六話 少年は知人と出会う
数日住処を留守にしていた女魔獣が戻ってきた。またあの部屋から、鼻が曲がりそうな程の異様な臭いが漂ってきており、もしかしたら奴は狩りでもして得体の知れない何かを採取してきたのではないかと思う。
蔦の葉の隙間から覗いた時に見た釜の中はドロっとしており、ヘドロのような深い緑色が見えた。無表情で淡々と木の棒のようなもので掻き回す女魔獣と相まって、ただただ恐ろしかった。
そのうちに、自身も一材料としてあのヘドロの中に入れられてしまうのでは無いのだろうか。
当初であればそう思って居ただろうが、最近は奴からの殺気は也を潜めていた。それどころか話しかければ何かしら言葉を返してくれるようになっている。まぁ、その顔はただ殺気が無いだけでとてつもなく歪んでおり、全面に話しかけるなと出ているのだが…
それでも少しづつこちらを気にしてくれているようで、少年はこの生活も悪くないかもと思い始めていた。
とはいえ、この異臭ただようヘドロだけは勘弁して欲しいが。なんなのだあれは、あれがもし女魔獣の若さの秘訣などだったらあんな物を飲んでまで手に入れたいというその鬼迫に全力で引いてしまう。
日が傾き、辺りが赤く染まる今。森の父と名付けたカラスは早々に退散しており、自身も新鮮な空気を求め窓に顔を突っ込んでいた少年はそんな悪態を着きながらこの苦痛の時間が終わるのを待っていた。羽が生えている彼が羨ましい。この空中の牢獄から早く逃れたい…
「やぁねぇ…本当に、この調合の匂いは嫌だわぁ…」
そんな時だ、聞き慣れない間延びした女の声が聞こえたのは。
不思議に思い窓から身を引けば、当たり前に臭いがきつくなる。片手で鼻をつまみながら声が聞こえたこの宙に浮かぶ魔獣の住処の出入口に目を向ければ、そこに居たのは場違いな程に美しい女性だった。
腰の辺りまであるまるで陽の光を集めたかのように美しい金髪に彩られた真っ白な肌は、その闇夜のごとく黒いワンピースによってさらに引き立てられている。女魔獣よりも頭一つ分ほど高い背丈は、しかしその程よく細い体型によって威圧感は全くなく、まるで地上に降りた女神の如く魅了されてしまう。
「お久しぶりねぇ、第一王子。私のことは覚えていて?」
ぽかんと目と口を開けた少年に、その人は目を止めて艶やかに笑った。その陽だまりのような笑みに堪らず頬を赤く染めた彼はしかし、彼女の言葉に違和感を覚え一歩下がった。
「何奴だ」
ここに来てから一度も聞かなかった自身の肩書きを話す目の前の美女に、少年は身を構える。己の味方をしてくれるカラスは漂う異臭で姿はなく、女魔獣は論外だ。愛剣は先日の逃走劇によって、あの森のどこかに眠っているだろう…
心もとない丸腰だがそれでも先程と違い隙なく観察を始めた少年を美女は興味深そうに眺めた。
「あらあらぁ…流石はあの王の子ねぇ…」
楽しげにそう言った目の前の女は片手を差し出した。何が来ると身構えると、その手のひらの上で突如小さな竜巻のようにどこからか現れた水がとぐろを巻いた。
こいつも魔獣!?攻撃か!?
そう身構えたのも束の間、あっという間に水は霧散して現れたのは見覚えがあるような大きなとんがり帽子。美女が着ているワンピースと同色の黒いそれを被れば、美しい彼女の顔はその顔よりも大きな帽子のつばで見えなくなってしまった。
しかし、その姿は自身も見覚えがあり。
「み、湖の良き魔女!?」
「やぁっと、思い出していただけて?」
思わず彼女を指さした少年は、古くから父上と懇意にしている年齢不詳のその美女をまじまじと見つめたのだった。