二十六話 魔女は鎌鼬を奮う
少し離れた木の上から見えるそこは、カラスの目を通すよりも実際で見た方がこの古びた屋敷の異常さが感じられた。誰も寄り付かないであろう獣道すらない森の奥にポツンと建つその屋敷は確かに遥昔、奇特な人間が暮らしていたような気もしない事も無い。だがそれも既にあやふやな記憶の底にあるぐらい昔々の事だ。
寂れ朽ち果てたその場所は、しかし今はどこか慌ただしい。先程見た馬車も確かに屋敷の傍に置かれており、やる気なさそうな男が二人雑談をしているのがここからはっきりと見える。
「平和ボケした奴らだ」
つまらなさそうに森の魔女の隣の枝で片膝を立てる火の山の魔女は小さく舌打ちを零した後、「とっとと終わらせて酒を飲むか」とその場から男達の元へ一足飛びで降り立ちあっという間に火達磨を二体作り上げた。生物が焼ける嫌な臭いに顔を顰めた森の魔女はすぐさま風を送り死臭を霧散させ、同じく彼女の隣へと降り立つ。
「遊んでいないで行くぞ」と一言言いつつ、森の魔女は一層騒がしくなった屋敷へと入って行く。背後から「け、お堅いこって」という悪態が聞こえてくるがそれに対して睨みを利かせる前に、続々と前方から荒くれ者共が驚きの声と共に襲いかかってきた。
連携など何も取れていない有象無象達は、森の魔女の鎌鼬か火の山の魔女の火柱によって、次々に肉塊や火達磨へと変わっていく。
また一体新たに出来た肉塊を踏みしめた魔女が「おい、彼奴は何処だ」と此方を見ているだろう首謀者へと苛立ちを隠しもせずに声をかければ、『もう少し先にある、鉄の扉を降りて行った先ですわぁ』という間延びした湖の魔女の声がどこからとも無く聞こえた。大きく舌打ちした魔女は、面倒に巻き込みやがってと足音荒くまたやってきた男を一人肉塊へと変える。
『急いだ方がよろしくてよ?王子、もう少しで四肢が切り落とされますわ』となんでもないような声色でそう告げた憎たらしい湖の魔女の言葉に反応したのは、今しがたやっと合流したカラスだ。
『主!幼子の危機だ急げ!』
耳元で煩く叫ぶカラスに「四肢ぐらい良いだろう、死にはしない」と返せば、『人間は死ぬのだ!主が行かぬのならば、我がその力勝手に使うぞ!?』と今にも回路を無理やり繋ごうとする使い魔の暴挙に「わかったから落ち着け」と森の魔女は呆れたように片手を軽く振った。そのやり取りを楽しげに見ながら火達磨を絶えず製造していた火の山の魔女に、「後は任せたぞ」と一声かけて森の魔女はまた新たにやってきた男を肉塊に変えつつ湖の魔女が言う鉄の扉を目指す。
『主、あそこだ!』と言う使い魔の視線を追えば、確かにそこには鉄で作られた真新しい扉があった。鎌鼬とは相性が悪いその扉を風で勢いを付けながら蹴破った森の魔女は、『…これが噂に言う馬鹿力というやつか』と関心気に呟くカラスを黙殺し一気に風になり駆け下りた。これは戻ったら湖の魔女に酒の一本や二本貰わんと割に合わないと内心悪態を付いた魔女は、弱々しい燭台の明かりの先に見える開かれた扉の向こう側で煌めく刀身の先にいる薄汚れた幼子に気が付いた。
今にも振り下ろされそうなその鉄の塊を手に持つ男と怯えたように目を瞑る幼子のその姿に、魔女の視界が一気に赤く染った。
一足飛びで剣を振り上げる男の目前に降り立った魔女は、勢いよく振り下ろされたそれを片手で造作もなく掴んだ。安物なのか側面に力を入れれば容易く折れたその残骸を呆然したと目で追う男を瞬き一つの間に肉塊へと変えれば、背後から「ば、化け物…!」という聞き慣れぬ耳障りなダミ声がした。
顔だけをそちらの方へと向ければブクブク横に太い丸太ような男が一人、幼子の向こう側で腰を抜かして震えていた。目が合えば「ひぃい!」という鳴き声を上げたその丸太をもただの肉塊に変えようと手を振り上げれば、それよりも早く「それは困りますわぁ」と湖の魔女が漸く姿を現した。
「よ、良き魔女さま…!」
天の助けと言わんばかりに丸太がその忌々しい魔女へと縋りついて「あの化け物めをどうか、退治してください…!」とこちらを指さす。その言葉を華麗に無視した彼女は、クスクスと鈴のような耳障りな笑い声を転がしながら「森のお方、この方は貴重な情報源ですわぁ。私が致しますので」と軽く手を振りあっという間に男を水の中へと消えさせた。
一連の流れに忌々しげに大きな舌打ちをした森の魔女に声をかけたのは、今まで呆然と座り込んでいた幼子だった。
ポツリと「女魔獣…?」と呟いたか弱い子は、しかし次の瞬間糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。その姿に慌てたカラスが勝手に人型を取り抱き寄せる。無理やり回路を繋げた使い魔にゴッソリと魔力を奪われた魔女は、大きくため息をついてその場に胡座をかいた。肉塊の血で衣服に赤黒いシミが出来るが、そんな事お構い無しなその姿に、湖の魔女はヤレヤレと首を横に振り一瞬で辺りの汚れを綺麗に落としたのだった。




