八話 少年は食す
顔に当たる陽の光が眩しくて少年は目を覚ました。いつの間に移動していたのだろう、自分に当てられた部屋にあるベットの上で身体を起こした彼は、最後の記憶を思い出して顔に手を押し当てた。
母上との思い出溢れる料理を見たとはいえ人前でまるで幼子のように泣いてしまい、あまつさえ警戒していたはずの女魔獣に縋り付き泣いてしまうなんて…!
その後の記憶が定かではないが…自分でベットに戻った覚えがない為、もしかしたら湖の良き魔女が運んでくれたのかもしれない。
そう言えば、以前机の上で寝てしまっていた時も気がついたらベットの上だった。…もしかしたら女魔獣が移動させてくれていたのか…?いや、無いな。あいつの事だから見つけてもそのまま放置するだろう。夜中にでも半覚醒で起きて無意識に寝床に帰ったのだろう。
顔の熱はまだ取れなさそうだが、少し落ち着いた少年は起き上がりベットから勢いよく飛び出した。隣接する居間からはボソボソとした話し声が聞こえ、その様子から湖の良き魔女がまだ居ると分かる。昨日彼女から言われた命を狙われているという話も、その後出てきた料理に気を取られてまだしっかりと聞けていない。
…そう言えば、昨日は魚のスープしか飲めなかったな…久々の果物以外の料理だったのに…まだ残っていると良いのだが…
ぼんやりと既に昨日机の上に並んだ料理に、早くも意識を持っていかれていることに気が付かない少年は、木製のドアノブを掴み扉を開けた。
向かい合って机に向かう女達の間には既に料理の品々は、無く落胆を隠しきれない少年に気がついたのだろう、湖の良き魔女は何処か楽しそうにクスクスと笑った。
「御機嫌よう、王子。よく眠れまして?」
呆れた様子でため息を付く女魔獣を他所に、良き魔女は足元に置いたままのバスケットを机の上に乗せた。
そのまま流れるように中から取り出したのは紙袋が一つ。
「こちらも昨日と同様預かったものですわぁ。安心してくださいまし、勿論、魔法によって状態は作りたてのままですわぁ」
にっこりと笑ってこちらに差し出してきたその紙袋を歩み寄って受け取り、中を覗いてみればそこにあったのは久しぶりに見たサンドイッチ。卵サンドやハムサンド、ローストビーフサンドなど一口サイズのものが10種類ほど並んでいた。
綺麗に入っているサンドイッチの数々に目を輝かせた少年は良き魔女が空けた隣の席へと座り、一切れを手に取った後勢いよくかぶりついた。瞬間、口の中に広がる卵とバターのコクある風味。思わず綻んだ少年の表情を見た湖の良き魔女が、どこか非難するように女魔獣を見やった。
「昨日も思ったのだけれども…まさか、貴女…木の実だけだったという訳では…無いでしょうねぇ…?」
「果実だ」
憮然とした口調の女を新しいサンドイッチを手に取りつつ横目で見た少年は、彼女がふいと湖の良き魔女から視線をずらしたのを見逃さなかった。
そんな女魔獣に大きくため息をついた彼女は、「貴女ねぇ…」と視線を合わそうともしない目の前の女に言い聞かせるように口を開いた。
「よろしくて?私達と違って生き物というのは食事という物が必要なのですわぁ。そこまではよろしいのよ。…問題は、人は果物だけではいけなくてよ」
見なさいな、この王子のツヤのなくなった髪を…あんなにふわふわと綿毛のようだったのに…
そう言って徐に少年の髪に手を伸ばし、撫でやる湖の良き魔女。内心、もっと言ってやれそしてしっかりとした食事を用意させろと、盛大に彼女を応援していた彼は、嫌そうにこちらを見てきた女魔獣と目が合ってしまった。
「なぜそこまでしなくてはならない…自分でやれば良かろう」
ボソリと呟いた女の言葉に、撫でる手を止めて暫し考え込んだ良き魔女は、ちらりとこちらへ視線を向けた。
「…確かに、そうね」
「え?」
急にきた矛先に、少年は三度サンドイッチに伸ばした手を止めて、こちらを見ている女達を見つめ返したのだった。