二十七話 少年は帰還する
少年がパチリと目を覚ますと、そこは見覚えのある木で作られた天井だった。女魔獣の住処の中にある自室だとわかった彼は慌てて飛び起きるが、それと同時に目が回りまたベットへと逆戻りした。
クルクルと回る思考と視界にぼんやりと、あぁ…帰ってきたのかと安堵のため息を零す。既に辺りは暗く、それがあの料理を作った日から何日経ったのか少年には分からなかった。ただあの時間がそれはそれは遠いものに感じるだけだった。
「目が覚めたか…?」
どれだけぼんやりとしていたのだろう。いつの間にか人型姿の森の父が枕元に立って此方を見ていた。心配げな色をうかべるその瞳に、少年は小さく頷く事で返答を示す。彼はそれに対して安堵の色へと変えることなく「無理をしたな、今はしっかりと休め」と優しく髪を撫でた。その気持ちよさにまたウトウトと意識が混濁し、少年はゆっくりと瞼を閉じる。最後に小さく森の父がなにかを呟いた気がしたが、少年にはそれは上手く聞き取れなかった。
目が覚めたら聞いてみようと、やっと悪夢は終わった安心感に少年は優しい夢の世界へとまた飛び立ったのだ。
次に目が覚めた時、少年の目の前に飛び込んできたのはあの見慣れた木の天井ではなく煌びやかな天井だった。ぼんやりとそれを暫く見つめていれば、それが城にある自室の天井だった事に気が付き少年はガバりと起き上がった。今回は特に視界も回ること無くクリアなそれで慌てて辺りを見回せば、やはり所々に思い出が散らばるそこは、自分の部屋であった。
「帰ってきた…のか…?」
ポツリと呟いてみれば、それが夢ではなく現実であると認識する。しかし喜びよりも先に、森の父に会えなくなるのかという悲しさの方が大きかった。父上からも誰からも久しく貰っていないあの優しく暖かい眼差しがもう手に入らないのかと思えば、少年はなんだか誰からも不要とされているこの場にいる意味がよくわからなくなった。
小さなノック音が聞こえたのはそんな時だった。
部屋を見回していた視線を扉へと向ければ、丁度そこが開かれて一人の男性が入ってきたところであった。重厚な扉のすぐ側に居られたのはよくよく見れば父上で、目の前に居られる最後に見た記憶から幾分か老けたようにも思えるその姿を思わず凝視する。父上の大きく見開いらかれた眼は、しかし次の瞬間細まり「ルーカス…!…よくぞ、無事で…!」と少年の名を呼びながら感極まった声で一歩一歩こちらへと歩み寄ってこられた。まるで少年の存在を確かめるかのように、ゆっくりとしかし力強く抱擁されるその温かさに、少年はやっと城へ戻ってこられたことを実感した。
「…ただいま戻りました。父上」
そっと父上の背中へ手を伸ばせば、まるで答えるかのように増す力に少年は人知れず微笑みの表情を浮かべた。
その日の晩は優に一年ぶりであろう、父上と二人だけで楽しく夕食を食べたのだった。森の父や女魔獣の話、辛くしかし充実した鍛錬の話。
たったふた月の生活だったが話が尽きることは無く、夜も遅い時間まですれ違っていた親子の会話は続いた。
少年は、忘れていた。
たったふた月の、ある意味で平穏だったその日々によって。
なぜ自分が、あんな国の端の方にあるというあんな辺鄙な場所で魔物に襲われたのかを。
なぜ母上が亡くなった後、合うのが辛いという理由だけで一年近くも放置されていたのかを。
その翌朝、父上と共にとっていた朝食の席で少年は血を吐き倒れたのだった。




