそのままふらっと学院街に出て、昨日と同じ店で青年のための食料を買い込んで寮に戻った。
青年は相変わらずベッドで横になっていた。
寝ていたら起こすのは忍びないと思い、確かめようと顔を覗き込むと不機嫌そうな深い青い瞳に睨まれた。
「覗きが趣味か」
「買ってきたご飯あげないわよ」
レティシアが目の前に食料を出すと青年はベッドの上にお行儀よく座り込んだ。初めは大柄で威圧的な青年が怖かったが、レティシアのことを認めてからは誠意を持って接していることがわかり恐怖心はなくなった。
「貴方、名前は」
バゲットを口に運ぶ手青年の手が止まる。深い青の瞳が探るような目で見ていた。まるでレティシアのことを見定めるように。
「アル」
それだけ告げると再び食事に戻った。
貴族の中でアルという名を持つ青年は何百といるし、アルト、アルレルトなどアルを愛称に持つ名前も合わせれば何百では済まない。
家名は言うつもりはないようだし、そもそも偽名の可能性もある。名前から身元を特定するのは難しそうだとレティシアは諦めた。
「アルは、どうしてあんなところで倒れていたの」
再び尋ねると今度はアルが訊ね返してきた。
「ここはどこだ」
「王都ルーン。魔導学院敷地内の女子寮よ」
「女子寮に連れ込んだのか」
アルは驚いた様子で尋ね返した。レティシアは気まずそうに目を逸らす。
「仕方ないでしょ。貴方を見つけたのが夜中だったから。あのまま病院に連れて行けば私が学院に叱られるし、放置すれば貴方が死んでしまう。部屋に連れ込んで手当てするしかなかったの」
「深夜徘徊中に男を拾って部屋に連れ込む令嬢がいるとはな」
「その令嬢のお陰で貴方は生きているのよ」
アルは聞こえてない振りでサンドイッチを頬張り続けた。
「お前、治癒科の学生か」
「ええそうよ。お前じゃなくてレティシア」
「…バーレイ辺境伯の娘か」
アルはレティシアの名前を聞いただけですぐにピンときたようだった。
「私たちお知り合いだったかしら」
レティシアが驚いて尋ね返すと、アルは首を振った。
「直接の面識はない」
なぜレティシアのことを知っているのか不思議そうな顔をするとアルは答えた。
「魔力の種類だ。俺が貴重種であることはお前もわかっているだろう。貴重種の魔力回路の浄化ができるのは貴重種の治癒師だけだ。貴重種の治癒師を排出するような血筋で、レティシアという名の娘がいる家門はバーレイ辺境伯くらいしかいない」
「詳しいわね」
関心しているとアルは食い気味に尋ねた。
「操れる精霊の属性は」
自分のことだけ相手に知られるのは気が引けたが、アルは繰り返しレティシアに尋ねる。
「属性は」
圧に負けてレティシアは答えた。
「炎と水、草の3種類」
「第一循環の混合型か」
「ええ」
第一循環が炎、水、草の3種の循環なのに対して、第二循環は風、雷、土の3種の循環である。第二循環は風性が土性を打ち消し、土性が雷性を打ち消し、雷性が風性を打ち消す。
レティシアの治癒が通じたということはアルも同じ第一循環の貴重種になる。
「そうか」
アルは妙に納得したように呟いた。
「アルも混合型よね」
「ああ」
「2種混合?それとも私と同じ3種?」
混合型の貴重種にも炎と水、水と草、草と炎の2種混合とレティシアのような3種混合のパターンがある。それとなく尋ねたがアルはレティシアの問いには応えようとしなかった。
「私だけ教えるなんて不公平よ」
レティシアがアルに詰め寄ると堂々と言い返された。
「教えるとは言っていない」
「あ、貴方ね」
結局、それ以上はアル自身のことは教えてくれなかった。
食事を終えると眠たくなったのか、大きな欠伸をしてレティシアに背を向けてベッドに横になってしまった。
なんて勝手な人だ。
レティシアは学院の敷地内にある図書館にやってきていた。先ほどのアルの態度を思い返しては、むうっとしながら図書館の資料を読み漁っていた。
何故アルのためにここまで、とも思うが来週からは学院で実習が始まる。
アルは良い実験台だ。アルの治療を通して感覚を掴んでおけば実習で良い成績を残すことができるかもしれない。レティシアは黙々と本のページをめくった。
お目当ては第一循環の混合貴重種の詳しい治癒方法だった。単体の魔力回路より混合型の魔力回路の方が扱いが複雑で個人差も大きいため、治療は困難になる。
レティシアの体力や魔力は無限ではないため、一日中つきっきりでアルの治療をすることはできない。少ない労力でたくさん回復させられるような効率的な治癒方法や浄化のコツなどがあれば活用したいと考えていた。
学院では混合型は例外として扱われ、単体魔力の魔力回路に関する授業しか行わない。混合貴重種についてどのように調べれば良いかわからず、論文から参考書まで片っ端から目を通していった。
結論としては、混合型の治癒の方法は単体魔力と変わりはなく、皮膚を触れ合わせた面積の広さと、込めた魔力量の掛け合わせによって効能が変わってくるとのことだった。
大きな相違点としては、混合型の場合、触れ合う面積の広さや注いだ魔力量よりも圧倒的に魔力の相性が重視されるようで、例えば、炎、水の2種混合の魔導士には水、草の2種混合の治癒師がベストであるように、相性によって効能が大きく左右されるらしい。
レティシアは炎、水、草の精霊が好む3種混合の魔力を持つ。
そのレティシアと相性がいいアルの魔力は、混合型の中でも炎水、水草、草炎の2種混合か、炎水草の3種混合の4パターンの可能性がある。
より効果を最大限に引き出すためにもアルの魔力型を知っていた方がいいだろう。直接聞いても教えてくれないため、レティシアはアルの魔力回路に触れた時のことを思い出した。
初めて触れた時は草の精霊の力を借りた。
魔力回路に拒否されることはなかったが凍れるような冷たさに思わず手を引っ込めてしまった。
次は草と炎の精霊の力を借りたが、今度は熱くなり過ぎて結局は水の精霊の力も借りて3種の精霊で浄化を行なった。
凍れるような冷たさ考えられるのは水の精霊が好む魔力だ。
しかし、相性がいいはずの草の魔力だけでは治癒が行えなかった。
熱くなったり、寒くなったりする事だけを取り上げれば炎と水の精霊が好む魔力と考えられるが、相性の良い水と草だけでは中和できなかった。
炎の魔力も必要だったことから草の魔力も持っているのかと思ったが、草の魔力の力強さは一切感じなかった。
アルから感じたのは炎の精霊が好む激しい魔力と、水の精霊が好む勢いのある魔力。炎と水の2種混合かと思ったが、だとするとなぜ魔力回路が異様に冷たくて炎の精霊の力が必要になるのか、やはり説明がつかない。
アル本人が教えてくれれば済む話なのに、とレティシアはため息をつきながら蔵書をめくっていると、ある一文が目に入った。
《貴重種は名前のとおり、貴重であり滅多にその魔力を持つものはいないが、中でも特異型の貴重種の魔力を宿すものはことさら人口が少ない》
「特異型の貴重種…」
特異型とはごく最近100年以内に発見された貴重種であり、既存の魔力の掛け合わせである混合型とは異なり、第一循環の炎、水、草でも、第二循環の風、雷、土でもない、循環の理から外れた全く新しい魔力型だ。レティシアの知り合いにも数人、特異型の貴重種を持つ人がいる。
該当する人間は極端に少なく、研究もほとんど進んでいないため、何が起こってもおかしくない魔力とも言われている。
もし仮に、アルが持つ魔力が特異型の貴重種だったとしたら。
《現在発見されている特異型の貴重種は光、影、惑、毒、鉱石、虫、氷の7種類で、混合型が種類の多さで多くの精霊を引き寄せるのに対して、特異型は人口の少なさから特定の精霊を大量に引き寄せる》
レティシアは特異型の貴重種についての説明箇所を読み進めたが、当たり障りのない内容しか書いておらず参考になるようなことはあまりない。
「それはそうなんだけど…もっと具体的な特徴とか」
呟きながら次のページをめくろうとしたところでレティシアの手が止まった。
「いや、まって…」
《ーー…現在発見されている得意型貴重種は光、影、惑、毒、鉱石、虫、氷…ーー》
「…氷」
レティシアは再びアルに初めて触れた時を思い出した。
凍れるような痛さ、冷やした時の熱さ、熱した時の冷たさ。
これだ。氷の魔力を持つのであれば全てが納得いく。
しかし、アルは混合型だと言っていた。
きっと氷の精霊が好む魔力だけじゃない。
氷と炎と水…ーー3種混合型かつ、特異型の貴重種。
珍しいけどありえないわけじゃない。
アルが魔力回路の浄化が必要な魔導士で3種混合特異型の貴重種だとしたら。
レティシアは考えただけで恐ろしくなった。
アルのように攻撃魔法が得意な魔導士の場合、魔力回路の浄化は必須だ。そうでないと腐敗した魔力による体内汚染と細胞破壊が進み命が蝕まれる。
子供が特異型だと判明したら両親が適合する治癒師を探すのが普通だがアルと出会った時、彼の魔力回路はぐちゃぐちゃだった。両親から適切な支援を受けられないケースも稀にあると聞く。
レティシアは勢いよくその場に立ち上がった。
もし、仮にアルが特異型なのであれば、レティシアのことを妙に警戒していたのも納得がいった。
特異型はその母数が少ないため、非人道的な研究の餌食になったり、非合法な奴隷オークションで高値で売れると聞いたことがある。
瀕死の状態である今、過剰に警戒するはずだ。
後ろに倒れた椅子を直しながらレティシアは狼狽えた。
「もしかして、とんでもないもの拾ってしまったんじゃ…」
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