五話 魔女は理解に苦しむ
幼子がやって来て早くも七度、陽が登り沈んだ。
当初人の子は眠っていた為特に何事も無かったが、起きてからというもの面倒事しか起きていない。
まず煩い。「ここから出せ」やら、「腹が減った」やらはまだ序の口。最近は「果実は飽きた、ビフストロガノフが食べたい」やら、「魔獣の秘密を教えろ」やら、「腕が鈍るから木剣を持ってこい」やら、「さっさと私を城へ戻せ」やら好き勝手に言ってきており、無視をしていたら更に煩くなる。最近は睨んでも全く意に介さなくなったきた。
次に落ち着きがない。大人しくしていると思っていたら、気がつけば何やらやらかしている。調合室へ忍び込み調合してある薬を割られた為に再度蔦の葉で作った罠を設置してみれば、それにかかる事三回。窓から落ちかける事二回。
出入口付近の壁棚を何度か物色していた為、水盤は早々に調合室へと移動させた。
監視をさせている筈のカラスは一体何をしているのかというと、危険を感じなければ好きにさせているとの事。何をしている、止めろ。
そして、最後に反抗的。今に始まったことでは無いが、「女魔獣」などと呼びこちらの神経を著しく逆撫でしてくる。その都度カラスに『落ち着け』と言われるが、いい加減手が滑りそうである。かの御方に釘を刺されていなければ今頃あの人の子は木っ端微塵になっており、既にこの世に居ないだろう。
そのカラスまでもが喧しい。近頃幼子から良い名付けを受けたと嬉しそうに鳴いていた。…それからだ。
お前は幼子の親鳥かと言わんばかりに過保護過ぎる。かの御方から命を受けたとしても些かおかしい。
一度「お前の主は私だろう」と問えば、『私の主は確かに貴女だ。…しかし、私は愛し子の森の父だからな』などとよく分からない返答をされた。最近使い魔の考えがよく分からない。
そんな状況で、自然と魔女は日中外へと出て、人の子が眠る夜に戻り調合する事が増えた。カラスには『愛し子に何かあったらどうするのだ』と言われたが、正直、人の子が怪我をしようが死のうがそれ程関心が無い。どちらかと言えば平穏を壊されたこの幼子が目障りでもある。
かの御方には殺すなとしか言われていない。つまり、私自身が手を下さなければ良いのだ。
自分の中でそう結論付けた魔女は、今日も今日とて夜の闇が深くなった頃に住処へと戻った。人の子が食す用の果実も幾つか見繕ってきている。そろそろ恵の季節も終わり、眠りの季節になる。それ用に干し果実でも作らなければならない…面倒だ。なぜ私がこんな事をしなくてはならないのか。
…かの御方からの御命令だからか…
色々と思考を巡らせながら深いため息を付き、出入口の蔦の葉を捲り一歩中に入ったそこで彼女の歩みが止まる。幼子が自室でも無ければ調合室の網の中でも無く、目の前の机で腕を枕のように組んで眠っていた。
窓から入り込む月光が仄明るく人の子を照らしており、この場所からでも幼子の手が薄汚れているのが分かる。また何かしていたのかと呆れてため息を零せば、それに反応するのは幼子の親鳥。
『主が愛し子と顔を会わせんから、何処と無く寂しそうだったぞ』
「…寂しい…だと…?」
使い魔の言っている意味がわからず、魔女は眉根を寄せる。父や母などという近しい者が居ない彼女にとって、寂しいという感情は理解できない。
何も言えずただ静かに人の子を見つめる魔女に、珍しく優しい声色でカラスは語りかけてきた。
『主は、まだまだ子供だな』
「……お前よりは長生きをしているが…」
『そういう事を言っているのではない』
今度は呆れたような声を上げたカラスは器用に首を横へ振る。
『精神が幼いと言っているのだ』
そう言って使い魔は、「ははうえ…」とその小さな口から零れ落ちた人の子の声に、見たことかとこれみよがしにその漆黒の翼を大きく広げた。
『まだまだ父母を欲する時期なのだ。私では愛し子の話し相手になってもやれん』
そう言って何かを訴えるような眼差しで見つめられたが、魔女は黙殺する。使い魔の言葉に打つ手はあるのだが、あれはとてつもなく疲れる為にやりたくない。
「…面倒な…」
ボソリと呟いた魔女は机に果実を置いた後、仕方なく幼子をベットへと運んだのであった。