3.深い青の瞳
授業が終わるとレティシアはクロエと分かれて食料確保のために学院街へと向かった。
学院街は学院の厳しい審査のもと厳選された店が並ぶ、学院の側にある大きな通りだ。学院には貴族の子息や息女が多く通うため警備もかなりしっかりしている。
昨日クロエといった観劇も学院街の中にある劇場で見た。学院街は学院に通う生徒たちのための安全な娯楽街だった。
レティシアは学院街の中でも手作りの惣菜を売っているカフェに向かい、サラダやスープ、リゾットなど比較的消化に良さそうなものを購入した。
どのくらい食べられるかわからないが多めに買って袋に詰めてもらうと真っ直ぐに寮へと帰った。
重症の青年にベッドから起き上がれるほどの体力はないだろうが、万が一部屋の外にでも出て見つかればレティシアの寮は女子寮であるため大問題になる。
レティシアは急足で寮へと戻り、自室のドアを開いた。
青年は朝と変わらぬ状態でベッドの上で眠っていた。
思わずはあと息を漏らすと買ってきた食材を編む造作にテーブルの上に置く。
部屋を見渡せば朝クロエに持ってきてもらった朝食が空になっていた。青年が一度起きて食べたのだろう。朝食べる時間がなくて残してしまったが返ってちょうど良かったようだ。
青年は身じろぎ一つせず死んだように眠り込んでいた。本当に死んでいないか心配になり、レティシアはそっと近づいた。
ゆっくりと顔を覗き込んで息をしているのを確認する。
大丈夫、生きてる。
安心したその瞬間、青年の目がパチリと開いた。
驚く間も無くレティシアは青年に引き寄せられ、ベッドの中へと引きずり込まれる。両手を拘束されて押さえつけられた。
「どういうつもりだ」
冬の寒空のような深い青の瞳。
初めて見る青年の瞳はとても印象的だった。
青年は眠り込んでいる時も綺麗な顔立ちだと思ったが、起きて動いていると更に美しかった。綺麗な透き通るような深い青とそれを際立たせるような白い肌、ブルーブラックの髪の毛。研ぎ澄まされた針のような緊張感を纏う青年はこの世のものとは思えないほど美しくて鳥肌が立った。
まるで北土の真っ白な豹の姿をした獰猛な魔獣であるネジュパードみたいで、レティシアはふと、幼い頃に魔獣図鑑に載っていた美しいネジュパードに一目惚れして、飼いたいと騒いで両親を困らせたことを思い出した。
「どういうつもりもないわ。倒れていたから助けた、それだけよ」
「そんな話、簡単に信じると思うか」
青年は蔑むような目で見て、レティシアを掴む手に力を込めた。
「…いたっ」
「吐け。目的はなんだ」
力いっぱい手首を押さえつけられ、レティシアは痛みに顔を歪めた。すごい馬鹿力だ。
容赦のない青年にレティシアは反撃に出た。
ーーお願い、力を貸して。
心の中で唱えると身体中がぽっと温かくなる。
レティシアは青年と触れ合っている部分から魔力を流し込み、彼の魔力回路を強く縛り上げた。
「…っ!」
青年は目を大きく見開き、声にならない声を漏らすとレティシアの上に覆い被さるように倒れ込んだ。
美しい青年が降ってきて一瞬どきりとしたが、それ以上にありえないくらいに重くて、レティシアは筋肉の塊に押し殺される前に必死に這い出た。
「あなたこそどういうつもり。それが命の恩人に対する態度」
「何をした」
「魔力回路を縛っただけよ。大人しくすると約束するなら、解放してあげる」
レティシアが答えると、青年は驚いたような顔をした。
「嘘を、…つくな。俺の、魔力回路を操れるはずがない」
「嘘なんかついてないわよ。確かに複雑な魔力回路だけど、ちゃんと制御できてる。昨日だって、死にかけていた貴方を拾ってきて魔力回路の浄化を施したんだから。私が助けなかったら、貴方、今頃死んでいたかもしれないのよ」
「そんなはず…」
レティシアに言われて、青年は自分の手を開いたり閉じたりして魔力回路を確かめ始める。
魔力循環のスムーズさを見れば、治療を施したことは一目瞭然のはずだ。そのうち少しは納得したようで、レティシアに対して威嚇するのはやめた。
「これ以上私を驚かさないと約束して」
形勢逆転し今度はレティシアが脅したが、青年は不機嫌そうに顔を歪めただけで折れようとはしなかった。
本当に気高きネジュパードみたいだ。まるで優位に立てている実感がない。
「はやく、誓って。貴方の魔力回路を握り潰すわよ」
青年はレティシアの方を凶悪な目つきで睨みつけるばかり。
硬直状態が続き、レティシアの手のひらに大量の汗が滲んだ。
本当にどうしようと焦り始めたその時、ぐううううと大きな音が室内に響き渡った。
「…え?」
思わずレティシアが声を漏らす。青年はバツが悪そうに顔を逸らした。もしかして今のは青年のお腹の音…。
青年はレティシアの朝食以外は口にしていないはずだ。時刻はもうすぐ夕飯の時間。空腹で仕方ないだろう。
「動けないと思って、貴方のご飯を買ってきたの。美味しいスープと柔らかいサンドイッチよ。もし、貴方が私に害を与えないと約束するのであればあげるわ」
レティシアは紙袋を持って来るとスープとサンドイッチを青年の前に置いた。
それでも青年は依然として警戒心剥き出しのまま近寄ろうとしなかった。
青年を部屋に置き去りにしたのが良くなかったかもしれない。疲労困憊、重症のままで知らない場所に半日放置されてとても不安だっただろう。
どうすれば青年から信頼を得ることができるだろうと考え、レティシアは少しずつ青年に近づいた。
青年が動かないのをいいことに骨張った大きな手を取ると両手で包み込みこんだ。
「何をするつもりだ」
「証明するのよ。私が貴方にとって害とならないことを」
レティシアは素直にそう告げると魔力回路の浄化を始めた。昨日同様、魔力回路に干渉して、古くなった魔力を取り除き循環を正常化する。
彼の魔力回路は複雑なため気を抜かないように注意をしながら、少しづつ丁寧に浄化を施す。
途端に青年は心地良さそうに目を細めた。
「私との約束、呑んでくれる?」
青年は困惑した顔をしていたがすぐに本能のままにレティシアなら体を預けた。
男の人がどのくらいの量を食べるかあまり想像がつがなかったが、すぐには無くならない量を買ってきたつもりだった。それなのに青年は上品にパクパクとサンドイッチとスープを吸い込むように消費していき、ペロリと全て平らげてしまった。
「よ、よく食べるわね」
「食べろと言ったのはお前だろう」
「そうだけど」
レティシアは青年の豪快な食べっぷりを見ながら声を漏らした。明日の朝や昼の分もと思って多めに買ってきたのに、全て食べてしまうなんて。
「寝る。起こすな」
食事を終えた青年はそう言うと再びレティシアのベッドに横になった。それ、私のベッドなんだけど。そう言おうとして、レティシアは思いとどまった。青年はとても顔色が悪い。
青年が眠りについたのを見計らって額に触れると酷く熱かった。
レティシアとの攻防や食事を取ったせいで体力を消耗し、調子が悪化したのだろう。先ほどまでよく起きていられたなと感心した。
レティシアは立ち上がるとシャワールームに向かった。
棚から洗濯したばかりのハンカチを取り出すと洗面器に水を溜めてその中に浸した。洗面器をベッドまで持ってくると、サイドテーブルに置き、ハンカチをきつく絞って額の上に乗せてあげた。
青年の表情がほんの少しだけ柔らかくなる。
「食堂で夕食を食べたらまた治療してあげる」
そう言い残すとゆっくりと立ち上がり、明かりを消して少女は部屋から出て行った。
静かになった部屋で青年はうっすらと瞳を開けた。
少女に触れられた瞬間、魔力回路の不廃物が除去され、魔力の通りが良くなるのがわかった。冷え切っていた体が芯から暖かくなって、怠さや息苦しさしんどさが一瞬で緩和された。
「信じられないな」
ボソリと呟くと少女の魔力が染み付いたベッドで気持ち良さそうに伸びをする。久々の休息に青年は考えるのを放棄して瞳を閉じた。
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