4.葉の根っこの人形
魔力には種類がある。
炎性、水性、草性、土性、風性、雷性の6種類が主流で大半の魔道士はそのどれかに分類される。
それぞれの性質には相性が存在し、水性は炎性の魔力を打ち消し、炎性は草性の魔力を打ち消し、草性は水性の魔力を打ち消す。この相性循環を第一循環と呼んでいた。
魔導士と治癒師はこの魔力の相性がかなり重要であり、浄化する魔力回路と治癒師の魔力が打ち消し合う関係でなければ浄化はできない。
例えば、炎性の魔導士の魔力回路は水性の治癒師にしか浄化できなかった。
青年のような複雑な魔力回路を持つ魔導士は大概、複数の魔力属性を持つ“貴重種”だ。
貴重種は普通の一般的な魔導士より多くの精霊を集めることができるが、操る精霊の数が多い分、魔力の放出量も多く、魔力回路が汚れやすい。
技術魔導士は自身で浄化ができるが、戦闘魔導士はできないため、浄化してくれる治癒師を探すことになる。
しかし、特異な魔力を持っていればいるほど浄化のできる相性のいい治癒師の数も減る。
貴重種の戦闘魔導士は相性のいい治癒師に巡り合えず、若くして命を落とすことが多かった。
青年がレティシアのことを疑っていたのも無理はなかった。
突然、魔力回路を浄化したと言われてもそう簡単には信じられないだろう。
貴重種の青年と魔力の相性がいい治癒師のレティシアが偶然出会うなんて奇跡のようなものなのだから。
「ああ、来週から実習か…求婚の手紙がいくつも届いたらどうしよう」
青年のことを考えながら夕食を食べていると隣にいたクロエがぼそりと呟いた。
「随分と期待してるのね」
「当たり前よ。宮廷魔導士なんてエリート中のエリートじゃない相手として不足ないわ」
「幼馴染の彼はいいの?」
尋ねるとクロエはみるみる顔を歪めた。
「ギルバートのこと?」
ギルバートは宮廷魔導士として働いているクロエの幼馴染だ。
クロエは治癒科の中で良い成績を取り続けているが、全てはギルバートの専属治癒師になるためだとレティシアは知っていた。
専属治癒師になるには治癒師の資格さえ持ってればいいのだが、ギルバートのように宮廷で働く魔導士の専属になる場合はそれ相応の実力や実績がなくてはいけない。
学院を卒業したばかりのクロエがギルバートの専属になるには学院を上位の成績で卒業することは必須だ。
運命のお王子様やら求婚の手紙やらと、クロエは常に騒いでいるが、それらは全てポーズで本当はギルバートに一途だった。
側からみればクロエの好意はバレバレなのだが、残念なことに朴訥なギルバートは全く気付かず、しょっちゅう地雷を踏み抜いている。
「何かあったの」
「つい昨日、実習があるってギルに魔導通信機で話したの」
魔道通信機は通信機に登録した相手どうして離れているところにいても会話ができる魔導具仕掛けの通信道具だ。
「あいつ、なんて言ったと思う?」
無口で朴訥としたギルバートがおしゃべりをするイメージが湧かずレティシアは首を傾げた。
「見学するときは静かにしないとダメだぞ、だって。馬鹿にするのもほどほどにしなさいよね。私は即戦力として治療にあたる側なのに。いつもいつもお子様扱い」
ギルバートは幼馴染の感覚が抜けないのかクロエを妹のように扱っている節がある。それがクロエは気に入らないようだった。
クロエは笑いながら話していたが、少し落ち込んでいるように見えた。
おそらくクロエはギルバートの専属になれなかったら実家に戻ってどこかの貴族の家に嫁ぐことになる。
卒業まであと半年強。
そろそろギルバートの専属になることをギルバート本人からか、クロエから打診しなくてはならない時期だが、乙女なクロエはギルバートから誘って欲しくてヤキモキしてるのだろう。
「私の前であいつの名前を出すのは禁止!あの乙女心のわからない、ドテカボチャ!」
ギルバートと魔力相性のいいクロエが治癒科に進み、宮廷治癒師にならないと明言しつつも必死に成績上位を取り続けているのを見ていれば、すぐにその意味がわかると思うのだが。
「絶対実習であのドテカボチャよりいい男見つけてやるんだから」
ギルバートは何も察していないらしい。
「ほどほどにね」
「それはあいつ次第よ。もう我慢できない」
ギルバートとの関係がいまいち上手くいっていないせいで実習に前のめりなのだとわかりレティシアはなんとも言えない顔をした。
宮廷魔導士になりたいのに専属魔導士にならないといけないレティシアに、専属魔導士になりたいのに上手くいかないクロエ。
人生とは皆んなどうしてこうも上手くいかないのだろう。
レティシアは小さなため息をついた。
あの後食堂でクロエと話し込んでいたら随分と時間が経っていた。部屋に戻ると疲れがどっと襲ってくる。
シャワーを浴びてすぐにでも寝たい気分だったが、レティシアは青年の様子を見るためにベッドに向かった。
クロエと話している間も常に頭から離れなかった。
先ほどよりも穏やかな顔で眠っている青年を見てホッとしながら額の上の緩くなったハンカチを取って、再び洗面器の水に浸し、きつく絞って青年の額に乗せた。
魔力回路は安定しているが顔色はあい変わらず悪い。
レティシアの魔力残量にはまだ余裕がある。シャワーを浴びたら寝る前に魔力回路の浄化の続きをしようと思い、立ち上がった所でレティシアは止まった。
怪我をしていると言っても立派な成人男性だ。レティシアは窓に駆け寄ると少しだけ隙間を開けて呼びかけた。
「お願い、力を貸して」
外から顔慣れた鳴き声が聞こえて、窓の端から青い葉っぱが見える。器用に壁をよじのぼり、窓の隙間から入り込んできたのは昨日も助けてもらった根っ子の人形の1人だった。
「きゅっ」
レティシアの前で微笑み声を上げて挨拶をすると愛想良く近寄ってきてくれる。
自然と口角が上がり微笑みながら葉っぱを撫でてやると人形は嬉しそうに体を動かした。
「夜遅くにごめんね。この青年の様子を私がシャワーを浴びている間、かんし…見ていてくれない?」
「きゅい」
レティシアのお願いを聞くと人形は任せろと言わんばかりにこくりと頷いた。
こんな愛らしい葉っぱの根の人形に猛獣の監視を任せて大丈夫か一瞬心配になったが、青年はぐっすり寝ている。
「じゃあ、変なことしたらすぐにに縛り上げるのよ」
丸っこい頬をつんつんと突くと根っこ人形は両手をパタパタと動かしてレティシアに返事をした。
「きゅいい」
「よろしくね」
レティシアは着替えの準備をするとパタパタとシャワールームに入っていった。微かな衣擦れの音とかちゃかちゃと何かがぶつかり合う音が聞こえてすぐに水が流れる音が聞こえ始めた。
寝室に沈黙が流れる。
青い葉を頭に持つ根っこの人形は興味本位で眠る青年に近づいた。顔を覗き込み首を傾げる。
「きゅう…?」
じっと見つめていると青年の瞳がパチリと開いた。
「お子様に興味はないけどな」
突然起きて喋り出した青年に根っこの人形は飛び上がった。どうしようとその場でワタワタと動き回って慌てる。
青年は枕元でちょこまかと動き回る人形を見つけると頭の葉っぱを掴んで持ち上げた。
「ぎゅっ」
地面から足が離れて宙吊りにされる。睨みつける青年と目が合い、根っこの人形は震え上がった。
「きゅ、きゅいい」
「珍しい魔獣だな。食えるのか」
「ぎゅぅむぅぅ」
人形は身の危険を感じて叫ぼうとしたがすかさず青年に口を塞がれた。
「騒ぐな。食われたくないんだろ」
人形は必死にこくこくと頷く。
青年が人形を下ろしてやると一目散に走り出し水面器に飛び込んだ。
水面をぱしゃぱしゃと波立たせると青年に向けて小さな水球を飛ばした。
「ぎゅい」
どうだと言わんばかりに唸り声を上げる。青年は動じる事なく顔の水分を拭った。
「水性の精霊を操れる草性の魔獣…俺の魔力回路を浄化したとなると炎性も持ってるな。あいつ、混合型の貴重種持ちか」
青年は頭痛に眉を顰めながら額の上のハンカチに触れた。ほんの微かに少女の魔力を感じてとろりと目を細める。
本当に僅かな魔力しか感じないのに、顔が緩む。周りの戦闘魔導士がなぜあそこまでこぞって治癒師に傅いていたのかを理解した。
「なるほど」
「きゅう?」
青年は少女のハンカチに触れたまま静かに笑った。
「さっぱりした…監視をお願いしたけど大丈夫だった?」
シャワーを浴びて寝巻きに着替えたレティシアは濡れた髪を拭きながらシャワールームから出てきた。
「きゅう」
根っこの人形は洗面器の中で水をチャプチャプ揺らしながら自信満々に答えた。
「あら、お水の中で遊んでいたのね」
「きゅい」
根っこの人形の可愛らしい様子に頬を緩ませながらベッドに近づくと青年の様子を確かめた。
すやすやと眠り込んでいる。何度見ても綺麗な顔だなと見入っていると根っこの人形はあからさまに渋い顔をした。
「ぎゅ…」
「あら、青年が嫌いなの?」
尋ねると根っこの人形はこくこくと頷く。
レティシアと青年の魔力は性質が似ている。レティシアの魔力が大好きな人形なら青年のことも気にいるかと思ったのに。
「珍しい事もあるのね」
そう言うと人形の頭を撫でて魔力を注いでやった。
「…きゅうぅ」
とろりとした顔で根っこの人形はレティシアの手に抱きつく。
「見ていてくれてありがとう。また呼ぶかもしれないから、その時はよろしくね」
「きゅ」
人形は可愛らしくポーズをとるとレティシアに手を振り、軽い足取りで外へと帰っていった。
「さて、もうひと頑張りね」
そう告げるとレティシアはベッドの縁に腰掛けた。少し緊張しながら布団を捲って青年の素肌を晒した。
昨日は慌てていて間に入らなかったが、青年の肌にはいくつもの傷跡が刻まれた。大きな傷跡が数個あって、それとは別に小さい跡がびっしりと肌に刻まれていた。
何をしたらこんなに傷だらけになるのか治癒師の端くれであるレティシアにはある程度予想はついた。
大きな傷は戦闘魔導士に付けられたものだろう。それはまだ治癒師として患者の手当てをしていればよく目にする。
気になったのは無数にある小さな傷だった。全て似た形をしており同じ凶器でつけられたものだとわかる。思い当たるのは虐待や拷問だった。
青年の過去を想像しただけで胸が苦しくなった。
レティシアはぶんぶんと首を降った。患者に感情移入してはいけない。すぐに心を病んでしまうから。それは治癒科に入って一番最初に教えられたことだ。
レティシアは気持ちを入れ替えると青年の素肌に触れて魔力回路の浄化を始めた。
青年の体は炎症が起きており燃えるように熱かった。水の精霊の力を借りて身体中の熱と中和させる。ただし熱っているだけで青年の魔力回路は凍れるほど冷たいため、炎の精霊と水の精霊の力を適宜使い分けて音度を保ちながら、草の精霊の力で魔力の流れを整える。
古くなった魔力は全て精霊たちにお願いして食べてもらった。
1時間ほど浄化を続けるとレティシアこ体力が限界に達した。青年の魔力回路はまだボロボロだったがレティシアの体が悲鳴を上げていた。
「今日はもう休もう。明日は休みだから、図書館に行っていい治療方法でも探してみようかしら」
呟くと大きく口を開けてあくびをする。
「はぁぁ…疲れた。眠い」
よろよろとベッドから立ち上がると、レティシアは部屋の端に置いてあるソファに向かった。
レティシア1人くらいなら楽に横になれるくらいの大きさのソファに転がると近くにあったブランケットかぶって眠りについた。
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