七話 魔女は我が目を疑う
「…なんの騒ぎだ…」
先程から何時になく煩いその部屋に、渋々魔女は鍋を掻き回す手を止めてツタの葉を捲った。直ぐに実りの季節も終わってしまい材料も取れなくなってしまう。その前にできる限り作りたかったが、無視も出来そうな雰囲気ではない。止む負えず部屋を見遣ればそこには招かれざる客も居り、彼女の機嫌はさらに悪くなった。
「あらぁ森のお方、お邪魔しているわぁ」
「…湖の魔女、何しに来た」
頭に被る三角帽子を霧散して消しながら、にこやかにこちらに手を振る湖の魔女に更に苛立ちが募る。自身とは対象的な金色に輝く緩やかな波を打つ髪を片手で優雅に払いながら、目の前の女は首を小さく傾げた。
「嫌ぁねぇ、遊びに来たら行けないのぉ?」
「今すぐ帰れ」
嫌悪感も顕に勢いよく魔女が出入り口を指させば、憎たらしい女はやれやれと言わんばかりに大袈裟に首を振る。それを見て更に苛立ちが募るのは言うまでもない。
「貴女ったら、昔から冗談が通じないのだから…
それよりもこの臭い何とかしてくださる?鼻が可笑しくなりそうだわぁ」
「知るか」
「私がここを洗い流してもよろしいのよ?」
にっこりとそう笑った女のその表情に本気でやりかねないと悟った魔女は、忌々しげに舌打ちをした後に片手を空を切るように横へと振るった。それにより滞っていた澱んだ空気は消え去り、後に残ったのは清浄なそれだった。
満足気に首を縦に振る目の前のふてぶてしい女を切り刻んでやろうかと、再度片手に風を集めようとしたその時、奴との合間に人の子が入ってきた。
何処か興奮したような幼子は、その小さな手を力強く握りしめて湖の魔女へと勢いよく近づいていく。
「私をここから助け出しに来たのだな!」
早くこんな所から連れ出してくれっ!そう言った人の子の言葉に、湖の魔女はあらあらとわざとらしく片手を頬に当てた。
「森のお方…貴女、王子にご説明していないのぉ?」
ちらりとこちらに視線を向けた湖の魔女に、魔女は腕を組んで鼻で笑った。どういう事だと二人を見比べる人の子に、湖の魔女は小さくため息をついて目の前の幼子に向き直る。
「よろしくて、王子?貴方は命を狙われておりますの。ですので、陛下の御命令によってここで貴方を保護しているという訳ですわぁ」
勿論、王もご存知ですわぁ。そう言って何も無い空間から大きな泡を一つ出した湖の魔女がそれを指でつついて割れば、中からは大ぶりの何かの植物で編まれたような手提げの籠が出てきた。それを机の上に置いた湖の魔女は、棒立ちになっている人の子の背を押して椅子へと導くとそこへ座らせる。
何をするつもりだと嫌々ながらも近づいていけば、籠の中から次々と人が作ったと思われる料理の数々が出てくる。
「王が色々とご準備下さったのよぉ、王子がお好きなのが、こちらなのよねぇ?」
幼子の背丈ほどはある筈の机の上は、湖の魔女によってあっという間に隙間なく埋まってしまった。
それを押しのけながら最後にそう言いつつ出したのは深い皿。幼子や湖の魔女と同じ金色のそのスープに、今までぼんやりと料理の品々を見つめていた人の子のその瞳が大きく見開かれた。
「魚のスープ…」
何を使っているのか分からない、見たことないその黄色いスープにそっと手を伸ばした人の子は、湖の魔女が差し出すスプーンを手に取ると慎重にすくい取りゆっくりと口に含んだ。
瞬間、こぼれ落ちる大粒の涙。見たことがない幼子の泣いているその姿に、たじろいた魔女は無意識に手を伸ばした。手に触れた少し硬質なその髪の感触に魔女は驚く。手触りとかではなく、無意識にでも自身が人の子に触れた事に。
未知のものに触れるその感触に何度か往復していれば、突如腹に衝撃が走り身構えていなかった魔女はその勢いのまま尻もちを付いてしまった。
見れば幼子が腹の辺りに顔を埋めており、悪態を吐こうとすれば「ちちうえ…ははうえ…」と消え入りそうな小さな声が聞こえた。グスグスと泣き続ける人の子の姿に、魔女は大きなため息を付いてまたその髪に手を伸ばし、黙って撫で続けるのだった。