13.貴方のそばにいたい
17時をまわり、その日の実習は終わった。
レティシアはブースで後片付けをしながらおしゃべりな魔導士のことを考えていた。
『専属なんかやめて宮廷治癒師にならない?』
なれるのであれば、宮廷治癒師になりたい。
『…ーー僕の実家がお金持ちだったら?
君が嫁ぐ予定の家門よりも家格が上で資産も豊富で全面的に支援すると言ったら?』
マイアーベルより地位があって、財源もしっかりとしていて、バーレイ家の事情を理解した上でレティシアのことを応援してくれるのなら願ったり叶ったりだが、そんな上手い話があるとは思えなかった。
「考えるまでもないわね」
レティシアは小さくため息をついた。
嵐のような人だったなと思いながら片付けを進めていると別の話も思い出した。
おしゃべりな魔導士は化け物みたいな先輩、とやらの話もしていた。魔力型が一致する治癒師を探していると言っていた。てっきりレティシアの連絡先を聞き出すための口実だと思い、適当にあしらってしまったが、実在する人物なのだろうか。もし本当に困っていたとしたら、悪いことをしてしまっただろうかと考えているとふと、アルの顔が思い浮かんだ。
アルのことを心配している人もいるかもしれない。
アルがレティシアの部屋に来て3日が経った。行方不明であることに誰かが気づいて捜索が始まっていてもおかしくない。
もともと応急処置をして動けるようになったらすぐに部屋から出て行ってもらうつもりだった。ただ、魔力暴走が起きたり、なかなか体調が回復しなかったりで追い出すタイミングを見失っていた。
もうある歩けるくらいには回復したし、良い頃合いかもしれない。アルに出て行ってもらわないと。
それが正しい選択だと思うのに、頭のどこかで拒もうとする自分がいてレティシアは俯いた。拾った時はこんな気持ちになるとは夢にも思わなかった。
「レティ…?」
不意に声をかけられ、レティシアは顔を上げた。
「あ…クロエ。おつかれさま」
「大丈夫?なんかすごい顔してたけど。お疲れかしら」
「うん、大丈夫」
適当に返事を返すとクロエは怪しむようにレティシアの顔をジロリと見た後、レティシアのブースに置いてあった椅子に腰掛けた。
「無理しちゃダメよ。混合型の治療は大変なんだから。私なんて一種類なのに疲れたわ」
「ありがとう。クロエのブースはもう片付け終わったの?」
「ええ。さっきね」
クロエのブースは同じ魔力型の生徒が他にもいたため片付けが早く終わったようだ。
「私もすぐに終わらせるから、一緒に帰らない?」
「もちろんそのつもりよ」
そう告げるとテーブルの上に散らかしたままだった布や包帯類をクロエは片づけ始める。
「クロエはいいから休んでて」
慌てて告げるがクロエは快活な声で答えた。
「いいのいいの。一人より2人の方が早いし」
レティシアは柔らかく微笑むとクロエに礼を述べた。
「ありがとう」
クロエの言った通り、後片付けは2人で行ったおかげで早く終わった。と言っても他のブースはほとんど後片付けが終わっていてあたりは閑散としていた。
ブースを後にして帰ろうとした時、クロエはレティシアを引き止めた。
「ねえ、レティは聞いた?」
恐る恐る尋ねるクロエにレティシアは首を傾げた。
クロエはあたりをキョロキョロと見回すと小さな声で囁くように告げた。
「治療を受けにくる患者の中に宮廷や治癒院、医院の面接官が混じっているかもしれないって噂」
レティシアはぴたりと動きを止めた。
「ほら、宮廷治癒師や国立治癒院、学院附属医院って毎年治癒科から就職希望者が続出するじゃない?だからこの実習を利用して生徒の実力を測るんじゃないかって」
レティシアの頭の中にヘーゼルの瞳のおしゃべりな青年の姿が思い浮かんだ。証拠なんてどこにもなくて、ただのレティシアの思い込みに過ぎないかもしれない。
でも、彼が面接官だとしたら、数々の不思議な言動の説明がつく気がした。
「そうなんだ」
「あくまで噂だけどね。でもレティシアも気をつけた方がいいわ」
「ありがとう教えてくれて」
「大したことじゃないわ。じゃあ帰りましょうか」
そう告げるとクロエはブースから出て行った。レティシアも後を追ってブースから出る。
アルのことも頭の中にはあったが、それと同じくらいクロエから聞いた話は衝撃的で頭から離れなかった。
面接官が紛れ込んでいるなんて。
もし彼が面接官だったとして、宮廷治癒師になりたいと泣きついていたら何か変わっていたのだろうとそんなことを考えていた。
寮までの帰り道、レティシアはクロエに怪しまれないようにいつも通りの調子で返事を返しながらたわいも無い話をした。けれど何を話したか、クロエがどんな顔をしていたかは正直あまりよく覚えていなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいま」
部屋に帰るとアルは相変わらずソファの上で足を組んで読書に耽っていた。
「寝てなくていいの」
「ああ」
読書に夢中なようで、レティシアの話を聞いているのいないのか微妙な返事しか返ってこない。
「一日中本を読んでいたの」
「ん…」
「ちゃんと寝て、体を休めないと治らないわよ」
「ああ」
レティシアはアルに近寄ると本を取り上げる。
「おい」
アルが不服そうに顔を顰めてレティシアのことを見上げる。初めて顔があったと思いながら額に触れた。
アルの眉がピクリと動くが特に拒んだりはされなかった。
魔力回路の調子を確かめるが悪化したりはしていないようだった。
「暇なのはわかるけど、休まないと」
本を取り上げたままアルに注意すると面白くなさそうにそっぽを向いた。でも、本当に嫌がっていると言うよりは気を引きたくてそうしているような、我儘を言って甘える子供のようなものを感じてレティシアも怒るに怒れない。
「もう、そんなに元気なら元の場所に戻ったら」
そう告げるとアルは不思議そうにレティシアの事を見た。
「アルはいつまでここにいたい?」
「どう言う意味だ」
急に真顔になって声が低くなる。
アルも体調が良くなればレティシアの部屋を出て行く。だから当たり前のことを聞いたつもりだった。
思いのほか不服そうにしていてレティシアの方が戸惑ってしまった。
「どう言う意味って、そのままの意味よ。アルにもきっと大切な人がいるでしょう。行方不明になっていたらその人もきっと心配する。それに、私は治癒師と言ってもまだ学生だから、ある程度体力が回復したのなら治癒院や医院で治療を受けた方が…って、人の話聞いてるの」
アルは大きな欠伸をしながら足を組んで太々しい態度をしていた。
「聞いてる」
「大切な話なんだけど」
そう告げるとアルは勢いよく体を起こしてソファに座った。座ったまま目の前に立つレティシアを見上げているのに、レティシアの方が見下ろされているような強い威圧感を感じてごくりと息を呑んだ。
「なに」
「お前、俺の魔力回路を見たんだろう」
「見たけど。見ないと治療できないし」
「治療できてんのがおかしいんだよ」
「どう言うこと」
何を言いたいのかわからず怪訝そうな顔をするとアルは自嘲気味に告げた。
「俺の魔力回路を治せるやつがお前しかいないんだ」
「そんな…」
レティシアは驚いて目を見開く。
たしかにアルの魔力回路はボロボロで今までどんな治療を受けてきたのだろうと思うほどだったが、レティシア以外の浄化を受けたことがなかったなんて。
レティシアは慌ててアルの隣に座って、手を握った。
「…なんだ」
「ちょっと見せて」
大きな手をぎゅっと両手で握ると、魔力回路の状態を確かめる。だが、手を握るだけでは見るのに限度があって、レティシアはアルの腕を引っ張って膝に頭を乗せさせた。
片方の手を額に手を置くともう片方の手はシャツのボタンが外れていてチラリと見えていた首に触れて魔力回路の状態を調べ始めた。レティシアの手が触れた瞬間、アルは一瞬驚いたようにびくりとしたが嫌がることはなく素直にレティシアにされるがままになった。
「どうして早く言わなかったの」
レティシアはアルを責めた。
今まで碌に浄化を受けたことがなかったのなら、もっと詳しく体をみるべきだ。重大な疾患がどこかに隠れているかもしれない。爆弾を抱えていないか、体の隅々でレティシアは調べ始めた。
「別に焦って治療を受けるほど悪くない」
「今まで浄化を受けてこなかったんでしょう。何が起こるか分からないじゃない」
レティシアに強い口調で言われるといつも自信満々なアルが少しバツが悪そうな顔をしてそっぽを向いた。
「どうせ特異型の戦闘魔導士なんて便利な道具として使い込まれて早逝する運命だ。何が起きても誰も咎めたりはしない。それが宿命なんだ」
「そんなこと絶対させないから」
すぐにレティシアから返事が返ってきてアルは呆れたようにため息をついた。
「お前がどうしたいかなんて、関係な…」
その時、ぽとりと額に滴が落ちて、レティシアの膝の上で楽にしていたアルは目を開けた。
アルの治療を一生懸命に行いながら丸く大きな瞳にいっぱい涙を溜めているレティシアがいて、驚いて目を見開く。
「なんでお前が泣くんだよ。泣きたいのは俺だ」
「だから、泣いてるの」
アルは慰めるのが下手でレティシアの涙はぽろぽろと溢れた。どうしたらいいか全くわからず、とりあえず手を伸ばして溢れた涙を拭ってやった。
「どれだけ辛かったのか、たぶんアルが感じてきた気持ちの半分もわからないけど、でも少し考えただけでもすごく苦しい」
そう静かに告げながらレティシアは淡々と魔力回路の浄化を施した。その腕はたしかで、もう一生治らないのだろうと思っていたアルの体の不調は少しずつではあるが良くなっていく。
良くなっていると実感できるだけでもアルにとっては奇跡で、遠い昔に失った、心地よく過ごせる日々が来るかもしれないと思うとどうしようもなく胸が躍った。
不調が治ることは嬉しかったが、レティシアがアルのせいでめそめそと泣き続ける姿は見たくなくてアルは眉を顰めた。
「たく、泣き虫だな」
正直、アルは今まで生き抜くのに精一杯で、誰かに優しくしたことなど記憶になかった。悲しむレティシアになんと言葉を掛ければいいのかわからず、考えるのも面倒くさくなってアルはため息をついた。
レティシアの手を振り払って体を起こすと、腕を掴んで引き寄せた。折れそうなほど細い腰に手を当ててグッと力を入れると体が浮いてアルの膝の上に乗り上げる。困惑するレティシアを出しめた。
レティシアは突然のことに驚いて頬を染めた。抱きしめられると思っていなくて動揺するが、アルの手つきはとても優しくてレティシアが拒めばすぐに逃げ出せるようにしてくれていた。
強引なのに無理矢理ではない。その力加減が絶妙で狡い。
嫌ではなかった。アルの腕の中は暖かくて、背中を優しく叩かれると心地よくて、首筋に顔を埋めるとなんだがとても落ち着いた。
それに抱きしめられている体勢は体の触れ合う面積が広いおかげで治療もしやすい。おとなしくしていると逃げないと思ったのか、アルはぎゅっとレティシアを抱きしめた。
体が隙間なくくっつく。少し顔を上げるとアルは目を細めて心地良さそうな顔をしていた。
レティシアの浄化が心地よいのだろう。心地よいと言うことは治療が上手くいっているということ。それは良いことなのだが、レティシアだけが動揺して、胸を高鳴らせている気がして少し複雑な気持ちだった。
結局有耶無耶になってしまったが、レティシアにしかアルの治療ができないと言うことはまだしばらく体調が元に戻るまではここに居座るつもりなのだろう。
ホッとしている自分に気づいてレティシアは焦った。この気持ちをこれ以上膨らませないようにするにはどうしたらいいのかわからなかった。
「おい、レティシア」
それから数時間、浄化を続けているうちにアルに声をかけられた。
「アル…?どうしたの」
「腹減った」
そういえば夕飯を忘れていた。レティシアは慌てて時計を見たが食堂が閉まる時間が迫っていて慌てて立ちあがろうとした。
「夕飯!」
ずっと浄化を続けていたせいで体の中に魔力がほとんど残っていなくて、レティシアはだった瞬間膝から力が抜けてその場に倒れ込みそうになった。
「わっ…」
「何やってんだ」
バラスを崩した瞬間、すぐにアルが腕を掴んで支えてくれてことなきを得た。
どうしよう立てない。このままだと食堂が閉まってしまう。必死に立とうと生まれてたての子鹿のようにしていたらアルは呆れた様子でため息をついてレティシアの体を抱き上げてソファの上に乗っけた。
「食堂もうすぐ閉まっちゃうのに…」
小さな声で呟くとアルはレティシアのことをジロリと見て告げた。
「その状態で食堂に行けるのか」
レティシアは部屋に置いてある姿見に移る自分の姿を見た。
目はぱんぱんに腫れ、頬は蒸気し、いかにも大泣きした後といった様子だった。このまま食堂に行けば心配されてしまうだろう。
「い、行けないかも」
「一食くらい部屋で食えば」
そう言うとポンと頭を撫でてアルが立ち上がる。
キッチンの方まで行くと保管庫の中を漁っていくつか食べ物を持ってきてくれた。
顔を冷やして食堂にいける程度に魔力が回復する頃には食堂は終わっているだろう。アルの言う通り今日は部屋で食べるかと、ルシアは諦めて手を伸ばした。
ソファの前のローテーブルに置かれたサンドイッチを取ろうとして体が前のめりになると、まだ頭がくらくらしていてローテーブルに頭から突っ込みそうになる。
「だから、気を付けろって」
がしりとすかさず腰を掴まれてレティシアはソファの上になんとか止まった。
大きな手。片手で難なくレティシアの体を支えていてどきりとした。男の人はこんなに力が強いのだとぼんやりと考えていると、アルは動きの鈍いレティシアを見てため息をつき、サンドイッチを取ると手渡してくれた。
「ありがとう」
素直にお礼を告げるとアルは相変わらずすかした顔をしていた。でもそんな顔をしながらも、レティシアがソファから落っこちないように注意深く見てくれているのだと思うと脈が速くなる。
「魔力なくなるまで治療する阿呆な治癒師がいるか」
ボソリと呟かれてレティシアの眉間に皺が寄るが、口は悪いが心配してくれているのだとわかり何も言い返さなかった。
アルは黙々と食料を口に運ぶ。会話らしい会話はなかったが並んでご飯を食べている間、気まずい感じは特にしなくて、レティシアはのんびり食事をとった。
アルの言う通り、魔力がなくなるまで急激に注いだのはよくなかった。
もう少し冷静に治療をしなくては反省しながらレティシアはサンドイッチを頬張った。
その日はお風呂に入って明日の準備をして大人しく眠りについた。
アルはソファの上、レティシアはベッドの上で眠りについたのだが、深夜にレティシアは物音で目が覚めた。
何が聞こえると思ってぼんやりとしながら目を開くとソファの方から呻き声が聞こえてきた。アルだ、とすぐにわかり、容態が急変したのかと慌てて近寄るとひどい汗をかいて顔を顰めて魘されていた。
幸い、魘されているだけで魔力回路が悪化しているわけではなさそうでホッとしたが、うなされ方が妙にひどくてレティシアは心配になった。たぶん、ここ数日は夢を見る元気もなく眠っていたのだろうが、少し体力が戻って余裕ができたせいで魘されているのだ。
レティシアはソファの前に屈み、アルの手を握った。レティシアが触れるだけで自然に魔力は流れ込み、アルの表情が一気に穏やかな物になる。レティシアが一方的に握っていた手が強く握り返されて、それをぼんやりと見ていたら急に引っ張られた。
「ちょっ…」
驚いている間に体は引き寄せられてアルの上にのしかかる。腰を掴まれて腕が絡まるとアルの胸の中に抱き寄せられた。
「わ…」
慌てて逃れようとしたがすでに手遅れで、がっしりとした武人の腕の中に囚われてしまったレティシアに逃げ道はなかった。
いくら引っ張ってもびくともしなくて、さっきまで魘されていたとは思えない幸せそうな穏やかな寝顔でむにゃむにゃと何かを呟きながらアルはレティシアを抱きしめた。
ど、どうしよう。
レティシアの心臓がばくばくと大きな音を立てたが抱きしめられているだけで、アルは眠ったままでそれ以上は何も起きなかった。
緊張したのは初めだけで、冷静になってくると、アルからしてみれば心地よ抱き枕を見つけて抱きつかれただけなのだと、いわば湯たんぽに抱きついているようなものなのだと察して顔を顰めた。ただの便利道具か。
でも、よく考えればあえて浄化をしなくてもこうやって引っ付いているだけでもレティシアから自然に漏れる魔力がアルの体に少しずつ流れ込んで、魔力回路を浄化することができる。
夜寝ている間に浄化作業が行えるし、レティシアも魔力を消費しないため効率がすごくいいことに気がついて、レティシアはもう少しこのままでいてもいいかと抱き枕として腕の中に収まったままでいた。
アルの腕の中は暖かくて逃げるタイミングを失ってぼんやりとしていると目が閉まっていく。
抱きつかれたまま寝落ちしたことが何度かあったせいで危機感が薄れてしまっていたのかもしれない。ふわふわと欠伸をすると次の瞬間には瞳は閉じていて、レティシア深い眠りについていた。